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心臓病になって改めて生きてる幸せを知った人生『志尊淳』

1995年3月5日生まれの28歳

出身は東京都

本名は志尊淳

とあるオーディションで
「芸名?だとしたら、ずいぶん生意気そう」と
審査員の一人に言われるほど
本名だと思われない名前

ちなみに志尊と言う苗字は
全国で20人以下と言われている

幼少期は、先生からほぼ毎日母親が

呼び出されるほど

やんちゃ坊主だった

中学では野球部でキャッチャーを務める
体重は70kg。
実は野球経験に加え、剣道、水泳、サッカー、ボクシング、総合格闘技などを経験しているスポーツマンである

勉強する間もなく練習していたので、成績は中の下。
300人中180位くらいだった

だが悔しくなり
1年間で学年7位まで上り詰める

そして野球部引退後
母親から「1kg痩せるごとに1000円あげる」と言われやる気に火がつき
2か月で18kg痩せて52kgになり
1万8千円ゲットする

痩せると次々と芸能事務所からスカウトされるようになり、もらった名刺は20社以上

それでも、「素人では仕事を受けられない」と全て断り
ワタナベエンターテイメントスクールに通う

高校から芸能活動を開始し高校2年生で
舞台『テニスの王子様』で芸能界デビューを果たす

『初めてもらったお給料は家族にご飯を奢ってあげた』と語る

ちなみに高校は男子校であるが
バレンタインには他校の女子生徒から
合計40個のチョコレートをもらう

だが知名度が上がると
本名である『志尊淳』は珍しいため
実家がバレてファンが来たり
根も葉もない噂がたったりして
家族に迷惑をかけるようになってしまい喧嘩が増え
家族と溝ができてしまう

自立した生活をするため
朝はスーパーのレジでバイトをして高校に行き学校が終わったら稽古して帰っても練習を繰り返す毎日。
そうしてお金を貯めて
家族に迷惑をかけたくないという思いで
住民票も移し
17歳の頃に家出をして1年間家族との連絡を絶つ

そして1年後帰ると
母と祖母は大号泣。
姉からは「二度と帰ってくるな!」と言われてしまう

それを見て苦しくてしかたがなかったけど、自分で決めたことだし、やらなきゃいけないと思い芸能活動をさらに頑張るようになり
3年後の2014年には
スーパー戦隊シリーズ『トッキュウジャー』で
テレビドラマ初主演を果たし
どんどんと売れていきブレイクを果たす

2020年には新型ウイルスの影響を受け
医療従事者向けに
合計1000万円を寄付する

だが2021年3月に事件が起きる

今日なんかだるいな〜という感じだったが
いきなり心臓が『バッバッバッバ』となり息ができなくなってしまう

だがしばらくすると収まったので病院には行かなかったが
トイレをするとまた『バッバッバッバ』となり
家族に『顔色がやばい』と言われて病院行くと
『よく一人で来れましたね』と医者から言われるほど
重症だった

病名は急性心筋炎

そしたらそのままICU(集中治療室)で手術になる

そして本当にどうなるかわからないと説明され
死を覚悟し『死ぬ前に何かしたいこと』で
パッと思い浮かんだのが
『家族に何か言葉を伝えたい』

LINEで長文の遺書を母親に送る
それを見て母親は大号泣してしまう

手術は無事に終え一命を取り留める

それからは毎日、朝起きた時と
夜寝る前に家族に動画を撮って送り

その内容は『今日も生きたぜ』と心配かけないように
報告していた

家族の存在の大きさを改めて感じ
「日常で想いを伝えるってすごく大事」
『人生豊かになったな』って今では思ってます
と明るく話す

だがインスタのDMでは
「病気で死ねばよかったのに」と心無いメッセージが書かれてしまう

「いくらスルースキルを持っていたとしても悲しいし、こういうので気づかないうちにストレスが溜まったりするものです。」と語り

「もちろんこのようなメッセージは一部で、いつもメッセージやコメントを頂いている皆さんからは、元気もらってます。ありがとうね。争わないでね。」とファンに呼びかけた。

ファンからは「最後に“争わないでね”って書いているのは彼の優しさで、本当にステキな人だな」と応援するコメントが多く寄せられた

一時的に家族と疎遠になったこともあったが
今では色々乗り越えたからこそ
家族のありがたみ、日常の幸せを感じるようになった
志尊淳であった

#雑学 #志尊淳 #心臓病 #フェルマーの料理

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