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それでも人は愛することをやめない

人が人を愛するということ。
そもそも愛するってどんなことか考えたことはあるだろうか。
そもそもなぜ、人は愛してしまうのか。
そしてなぜ、どんなに傷ついても愛することをやめないのか。

本題に入る前に個人的に考える愛するということの定義から。
今回は、人が人に対しての愛という点にフォーカスした。
究極の愛とは、「愛情と感情の共有」だと思ってる。
相手が幸せであれば、自分も幸せ。
見返りを求めない無償の愛。

でも世の中は、そんなに綺麗事になんかならない。
見返りを求めないことが究極だと思っていても、見返りを求めてしまう。
全てに置いて、利己的ではなくて、利他的な事、何も相手には望まない事。
分かってはいるけど、人は偽ることをやめようとしない。
そして自分に返ってきて自分が傷つく、辛くなる。

他のことは学習しても、愛に関する学習はなかなかできない。

誰かがいる幸せを知ってしまってるが故に、独りになるのを恐れる。
また独りになってしまう可能性や傷つく可能性があるのが分かっているのに希望を抱いてしまう。

どうせ傷ついてしまうなら、そんな幸せ知らない方がよかったと思う。

だが、この世界に生まれてきた以上、知らないで生きることの方が難しい。

作り上げるのに時間はかかるが、失ったり壊れたりするのは一瞬。
それでも人はまた作りあげる。
破壊と再生を繰り返す。

でも破壊の工程が完全破壊ではなかったら?
再生も残ったものをベースに再び築き上げられたものだとしたら?
そうだとしたら、剥き出しになる自分と向き合えるチャンスなのかもしれない。
本当の私は、どんなひとなの?
本物の幸せは、どんなことなの?

向き合えなければ、また同じ失敗を繰り返すだけ。
失敗を繰り返してなお、愛を求めるならば、ただの自己愛。
独りよがりの愛だ。
他人から愛されることで自分が変わるなら、この世界は簡単すぎる。

1人の状態で幸せと思えなければ、ただの依存でしかない。

でも面白いことに、いろんな人がいるからいろんな愛がある。
だから、一概に何が正しいとは言えない。

そして絶対なんかない。
また傷つくかもしれない。
それなのに、なぜか人は愛することをやめない。
自分を受け入れてくれる人がいるかもしれない。
受け入れたいと思う人がいるかもしれない。

そういう希望を無意識に抱いてるとしたら、
人間ってすげーポジティブだなって思ったさ。
それが生きるってことでもあるかもしれないしね。

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