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ミャンマー映画「夜明けへの道」(監督:コパウ)

受け持ちクラスにはミャンマーの学生がたくさんいるので、内戦について知らねばと思って、見に行った。

前提として、私はミャンマーが平和になってほしいし、できればミャンマーの人が望んでいるであろう民主主義国家になってほしい。

前情報ゼロで見に行ったのだが、
ガチの革命闘争ドキュメンタリー映画だった。

よく行く元町映画館。いろいろちょうどよい。

冒頭、監督が自分の子どもと自撮りした「オモシロ映像」がたくさん流れる。
これはどうやら新型コロナで自粛生活になったときに、監督がおうちで始めた試みらしい。なかには監督自身が女性の服を着て「近所のオバチャンあるある」を演じているような映像もある(監督は先に俳優として有名になったらしい)。

それがクーデターが始まってから一転。
監督は公然と抗議活動に加わり、軍から指名手配されると、逃避行生活を決行。

前半は隠れ家を転々とし、つらそうな監督の映像が流れる。狭い家で外に出ることができず、体調を崩す。

そして監督は「解放区」と呼ばれる場所へ移動することにした。
この「解放区」という場所は、たぶん、武装市民が軍を遠ざけている”自治エリア”というような場所だと思われる(タイ国境のそばの森)。

ここで監督は文字通り解放(開放)的な生活を始める。

野菜を育て、ブタや鶏を飼い、自分で火を起こして自炊。友達は犬。お風呂は川。住む場所は海の家みたいなコテージだ(言い方が悪いが、いわゆる掘っ立て小屋みたいな場所を、居心地よく使おうと工夫)。

ここでは国民防衛軍(PDF)のメンバーが多数、共同生活を送っている。
軍か何かで訓練を受けた若者が、少年~青年たち(少女もいる)を鍛えている。模擬銃を持って、ひたすら訓練である。制服(軍服)もある。おそらく武器も調達するのだろう。
「卒業式」には国民統一政府の大臣からの訓示が届いていた。

監督の「行くしかないのです」という言葉で映画は終わる。

▼幼い子どもへの影響
監督は潜伏生活を送っているが、スマホの家族とのやり取りは欠かさない。
クーデターの前は、監督と一緒にオモシロ動画に出ていたかわいい息子が電話で「パパ、ぼくもミンアウンフラインをやっつけるんだ!」となどと言い始める。
それを微笑みを浮かべて聞く監督。

私は親になったことがないからわからないが、
これを聞いて
「頼もしい」というのと
「悲しい」というのが
おそらく両方あると思う。

ただ、この映画は監督が世界に自分たちの活動を知らせるための、いわば「プロパガンダ」映画という側面もある。
よって、「そんなこと言うのはやめなさい」とは、もし思っていても言えなかっただろうと思う。

あらゆる戦争・内戦・暴力のもとで、子どもはそれを「環境」として受け止め、客観的な善悪の基準を持つ前に、親が正しいと思うことを内面化するんだなあと、悲しく見た。

しかしこの感想も平和ボケした日本で安穏と暮らしている私の感傷に過ぎないと言われたらまあそうなのだろう…。

▼革命は似る
『独裁者の料理人』(ヴィトルト・シャブウォフスキ著)という本がある。
サダム・フセイン、チェ・ゲバラ、ポル・ポト…さまざまな独裁者のそばで料理人を務めた人たちの証言を集めた本である。めちゃくちゃ面白い。
(独裁者というのはその成り立ちからして「いつか俺もやられるのでは」という猜疑心が強くなるので、その料理人は本当に信頼を得た人でないとなれない)

独裁者たちは、そうなる前は「反政府活動」をしている。
「反政府」は「ゲリラ」みたいな潜伏生活を送っている。

そして私がこの本で読んだ「潜伏生活」そのままのことが、PDFでもなされていた。「これ読んだやつだ…」と思った。思想がどう・人権がどうではなくて、本当に素直に純粋に、「似ているなあ」と思ってしまったのだった。

それは「自然の中」で「健康的」にも見える生活である。

何もない森から、水とガスと電気と食料をどうやって工面しているのかはわからないが、とにかくみんなで夜明けとともに起き、動物たちに朝ご飯をやり、訓練して自炊して、川で水浴びをして寝る。

もしかすると、日本の左翼の人たちは、これをある意味うらやましいと思うのだろうか??

