「不登校は問題」文化から、「多様性が力」の時代へ
「不登校」という言葉を聞いて、あなたはどんな印象を受けるでしょうか?大変?問題?先行きが不安?
「登校拒否」の経験から言えること
私は、小学校の3−4年生の頃、学校に行きませんでした。
当時は「登校拒否」と呼ばれました。
私の場合は、小4の2学期に父の転勤の都合で転校し、そこで徐々に復学しました。
制服で片道徒歩30分かけて登校していた広島の都会の小学校から、私服でのんびりとした、片道徒歩10分弱の長野の小学校に転校し、生活も学校の雰囲気も180度変わりました。
(参考記事:子ども時代の思い出の地を、再訪するススメ)
しかし私は、復学したことが「私が不登校を乗り越えたこと」だとは微塵も思っていませんし、復学することが正解だとも思いません。
では「不登校を乗り越える」とは、どんな状態を指すのでしょうか?
下記に解説します。
「不登校を乗り越える」とは?
私の時代に「登校拒否」は少なかったけれど、私には何人かの「元登校拒否」の大人の友人がいます。
そんな「登校拒否時代」を経た大人たちを見て言えるのは、「不登校」を「問題」や「恥ずかしい過去」のまま抱えて大人になった人たちと、
「不登校は自分の強み」「不登校があったから今の自分がいる」といえる大人たちでは、今の人生を生きる態度が全く違うということです。もちろん収入にも差が出ます。
つまり、「不登校」を「問題」にしているか?「強み」にしているか?が、「不登校」を乗り越えたか?否か?の分かれ目です。
今の私にとっては、「不登校」はただの事象であり、ただの人生の過ごし方のひとつのスタイルにすぎない、という感覚です。
ただ、「多数と違う道を行く」という意味では、私は「不登校」が強みになる以外のことはありえない、と思っています。
不登校経験者であり、乗り越えている私にとっては、「不登校が問題」という感覚が、もう全く理解できないのです。
不登校を乗り越えた人って、どんな風?
この「不登校が問題ってどういうこと?」という感覚は、今不登校をしている子どもたちが「不登校」を乗り越え、なんらかの「自分の生き方」を築いて大人になったとき、同じ感覚だろうと思います。
「不登校」を乗り越えた人にとっては、不登校は善でも悪でもなく、「何でも無いこと」になるからです。
なのできっと彼らが大人になり、子どもを持って、その子が同じく「学校に行きたくない」と言い出したら、今の私と同じ反応をすると思います。
「そうなのね!ならば無理して学校に行く必要はないから、まずゆっくり休みましょう!」と。
そして「学校に行かない」という選択をする子の、その先の才能や咲かせたい未来について、思いを馳せるようになるのではないでしょうか。
不登校を乗り越えずに大人になるとどうなる?
一方で、不登校を乗り越えないまま「不登校の過去」を「恥」として大人になり、ただ時間系列的に不登校を終了させて(これ「未完了の過去」と言います)親になった場合、子どもが「学校に行きたくない」と言い出したら、「わたしのようにならせてはいけない!」と躍起になって、悩むことになるでしょう。
どんな仕事をするか?に関係なく、「不登校の過去をどう乗り越えるか」は、大人になったときの親としてのあり方にも影響しますし、世の中の不登校児をどう見るか?にも影響します。
もしあなたが過去を乗り越えていない元登校拒否児で、その子どもが「学校に行きたくない」と言い出したのであれば、それはあなたへの「登校拒否の過去を終わらせてほしい、乗り越えてほしい、そしてもっと自由になって欲しい」という、子どもからのサインに他なりません。
それでも「不登校は問題」ですか?
ここまで読んでみて、あなたはどう思いましたか?
やばい、何が何でもこの子を不登校から乗り越えさせないと・・・!!!
と、思いましたか?
あなたが「不登校は問題」だと思う人の場合、何が問題で、何が不安で、何が心配なのでしょうか?
