【劇場版ヴァサラ戦記・前日譚】海龍と海子(みこ)【前売り券特典の雰囲気】
数年前か、あるいは数百年前か。かつて『ハマユウ島』という、海龍の恵みを一身に受ける小さな孤島があった。
100人あまりの島民が、漁業を中心とした静かな生活を営んでいた。そして、どの島民も一様に、海龍へ感謝を捧げていた。自分たちの生活があるのは、海龍様のおかげだ、と。
「海龍のおかげ? 皆が魚を頑張って獲っても、海龍のおかげだって! おかしいよね。マールもそう思わない?」
そうつまらなさそうに言うのはマールの幼なじみの少年、ヴェルだ。波止場で鳶色の髪をなびかせながら漁業を終えた大人たちを横目に隣にいるマールに話しかける。
「大人達もみんな頑張ってるのにね。でも、海龍様が集めたお魚をもらってるだけって言われたら、そうじゃない?」
「そうだけどさー……」
マールの意見にも同意しつつも、あまり納得していないのか口を尖らせている。
ヴェルの家庭は、冒険家一族だという。両親はたまたま流れ着いたハマユウ島でヴェルを産み育てながらも、時々まだ見ぬ世界へと足を伸ばしている。そういった経緯からか、この島の土着信仰である、海龍信仰には馴染んでおらず、むしろ懐疑的な態度を見せている。
『海龍ばかりに頼っていてはいけない』『この島ももっと外部と交流を持つべきだ』――。
異質だ、異端だと判断されたヴェル一家は、島の僻地に住まわされ、他の島民とも話さないなど、村八分の扱いを受けているのだ。
「そんなことよりもさ! 図鑑一緒に見ない?」
「うん、見たい!」
しかし、周りが煙たがる存在でも、マールには関係なかったのか、ヴェルとは懇意に接していた。他にも同年代の友達はいたが、ヴェルは他とは"違った"のだ。
ヴェルは話が面白い。両親が他国から持ち帰ってきた書物や図鑑などを一緒に見たり、見たことない国や島には何があるのか発想を膨らませたりもした。生まれてからハマユウ島から出た事のないマールにとっては、興味が尽きないことばかりだ。
とはいえ、マールの家族や周りの大人たちは、島で爪弾きにされているヴェルやその一家と仲良くしているのを快く思わず、度々注意を受けることがあった。日が暮れて、家に帰り、夕食を食べている席でまた注意を受けた。
「マール、あなたまたヴェル君と遊んでいるの?」
「え、う、うん……」
咎めるような口調に、思わず食事をする手が止まった。
「あんな海龍様をバカにするような親の子と遊ぶのはやめなさい。あなたまで毒されたらどうするの」
「そうだぞ、遊ぶ友達は選びなさい」
またこれだ。私はただヴェルと仲良くしているだけなのに。バカになんかしてないって、話していたら分かる。知りもしないで勝手なこと言わないで。
――でも、言えない。この島では海龍様は絶対なのだ。海龍様無しではハマユウ島は成り立たないのは、マールも知っていたからだ。
マールはただ静かに頷くことしか出来なかった。
それでも、両親の目を盗んでヴェルとは遊んでいた。
「遊ぶ友達は選びなさい」
仲良くする友達は選んでいるし、その権利は私にあるはずだから。
10年に1度の「海龍の儀式」が行われる日が近づいていた。かつて、マールの母がこう言っていた。
「海子に選ばれた女の人はね、とても名誉なことなのよ」
8歳だったマールには、少し理解の及ばない所もあったが、儀式に出られるのはたった1人だけで、それはとても凄いことなのだという認識でいた。海子とは海龍の儀式の主役で、無くてはならない重要な役目なのだという。
