寂しさを埋められることを知ってるから理由が欲しくなるんだ
「寂しさ」
それはふとした瞬間にやってくる。
自分自身について見つめ直すようになってから、昔ほどやつはやってこない。
寂しさの本質は、パートナーがいないとか友達がいないとか、そんな物理的なものが原因ではない。物理的なもので満たされるならば、なぜやつはたびたびやってくるのか。
かといって、仕事や趣味などで満たされていれば絶対やってこないかと言われればそうでない。
そもそも、自分自身の寂しさの本質を見極めなければ、恋愛依存になったり、友達や仕事の予定を詰め込む毎日になるだろう。そして、永遠にやつの餌食になるだけだろう。
愛情や周りからの評価など、自分の外側から得られるものでやつはなくせない。
外側でやってる作業は、ただの物欲やと同じ。安心できる材料が欲しいだけ。
はたまた性欲と同じとも言えるだろうか。
セフレがいて、満たされてるようで本質的に満たされてはないはずなのに、性欲が満たされたことで他も満たされたような感覚に陥ってるだけ。
こんなことを書いているけれど、まだまだ自分自身の「寂しさ」については見極めてる最中。ちなみに「寂しい」はあくまでも感情であって、「寂しさ」は違うものだと思ってる。
「寂しさ」がやってくるのは克服したから?
寂しさが昔よりなくなった理由として以下のような価値観になったからだと思ってる。
①他人と比較しなくなった(まあ、ものによるけど)
②自分自身の本音を尊重するようにした
③1人の状態で幸せを感じれるようなライフスタイルに変えた
④大事なのは「今」であって、未来や過去ではない。そして自分自身だということ。
基本的には1人の状態で満たされているし、ハッピーである。
状況的にすぐに実行できないもどかしさはあったとしても、基本的にはやりたいことをすぐ実行するようにしている。
なのに、「寂しさ」というやつはふとした時にやってくる。
やつがやってきた時は、「出たー」って感じになってとりあえずさっさと寝ることにしてる。だって、対処のしようがないから。
満たされてるのに、なんでやつがやってくるのか、いくつか仮説を立てた。
①満たされてはいるが、無意識の中で満たされてないことが発生している。
②以前より寂しさに対して対処できるようになったことからの寂しさ(要はやつがかまってちゃんということ。
ロジックで考えるとしたらこんな感じなんだけど、感情論で考えたら違う仮説が出てきた。ちゃんと言語化できていないが...。
自分を満たすためにこれが必要とかわかってて、仮に手に入れられなくても正直生きていける。
どんな最悪なことが起こっても、裏切られようが大失恋しようが、時間はどんどん進んでいくし、明日は勝手にくる。
幸せなことだけ起きればいいのに、世の中は不条理で嫌なことも起きる。
嫌なことが起きるくらいなら、知らなければよかったって思うけど、その後悔の前には必ず幸福に感じた瞬間があったわけで...。
自ら死にでもしない限りなんだかんだ生きていけちゃうわけよ。
とりあえず、過去の自分が抱いていた感情に共感するものがあって、寄り添ってあげたいけど、過去ゆえ寄り添えないもどかしさからくる寂しさかなって。
わかりやすくいえば、思い出を反芻動物みたいに戻して、またもぐもぐしてるみたいな。
それに寂しさは一時的にしても、埋められるってことを知ってるから、そこに理由を欲しくなる自分に対して寂しいと感じてる瞬間もあるのかなとも思ったって話。
寂しさに向き合うもいいけど、なくす必要もないんじゃないかな?とも思ってる今日この頃。
結局落ちなし。
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