Yudai Takino

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    ビジョニングの専門集団「NEWPEACE」メンバーのnoteをまとめていくマガジンです。

最近の記事

ポスト資本主義のパンクスと隣人愛

ひとかけらのピザですら、同じものは二つとして存在しない。 具材の大きさや分量、調理による化学変化の程度はもちろん、遺伝子レベルで見れば確実に異なる。 しかし、それらはラベリングされて同一のものとなり、私たちはそれを見て優劣を比較している。 シーフードピザ、Mサイズ、2000円。 ラベリングが目的化した今の社会の仕組みは、そろそろ崩壊するはずだ。 自然淘汰の中で多様化が種の存続可能性を上げるという仕組みの方がシンプルかつ強力であることは言うまでもない。 世の中に同じものな

    • 「どこでもドア」の向こう側にユートピアの可能性を見る

      建築家ルイス・カーンによれば、都市とは「そこを歩くひとりの少年が、その後の人生でしたいことを感じ取れる場所」である。 InstagramやYoutubeは全人類に開放された都市と言えるかもしれないが、まだ名刺サイズのピクセルの集合体でしかないのも事実である。 その中で、5G、IoT、AI、ブロックチェーン、量子コンピュータといった革命的なテクノロジーは、現実世界から情報世界への”コピー&ペースト”をインフラとしたユートピアを構築するだろう。 人々はそのユートピアンな情報

      • 過剰介護による社会システムの強制アップデート

        コロナによって未来なんて何も変わらない。 しかし、過剰な介護が無自覚な関節的殺人につながるように、旧態依然の社会システムが老衰することで、SDGsに向けたアクセルにはなりそうだ。 だからこそ、再起不能になることだけは避けなければならない。 「え…だって、人はね、どこかに出かけたり、スキンシップしたり笑いかけられたりしないと、すぐダメになっちゃうんだよ」 (引用:羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」[文春文庫]) 過剰介護の実践を試みる主人公が彼女に向けて冗談まじりに

        • マクルーハンのメディア論視点で今春を振り返る

          山中教授、本田翼は”映画”であり、星野源、SFC学長は”テレビ”である。 マクルーハンのメディア論における「ホット」と「クール」の概念にあてはめれば、 本田翼、山中教授は「ホット」、星野源とSFC学長は「クール」なメディアである。 咲き乱れようとする桜の出鼻を挫くかのように雪が降り、GWの予定を待ち遠しく浮かれた気分で過ごすことすらできない今年の春。新型コロナウイルスに関する数多のメッセージが飛び交った。 そしてその中で、個人(これは有名人でも一般人でもありうる)がメデ

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        記事

          aikoのサブスク解禁による “再”リリース

          岡崎京子が「pink」で表現した“愛”と” 資本主義”をめぐる冒険と日常の話を、aikoは「キラキラ」と表現したのだ。 ここで、愛と資本主義は直感的に想像する通りの相反する概念では決してなく、ほぼ同一のものである。 それは凶暴で恐れるべき対象であり、今「あたし」たちが生きているのはそれらが蔓延る世界だ。 資本主義というのはネガティブな意味での現実、つまり「理想に向かって生きる中でぶつかってしまう壁」のことである。 羽が生えたことも 深爪したことも シルバーリングが黒くなっ

          aikoのサブスク解禁による “再”リリース

          禅的なレコメンドアルゴリズム

          「いや、その狙うということがいけない。的のことも、中てることも、その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。他のことは全て成るがままにしておくのです」 (引用:オイゲン・ヘリゲル「日本の弓術」 [岩波文庫] ) 昼間の新宿は一人一人の人間性を希薄にする。 アルタ前の歩行者信号は緊張した大きなオーケストラの指揮者のように、一振りで多くの人を動かそうとする。 人々はその意図に反してだらっと動きを始めるが、それは反響し合ってすぐに一つのうねりを

          禅的なレコメンドアルゴリズム

          二○十九、二十、

          惟うに、二十歳という年齢は、燦々とした憧れを抱かせて画期的な精神の変容を期待させるものだった。 穏やかに波を打つ水面に投影された曖昧な景色を水中から覗いた時の像のようであり、輪郭などはまるでなく、不安定なリズムで揺らめきながら姿を主張してくる「何か」に、二十歳になる直前までは確かに手が届きそうだった。 その水面から無意識に這い上がって以降、暫くの年月が経過したにも関わらず、 その「何か」が果たして何であったのか、という答え合わせを怠り続けて現在に至ってしまった。 タバコを

          二○十九、二十、