島の中央にそびえ立つ山の頂上には海龍の魂が祀られている神殿がある。今日そこで海龍からの神託を賜わり、海子となる女性が決まるというのだ。
朝、18歳を迎えた女性達が神殿の祭司に連れられて、一斉に山を登っていく姿を見た。一言も発すことなく、真剣な面持ちで女性と白い祭服を身にまとい、顔を白い布で隠した祭司が山へと向かう姿は、徐々に昇っていく太陽の光と相まって神々しくすら見えた。
(あの中から海子様が選ばれるんだ)
マールも自然と真剣な面持ちで、神殿が建立されている山を見上げるのであった。
――その日の夕方。山から白いワンピースのような服を纏った一人の女性が祭司に囲まれ、下山してきた。山道の出入口からはズラっと島民が並んでおり、皆一様に跪いて出迎える。あの白いワンピースのような服は海子を象徴するものなのだろう。
「海子様! 海子様!」
海子に選ばれたのは、ミリアというマールの家の近所に住んでいる黒髪のお姉さんだった。勉強をみてくれたり、一緒に遊んでくれたりしている優しいお姉さんで、周囲の人に好かれている。一人っ子のマールも実の姉のように慕っていた。
「ミリアお姉さん! えっと……、おめでとう! 頑張ってね!」
”海子に選ばれる事は、とてもすごい事”――。
島からただ一人選ばれたミリアに屈託なく声を掛けた。彼女は立ち止まって、にこやかに微笑みマールの頭を撫でる。
「うん、ありがとう」
ミリアは、そう一言発するとまた静かに歩いて自分の家に戻って行った。
それが、ミリアと交わした最後の言葉になった。
明日には海龍の儀式が行われる。この儀式が終われば、島の平和はこれからも続くことが約束される。ミリアもまた、海子からただの女性に戻り、普通の生活が待っている……。そう、マールは考えていた。
翌朝、山頂の神殿周辺には島民が集まり、儀式が行われるその時を今か今かと待っていた。
神殿の最奥部には、海龍の魂が祀られておりそこには祭司と海子しか入れないことになっている。
白のワンピースのような服を着せられたミリアと、それを囲むように数人の祭司が神殿の奥深くへと歩いていく。
「海子様! 海子様!」
「島の未来は、あなたにかかっていますぞー!」
島民は口々に海子となったミリアに声をかけていく。ミリアはただ黙って、眼前に迫る神殿だけを見つめていた。
神殿の観音開きの大きな扉が、ゆっくり、重苦しい音と共に開く。扉が完全に開け放たれ、灯りも何も無い間が出迎える。
(何だか……怖いな……)
獲物を一呑みにする恐ろしい魔物の姿のように見えたマールは、思わず身をすくめた。
神殿へと足を踏み入れていく祭司と海子が、一歩ずつ入る。先程までの騒がしさはどこかに消え失せていた。
そして、祭司と海子が神殿の中へと進んでいくと再び扉は重苦しい音を立てて閉まっていった。時が止まったような静寂が、島を包んだ。
突如、神殿から真っ直ぐに光が立ち上る。同時に地鳴りのような咆哮が響き渡った。
「おお、海龍様じゃあ……! 海龍様がお喜びになっておるぞ!」
老いた島民が有り難そうに手を合わせた。
「儀式は成功だ! ああ、海子様! 海龍様……!」
一気に沸き立つ島民達は、口々に感謝の言葉を紡いだり、神殿に向けて祈りを捧げたりしている。
「え、なに? なに……!?」
「儀式が成功したのよ。ほら、マールも祈りなさい」
そばにいた母はキョロキョロとし出すマールを神殿の方角に向き直らせた。慌てて、マールも周りの人の見よう見まねで手を合わせて祈りを捧げた。これで、島の平和は続くことが約束されたのだ。
(凄いな。あとでミリアお姉さんにお礼言わなきゃ……!)