一つ、決定的に昔の潜伏と今の潜伏が違うのは、「通信・インターネット」が発達していること。
監督たちは、この森の隠れ家で、映像を撮影し、編集し、YouTubeや自前のメディアを使って流している。ニュースも仕入れている。オンライン会議をしているような場面もあった。
そのメディアの名前が「D-DAYチャンネル」なのだが、それって・・・あの「D-DAY」なのか?? 特にそれについて解説はなかったが・・・。

現代はSNS・インターネットの場も戦場となりうる。市民は火炎瓶の代わりにスマホを持って戦っているのかもしれない。

▼校長の言葉
監督は、とある校長先生に「教科書や何か足りないものがあるか? あれば日本やオーストラリアから取り寄せることができる」と聞いたことがあるそうだ(たぶん海外に住んでいる同胞が調達してくれる、ということなのだろう)。
すると校長先生は「今は教科書はいらない、ミサイルがほしい」と答えたそうだ。

監督は「とても悲しくなった」とした上で、「軍が学校を爆撃してくるため、安心して勉強させられない。子供たちを守りたくてそんなことを言ったのだろう」ということを述べた。
その後、監督は、「だから学校・教育を破壊する軍は悪だ」というようなことを述べたと記憶している。

私は、校長先生という立場の人に、そのようなことを言わせてしまう・思わせてしまう戦争(内戦)は、ただ悲しいなと思った。

▼マジ
マジなのだ。
とにかくガチなのだ。
行くしかないのだ。
本当にこの映画の最後には監督の「最後まで行くしかない」というメッセージが文章で出た。

監督がクーデター前には、どのような立場の方で、どういう映画を作っていたのか、私はわからないのだが、この映画冒頭で見た動画は、コミカルで面白いことが好きな人に見えた。
監督が今まで撮った映画についての説明もあったのだが、おそらくエンターテインメントを中心に撮っていた方なんだと思う。

平和だったら、そのままアクションとかコメディとかを撮り続けていたのかもしれない。

監督は潜伏先で、どこか晴れ晴れとした表情で言う。
ここでは検閲なく自由に映像が撮れる、と。

私にはミャンマーの人たちの気持ちが100%わかることは困難だろう。
私が生まれた時から日本は民主主義だった。
そして映画監督でありながらこの活動の渦中に身を置く決断をしたコパウ監督の気持ちも、たぶん分かることはできないだろう。

そして、平時であれば、客観的に批判を加える役割である映画監督がここまで「マジ」に身を投じざるを得ない状況を、一体どう捉えればいいのだろう。

映画によれば、ミャンマーの芸能人にもこの活動に賛同している人はいるという。
日本で同様の状況になったらどうだろう。
誰がこんなにキリッとした「マジ」な活動をするのだろう。

ウクライナ、ガザでの悲惨なニュースが、画面や紙面を覆いつくして、全然ミャンマーの状況は日本に入ってこない。

日本語学校の留学生の多くは、私たちと変わらない服装で、若者らしく自由な生活を楽しんでいるようにも見える。でも彼らの胸のうちはわからない。
必要なく戦争や政治(と宗教)の話は教室ではしない、というのが、日本語業界の基本的なルールである。

そしてミャンマーだけでなく世界にはたくさんのこうした内戦、戦闘が起きている。

とにかく、この「キリッ」以外の情報が欲しい・・・。
この「キリッ」はたぶん極北であり、(軍に賛成しているという意味ではなく)おそらく市民の中でもグラデーションがあるはずだから。

もうちょっと日本でもミャンマーのことは報道してほしいと思う。



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