ここで、このお話を考える上で大切なお話を2つします。
子どもは伸びたい方向に伸びる
1つは、大前提として、
「他者は変えられない」ということです。
たとえ我が子であっても、です。
こんなお話があります。
「我が子に才能の種を撒こう」と考える人がいます。
でも実は全ての子どもは、才能の種を既に持って生まれて来ています。
その種を育むのにベストな環境と親を選んで、ここを選んで生まれています。あなたを親に選んでいます。
愛しているからこそ、あれこれ与えたくなるし、
転ばないように先の杖を用意したくなる親心って、あります。
でも実は、健やかに種を育める栄養源は、
親からの信頼と愛情と、
転んでも立ち上がれる強さを育める環境にあります。
すなわち、彼らが伸びようとする方向を邪魔しないことです。
そしてあなた自身も、そうやってあなたの親や、これまでの環境や、このパートナー(妻・夫)を選んでいます。
観察者効果
もう1つ。
「観察者効果」という言葉を知っていますか?
「観察者の意識が、実験の結果に影響する」という話で、観察者がこうなる、と思った方向に、実験結果が傾きやすいというお話です。
コレはいわゆる「先入観の力」を表しています。
つまり、あなたが子どもをどんな前提で扱っているか?どう見ているか?が、彼らに現れます。
あなたは「この子は何があっても大丈夫!」と、信頼して子どもを見ていますか?
それとも「不登校はこの子の人生の汚点になり苦労する」と、子どもを心配していますか?
どちらの意識が、どうその子の将来に影響するでしょうか?
そしてあなたは、「信頼」と「心配」、どちらの意識で、子どもと関わりたいですか?
今あなたが取っている行動や子どもへのお世話は、
「信頼」に基づいていますか?それとも「心配」からですか?
ぜひ振り返ってみてください。
「心配」しちゃう方も、「信頼」している人も
ここまで読んでみて、「そうは言っても心配がやめられないの!」という方もたくさんいらっしゃると思います。
まず、「心配すること」のメリットがあることに気付いてください。
その心配、誰のためにしていますか?
誰かを心配してお世話することを辞めたら、困るのはあなた自身ではないですか?
我が子を「信頼」で見ている方も、「心配」から見ている方も、
ぜひこの問い↓について考えてみてください。
「我が子に不登校を乗り越える力があり、この子が大人になったとき、不登校を強みにして生きているとしたら、今わたしはどうしたいだろうか?どう生きたいだろうか?」
「不登校」という社会現象の背景
わたしは、今不登校の子どもが増えている社会の背景について、2つの目的があると考えています。
日本の国力を上げるため
1つは、日本の教育を変えて、日本の国力を上げ、日本人の良さを磨き上げていくためです。
今、個性的で優秀な人ほど、海外での教育を選んだり、海外で働くことを選んでいます。
私も自分が親になり、私の小学校時代とそんなに教育の仕組みが変わっていないことに驚きました。
そんな優秀な才能たちは、尖った「出た杭」を、隠さず削らずに済むように、どんどん海外へ流出しています。
私達も1回は流出した「尖った個性のある家庭の1つ」でしたが、縁あって日本に戻りました。これは、私達が日本の国力を底上げするための出来事だったと思っています。
実際私は登校拒否の経験から、自分が自分で要られる場所を求め、ずっと海外に憧れてきました。
しかし今わかるのは、環境や場所によって個性が発揮されるのではなく「どこにいても発揮される普遍的な自分」こそ、本当の自分の個性であり、コレを活かすか活かさないか?は、どこにいても自分次第だということです。
私は、優秀で個性的で尖った才能や感性を持つ「新しい日本人」が、日本国内でその才能を発揮し、日本で活躍できるようにしていくための環境整備を、コーチングを通じていていきます。
多様性の力を発揮して生きる日本に変わっていくということは、日本に国力がつくということと同義語だと、私は考えます。
大人たちの生き方を変えるため
もう1つの「不登校の社会現象の目的」は、今の大人達の生き方を変え、もっと自由にさせるためです。
これは「多様性を望む日本社会」にも通じます。
もしあなたが、不登校児の親であるならば、あなたは選ばれた親です。
その子の人生に必要だと選ばれただけでなく、新しい世の中を作っていくために必要な人だと選ばれています。
「不登校が問題」なんて、言ってる場合じゃないんです。
あなたは次の時代へ、コマを送ために選ばれた人間の、1人なんです。
不登校ぐらいのことで悩んでいる器の人間では、ないはずなんです。
私はまず不登校児を持った親たちが「生きる目的」を明確にすることを、オススメします。
私達と一緒に、「次の時代」を作っていきましょう!
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