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いつも軽やかな気持ちでいたい

朝起きて、今日は窓の掃除をしました。

屋根の雪が溶けた水が、雨樋を通って流れていく音が心地よくて、日差しが暖かくて小さな頃の母親からのハグってこんな感じだったかなって思わせるように背中がホカホカして「生きてるー!」って思える1日のスタートでした。

窓が綺麗になると部屋に差し込む光もいつもに増して心地よくて、時々吹く風に吹き上げられた雪が待ってキラキラと目の前を通り過ぎるのが、特別な1日に感じさせてくれました。

心が軽やか。

昨日、一つ心に引っかかっていた物を手放したからかなと思いました。


昨日のnoteを書いていて、頭の中に、考え事・悩み事・嬉しかったこと・楽しかったこと・嫌だったことなど印象的な出来事はとにかく頭の中に蓄積されていくんだなと気付きました。

「持っておきたい」って思うものが増えるほど、身動きが取りにくくなるのは体も頭の中も同じだと思います。頭の身動きは、感受性や思考の柔軟性、新しい物事への興味や好奇心だと思います。

でも、記憶を手放すのって少し勇気がいります。嬉しい出来事も、嫌な出来事もそう簡単に手放せません。

嬉しい出来事は、成功体験でもあるし、単純に思い出せなくなったら悲しい。嫌な出来事は、思い出すと自分を傷つけるけど、自分への言い訳に使える部分もあって役に立つ面もあるので手放せない。どちらも頭の中に「持っておく」メリットがあるんだと思います。


考えてみると、なんで手放してないんだろうって思う私の記憶は、いじめられていた記憶です。

小学校、中学校ではクラスの女の子が口を聞いてくれず、話しかけても避けられ、すれ違うときに触れたりすると嫌な顔をたり、登校すると椅子の上に濡れた雑巾が置いてあったりしました。

座ると制服のスカートが濡れて、冷たくて、いじめられる自分が恥ずかしくて、情けなくて、惨めで、何度も悔しくて泣きそうでした。でも、欠席と悔し泣きは相手の思う壺だと思って歯を食いしばって我慢しました。我慢の限界に達したときに、先生にお願いし、当事者たちと話す機会をもらいました。1対多数だったので勇気が入りましたがいじめは治まりました。

嫌な記憶なのに、なんで持ち続けてたのかなって思うと、この経験が自分を楽にしていた部分もあったなと気付きます。

綺麗な面で言えば、辛かった経験も乗り越えられるっていう自信になっていたと思います。恥を忍んで、もう一方の綺麗じゃない面を書くと、女性との人間関係が上手くいかないときに「私は女性に嫌われるんだ。今回も仕方ない。」と自分をわかってもらう努力から逃げる言い訳になっていたと思います。実際、社会人になってから女性上司に良くない噂を流された時も理不尽に怒られ続けた時もこう思って自分を納得させていました。

結局はどちらも自分を傷つけることになっていたのですが、楽をさせてくれていたんだと思います。無意識ですがとってあった記憶を、今日を最後に手放そうと思います。いじめられても「自分の価値に自分で傷をつけずに乗り越えた経験」と、「今まで弱い私を守ってくれたこと」に感謝して。


小さな幸せに気付いたり、人や物や経験への興味や好奇心を持って生きていたい。そのためにいつも軽やかな心でいたい。なので、嬉しい記憶や楽しかったことは言葉や写真に変えて、後悔や失敗は反省に変えてすっと手放せる私でありたい。

思い出せなくなったら寂しいと思う記憶も、全部今の私の中に生きていると思うのです。

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