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「どこでもドア」の向こう側にユートピアの可能性を見る

建築家ルイス・カーンによれば、都市とは「そこを歩くひとりの少年が、その後の人生でしたいことを感じ取れる場所」である。

InstagramやYoutubeは全人類に開放された都市と言えるかもしれないが、まだ名刺サイズのピクセルの集合体でしかないのも事実である。

その中で、5G、IoT、AI、ブロックチェーン、量子コンピュータといった革命的なテクノロジーは、現実世界から情報世界への”コピー&ペースト”をインフラとしたユートピアを構築するだろう。

人々はそのユートピアンな情報世界へのアクセスを通じて、「どこでもドア」による効用、つまり移動した後の状態への変容が可能となるのだ。

また、この情報世界の構築によって、人間以外のものにしか成し得なかった地球環境の保全や格差の是正、多様性の寛容も可能となるかもしれない。

これは、少なくともあのピンク色の唯物論的な「どこでもドア」の発明には値するものではあり、それ以上の大きな可能性を秘めている。

プラクティカルな「どこでもドア」と情報世界の出現

”革命的なテクノロジー”の進化を待たずして、もうすでに、現実世界の人間の効率に貢献する部分から優先的に情報世界は作られている。

ZOOMは打ち合わせや、飲み会の場への移動を可能にするし、ECはショップへの移動を可能にする。

これらはもはや現実世界の当たり前となっているが、これを「移動している」という感覚をもっている人は少ない。できることも少ないし、使いやすさ、レイテンシーもまだまだ改善の余地はある。

しかし、これを5G、IoT、AI、ブロックチェーンといった革命的なテクノロジーが、その移動のしやすさ、移動先の多さ、移動先における達成可能目的の範囲の拡大を下記の順序で進めていくことにより、「どこでもドア」以上のものが完成する。

①境界(コモングラウンド)の出現と広がりによるコピー(5G,IoT)
②情報世界へのプロットとその信頼性(5G,ブロックチェーン)
③プロットの関係性を学習して世界を作り上げる(AI、量子コンピューター)

そのとき人間は、現実世界に重なる情報世界との間を往復しながら生活することになるであろう。

コモングラウンドの出現と広がりによるコピー(5G,IoT)

”こちら側”と”むこう側”のタッチポイント、ゆらゆらしているあのどこでもドアの境界のようなものを建築家・豊田啓介は「コモングラウンド」と定義している。

コモングラウンドとは、そもそも、京都大学大学院情報学研究科の西田豊明教授が「2018年度人工知能学会全国大会」の基調講演にむけて記したこの一文にインスバイアされた言葉です。
「人間社会が人工知能のもたらすベネフィットを最大限に教授できるようにするためには、人間社会と人工知能がともに依拠できる『共有基盤(Common Ground)』を構築し、発展させていく手法を確立することが不可欠です」(WIRED vol.33)

そしてコモングラウンドはIoTによって大きく広がりをみせる。サムスンの折り畳みスマホが見せた変幻自在の液晶画面は、その広がりが想像以上に大きいものになる可能性を示唆している。

その前提として、5Gにより、今実現していない問題、レイテンシーやデータ不足は解決されることで、IoT自体の可能性が広がる。

家電、自動車あたりはイメージされるものになってきている。その次は、ウェアラブルなもの、その際たるものはコンタクトレンズになりそうだ。

現在はスマートフォンやパソコンで何かをしている時のみオンライン、つまり情報送信をしていないのであるが、IoTによるコモングラウンド拡張により常時オンライン化することになるであろう。

情報世界へのプロットとその信頼性(5G,ブロックチェーン)

当然、コモングラウンドの広がりによって向こう側にプロットされる点の数も増える。

そして5Gが整備されれば、それらが扱うデータのやり取りが一層進むことになる。

調査会社のIDC Japanによると、IoTデバイスが年間で生成するデータ量は18年の13兆6憶GBから、25年には5.8倍の79兆4憶GBに達すると予測されている。

