違いの中で生きるということ(2020.02)
僕は中学2年生のある朝の出来事を忘れない。
毎朝順番に生徒がスピーチしていくのだが、
その日は在日コリアンのクラスメイトの番だった。
彼はこう言った。
「僕は小学校の時、
差別みたいなことをよく言われていました。
悲しかったです。
でも、この学校に入学して、
今日まで一度もそんな事は言われてないです。
本当にこの学校に来て良かったと思います。」
彼のスピーチは僕の心に強く響いた。
心の底からのものだったからだろう。
でも同時にみんなこうも思っただろう。
「当たり前だろ。」って。
彼の国籍なんか関係ない。
彼が好きかどうかだけが問題だ。
自分でも本当にいい学校で学んだと思う。
ゲイのヤツも難病の子もいた。
自分の知る限り集団でひとりに危害を加えるような卑怯者もいなかった。
自分はラッキーなだけかもしれない。
でもそのような雰囲気は諸先輩方や先生方が築いてきたものだ。
自分も受け継ぎ次へ繋ぐ資格がある。
自分の教育理念のベースもここにある。
社会はカオスだ。
外見、年齢、国籍、主義主張、目指すもの、バラバラでよい。
好きキライはあくまで個人に対してのものであり、
自分ではどうしようも変えようのないものを攻撃すべきではない。
ひとは「同じ」ということで安心しがちである。
しかし同じだと思うことの危うさも自覚すべきだ。
大小・軽重・長短…様々な違いの中で私たちは生きている。
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