大きな役目を果たしてくれたミリアには、自然と感謝の気持ちが溢れ、今すぐにでもお礼の言葉が言いたくなった。彼女の帰りを今か今かと待ち始めた。
光が収まり、神殿の扉が開いて祭司が出てきた。だが、ミリアの姿が見えない。祭司の陰に隠れてて見えないだけかと思い、ジャンプして姿を探していたが、それでも見当たらない。
「あれ? お姉さんは?」
「何を言ってるの。お姉さんが海龍に魂を捧げたから、儀式は成功したのよ」
祭司が並んで歩く中に、儀式へと赴いたミリアの姿はどこにもなかった。
「ああ、ミリアは海龍様に認められたのだな!」
「ありがとうございました、祭司様。あの子も島の為に尽くすことが出来て喜んでいることでしょう」
祭司に駆け寄るのは、ミリアの両親だろうか。涙で顔がクシャクシャになっているが、表情は朗らかで喜んでいるようにも見えた。
(どうして……? お姉さんはどこに行ったの? いなくなったのに、どうして嬉しいの?)
「はい、貴方の娘さんは海子として立派に務めを果たしました」
祭司は、微笑みながら一切の澱みなく告げた。
良かった、ああ良かったとミリアの両親は抱き合いながら喜んだ。
(良かった……? 何が、良かったの?)
皆が万歳したり、感謝の言葉を口々に発する中で、マールは目の前で起きた出来事に対して、呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
日が暮れて、神殿の傍では感謝祭が行われていた。魂を捧げた海子と恵みをもたらす海龍へ感謝する祭りだという。
マールは祭りの輪から離れて、海を見つめていた。海龍の儀式とは、誰かが一人消えて、島の平和を祈る儀式だった。幼い頭では、これが理解の限界だったが、恐怖を感じるのには充分だった。
「マール、ここにいたんだ。お祭りに行かなくていいの?」
ヴェルが話しかけに来た。そういえば、ヴェルは儀式の時に姿を見かけなかった。
「うん、そんな気分じゃないから。ヴェルは儀式の時、どこ行ってたの?」
「え? お父さんと一緒に家で図鑑読んでたよ」
ヴェルはあっけらかんとして答えた。元々、村八分にもされているヴェル一家だ。恐らく儀式にも参加させてもらえなかったのだろうが、一家揃って気にしていないようだ。
「私、分からなくなっちゃった。初めて儀式見て。私も海子に選ばれたら、ミリアお姉さんみたいに消えちゃうのかなって。消えちゃったのにみんな喜んでて……でも、島はこれからも平和で……。喜んでいいのか、悲しんでいいのか、分からなくなっちゃったよ……」
「オレはね、マール。お父さんが言ってたんだけど、『人が一人消えたことで、平和が続くのは良くないこと』って。だって、ミリアお姉ちゃんの幸せはどうなっちゃうの? って。皆が幸せにならなきゃおかしいでしょって思うよ、オレは」
ヴェルは翠色の目を真っ直ぐ、マールに向けて言い放つ。
「そっか……そう、だよね。私、ミリアお姉さんいなくなって悲しい。でも、皆島が平和になるって、喜んでて……。なんか、怖くなったよ」
ヴェルの真っ直ぐな瞳を見て、少し心が落ち着いた。それまでグチャグチャしていた心の中が、整頓されたような気分だった。
「だからさ、マール。いつか、オレと一緒に島を出よう! そして、旅に出るんだ」
「えっ!? ええっ、突然何言い出すの、ヴェル」
予想もしなかったことを言い出し、マールは目を見開いて大きな声を出した。けれど、『島を出る』という言葉には不思議と心が掻き立てられるものを感じた。
「外にはきっとオレたちも知らないような国や景色がある! オレもお父さんみたいな冒険家になりたいんだ」
ヴェルの目は、海の向こうに広がる景色を映し出す。
「楽しそう……! 私も行ってみたいな。図鑑にあるような景色があるのか、見てみたい!」
「ああ。だから、約束! いつか二人で旅しよう!」
「うん、約束だよ!」
ヴェルは小指を差し出した。マールは迷うことなく、その指を絡めて約束を交わした。
――数年前か、あるいは数百年前か。かつて『ハマユウ島』という、海龍の恵みを一身に受ける小さな孤島があった。
これは、そんな小さな島で起きた、小さな出来事のお話。この出来事が、何かに影響を及ぼしたかどうかは……是非君の目で確かめてほしい。
『劇場版ヴァサラ戦記 海龍の島と謎の少女』
2024.12.24公開。