すでに情報が指数関数的に爆発的に増えているが、ここからもまだまだ増えるということだ。

また、情報量だけでなく、情報の向きも増える。今はまだ、大容量コンテンツの場合は、中枢から発散することが多い(かつ、そのコンテンツの受信すら速度制限問題がある)が、5Gによって個別端末からの情報発信も大容量になるだろう。

そして、このように拡大した大量のビッグデータをブロックチェーンによって管理者を分散させる。

それにより、誰かがプロットを改竄して、情報世界を支配する、ということがなくなり、プロットの信頼性が確保されて、世界の土台となる。

もちろんその中でトークンエコノミーや仮想通貨なども本来の役割どおりに振る舞うことができる。

現実世界では官僚機構とか原子力発電などといった集権的かつ閉鎖的なものは、不和を生み、テロリズムの脅威に晒されているのが現状ではあるが、情報世界における集権的かつ閉鎖的であることはメリットすらなく、このデメリットしかないものになり、淘汰される。

管理者の分散によって、誰でも参加できるという寛容性や各個人の所有(決して独占ではない)の感覚を埋め込むこともできるだろう。

"エモい街"というのは、自分が受け入れられてから、ここは自分の場所だと、一種の所有のような感覚をいだくことで形成される概念だと思うので、これも重要だ。

情報世界は、誰かの世界ではなく、みんなの世界になる。

プロットの関係性を学習して世界を作り上げる(AI、量子コンピューター)

プロットした点と点の関係性は人の生活に無数にある、それを集計したビッグデータをAIに学習させ、点と点をつないで線にしたり、プロットできない点を特定し、そこに点を打つことで立体的な世界が展開されていくだろう。

量子コンピュータによって計算速度は情報世界の構築スピードが、爆発的増大する。

2019年10月に米Googleが科学誌Natureに発表した論文で、同社が開発した量子コンピュータ「Sycamore」が、従来のスーパーコンピュータが処理に1万年を要する演算ををたった200秒で行うことに成功したと主張している。

AIはすでに囲碁で人間をまかすだけでなく、もはや絵を描くことすらできるようになった。レコメンドアルゴリズムが禅的なものにまで行き着けば、人間の想像を超えた世界になることは間違い無いだろう。

人類最後の発明になるであろう、「人間よりも優れたAIを作ることができるAI」を作ったときに、この情報世界の構築における人間の役割は完遂するのである。

みんなの世界から人間のものだけではない世界になることができるかもしれない。

情報世界における身体性の獲得と共存

5感を用いた、まだ情報世界への移行ができていないことをこの自粛生活で痛感しているだろう。
ZOOMは二感も満足しないから寂しい上にとても疲れるし、ECでの買い物はラグジュアリーブランドでの買い物の体験とは程遠い。

ライブはもちろん美術館、映画館における、あの感動、ライブの熱気、絵画の起伏、写真の大きさ、映像の迫力、音の多さ、響き。
その全てを自粛期間では決して味わえない。
無観客ライブ配信のほとんどが無料であることは、それが自明の事実であることを示している。

「美術の話をすると、君は美術本の知識を語る。ミケランジェロのことにも詳しいだろう。彼の作品、政治野心、法王との確執、セックス面での好み…、何だって知っている。
 だが、君はシスティナ礼拝堂の匂いをかいだことがあるか? あの美しい天井画を見上げたことがあるか? ないだろう。
(中略)君から学ぶことは何もない。みんな本に書いてある。
 だが、君自身の話なら喜んで聞こう。君って人間に興味があるから。それはイヤなんだろう。君はそれが怖い。あとは君次第だ。」(映画「グッドウィルハンティング」)

システィナ礼拝堂を訪れて、匂いを嗅ぎながら天井画を見上げる。
川に面したベンチの隣に座っている”君”自身の話を聞く。

このように身体をゆさぶらなければ、感情は決して大きくは動かない。

しかし、これは(非線形な成長によって)今想像しているよりもずっと早く、情報世界に出現する"都市"によって実現するのではないだろうか。

そして、その都市を開発するのは人間ではなくなっているだろう。だからこそ、人間以外もその都市に共存しているはずだ。

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