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何もしなくても自分の価値は変わらない

あけましておめでとうございます。
年末に、学級閉鎖(上の子は元気)
→下の子インフルで
1週間早く冬休みに入り、

旦那の休みが始まったら、
旦那インフル→自分も体調不良

で気づいたら、
いつもより長めの冬休みが
何もしないまま終わってました。

1日あれば充分終わる量だった

昨日自分も元気になって、
子たちの宿題チェックと
学用品調達、ぞうきん作り

を一気に終わらせ、
なんとか帳尻合わせられました。

あんなに長かったのに、
宿題も、用意もビックリするくらい
何にもできてなくて、

でも結局、元気なら
1日あれば充分終わる量だったんだなと。

10年ぶりの何もしない日々

「活発性(ストレングスファインダー)」上位の私は
気がついたら、常に何かやっていたくて。

子どもの宿題とか自分の仕事、課題
とかも早めに終わらせていないと
気が済まない。

あと、すぐ忘れるので
「今やっておかないと、忘れちゃうかも?」
という不安もあり、

いわゆる『すぐやる課』。

いい意味で活動的。
悪い意味でじっとしていられないタイプ

なのでこんなに家にいて
しかも何もしない日々は、
本当に久しぶりでした。

「活発性」は人の3倍動いている

ちなみに、冬休み終わる前の2日くらいは、
「そろそろ動けそう…」と思ったんですが、

先月ストレングスコーチングで、
コスギさんから

「活発性さんは、人の3倍動いてることを意識して。
少々休んでも、止まっても全然問題ないですよ」

と言ってもらったことを思い出して。

こんな機会もめったにないし、
ここで敢えて「ゆっくりしてみる
のも、おもしろいかもしれないと思い、
ゆっくりしてみました。
着想も顔出してますね)

自分にはそんな事、めっそうもない

その甲斐があってか、
これからやってみたいことが
いろいろと、浮かんできて。

今までも「やりたいこと」は
たくさん浮かんできてたと思うんですが、

これまでは、無意識に自分の中の『何か』が
意識に上がってくる前に

「お前なんかにはそんな事、めっそうもないよ」

と言って、その気持ちを
どこかに押し込めてた気がします。

でも、年末にストレングスコーチングを受けてみて
正月休みをゆっくり過ごすことをしてみて、

「そうでもないんじゃない?」
と少しずつ、思えるようになってきました。

私は誰に何を責められているのか?

何が私に「お前なんか」と言っていたのか?は
まだよくわからないんですが、

年末のコーチングで、コスギさんに

「それは、ゆこさんが
負う責任じゃないですよね?」
とか、

「そのことで、ゆこさんは
誰かに責められたんですか?」
と聞かれて、

「ああ、確かに。
それは私の負う責任ではなかったし、
誰にも責められたりはしなかった。」

とそのとき、思って。
今までも自分で自分に

  • これ、自分のせいじゃないよね?

  • 誰かに何か言われた訳じゃないし…

って思ってましたよ。
(そう思わないとやってられないですよね)

でも、それを
自分のことを理解してくれている
人に言ってもらえた

というのがすごく大きかったなと。

「こうでありたい」という自分はいっぱいいる

自分を責めるものの正体については
まだよくわからないし、
上手く説明できないんだけど

自分の中に
「こうでありたい」という自分がいっぱいいて、
それぞれせめぎ合っていて。

その中でも
「(社会的に)こうであるべき」
「身近な人はこうであった」

みたいな部分は目立つから
いつもフィーチャーされやすくて、

フィーチャーされにくい自分が拗ねてしまって
奥に引っ込んでしまいがちに。

でもその自分も居なくなったわけじゃないから、
定期的に顔を出しては、ちょっかい出してくる
のを繰り返すイメージです。

やりたいことをやりたいと言えるようになってきた

上手く言えないんですが、
ざっくり言うと年末年始で

①自分が自分の中にいっぱいいて
その中に拗ねてる子がいる
ことがわかって

②何にもしていなくても
自分は何にも変わらなかった
こともわかって

③拗ねてる子の所にも
たまに顔を出して、慰めてあげて
「大丈夫、忘れてないよ。
寂しかったんだよね」
って言ってあげたら、

④自分がやりたいこと(やりたかったこと)
が少しずつわかって
きた

という感じでした。

たぶん、怖かっただけ

誰か(たぶん、自分)に責められるから
やりたいことができなかった
わからなくなってた

というより、ただ怖かっただけ
のような気もしますが。

何が怖いかって、
自分ってしょせん、こんなもんなんだな
って気づいてしまうみたいな、

なんか45歳にもなって、
思考が中2レベル?で恥ずかしいんですが。

何もしてなくても、自分の価値は変わらない

書いているうちになにが書きたかったのか
よくわからなくなってしまって。

でも、ストレングスコーチング受けてみて
少しずつだけど、
自分で自分に納得できるようになってきて

やりたいことが素直に言える、
できるようになってきたな
という実感が今すごくあります。

変わりたい!って思ってきたし、
変わろうと動き出せているなと。

年末年始何もできてなくて
普段なら、何もできてない自分=価値のない自分
って思って凹みそうだけど、

一歩引いて、

何もできてないけど、何も変わらない
=何もしなくても、生きる価値がある、

それでも誰かに必要とされてるんだな、自分と(自画自賛)。

それだけが言いたかった(書きたかった)です。

読んだ本の感想も書きたいので
忘れないうちに、次もnote書きます。

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