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「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる言葉①「子どもとの適切な接し方」編
小林公夫さんの
「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる言葉
を読んでいます。
この本の前に
「勉強しろ」と言わずに子供を勉強させる法 (PHP新書)
を読んで、おもしろかったので、
「言葉」の方も読んだのですが、
「言葉」の方が具体的でおもしろく、
心に響く言葉が多かったので、
こちらをまとめてみます。
女子高生の投書
この本の冒頭(はしがき)は
買い物での「よくある親子のやりとり」
(おもちゃで遊んでいる子どもと
それを止めさせたい母親)を見た女子高生が
その母親に対して
「叱らずに怒っている」と
批評(非難)する投書から始まります。
この投書に対して、著者は共感。
その話を奥さんにしたところ、
母親は、何年も何年も四六時中子どもの世話をし、
責任意識に縛られながら、意のままにならない子どもに
心を乱されている。
そんなつもり積もったストレスが外出先で噴出してしまうことは誰にでも経験があるはずで、感情を抑えられない場合もあることに理解を示してあげなければならない。
子どもに辛くあたってしまうことを一番悲しんでいるのはこの母親のはずだ。私にはこの母親の気持ちが痛いほどわかる。
と言われて、考えを改め
親も、日々揺れ動く感情を持つ一人の人間であり、
子どもの家庭教育には、善悪の理論だけで語り切れない難しさがある
と実感したそうです。
それでももし、この母親が
子どもへの声かけを少し変えられていたら…?
子どもに怒るだけのやりとりではなく、
もっと前向きで穏やかなやりとりになったのでは…?
という仮定からこの本がスタートします。
子どもとの適切な接し方って?
正確に伝達できれば、言葉は魔法の力を帯びる
言葉の魔法の効力を発揮するための信頼関係
善悪の理論だけで、家庭教育は語り切れない、
でも、『教育を促す適切な接し方はある』というのが
この本の要旨です。
なので、「子供を勉強させる言葉」というよりは、
「子供との適切な接し方」がメインで、
また、著者の考える
「公共性のある子ども」に
自然と導くための言葉がけ
について書かれているので、
受験の有無にかかわらず、
著者の考える「公共性のある教育」に共感できる人
言葉がけを通じて家庭教育について考えたい
子どもとの関係を変えたい
人には刺さる言葉が多いと思います。
何気なく子どもにかける言葉は両刃の剣
(何気なく子どもにかける言葉は)
使いようによっては魔法の力が宿り、
それを間違えれば、子どものやる気を損ないます。
主として言葉の力の影響を受けるのは「言葉の受け手側」
しかも、親密な相手に対しては甘えの気持ちがあり
言葉の選び方が粗雑になりがちで、
思いの食い違い、誤解が生まれやすくストレスにつながりやすい。
なので、子どもにかける言葉だけでなく
『言語以外の表現力』と
『双方の意識レベル』が大変重要になるそうです。
大人の思う「ちゃんと」と子どもの思う「ちゃんと」
「ちゃんと」というとあいまいなイメージですが、
ここでは「一生懸命やる」とか
ついつい経験値の高い大人のイメージで
さらっと話してしまいがちな言葉を
より具体的な目標とか到達点を
子どもがイメージできる
より具体的な言葉で伝えること、
また誤った言葉がけのために
子どもがおびえてしまったことも
具体例を通じて書かれています。
ここについては、言われてはじめて、
「なるほど!確かに!」と思うことばかりで。
赤ちゃんの時は、わかりやすい言葉で
身振り手振りしていたのに、急に成長し、
急に大人びた口調になった子ども(小3娘)に対しては、
ついつい「わかってるだろう」
「伝わってるだろう」と思ってしまっていたなと。
あと、最近「引き算」でつまづいている
息子に対してそろばんの先生が
「小さい方を引く」と伝えるより
「チビの方を引く」と伝えたら、
わかりやすいかったみたいです!
と言っていた話を思い出しました。
まだまだわかってるようでわかってないことも多いんだなあと。
まず「判断」という言葉を教える
これまでは先生は皆さんに、いろいろなことを教えてきました。
全部教えたことの中からどれをやったらいいか、自分で選ぶのが判断です。
(中略)
「判断」という新しい単語を理解すると、
子どもたちはより深くものごとを捉えるようになる
(中略)しっかりと考えて結論を出すようになります。
最近小3娘に、
「お母さんが勝手に決めたことでしょ!」とよく言われるんです。
私としては、子どもに確認してから
2人で決めたつもりだったんですが、
こどもは「私はそうは思っていないよ」ということです…。
「判断」の練習の重要なポイントは、間違った選択が許される点
(中略)
ひとまず「こっちをとってみよう」と判断できたこと自体に価値がある
親はついつい
「こっちの方が失敗しないだろう」とか
「効率がいいだろう」と思って、
子どもを誘導しがちになるんですが、
こどもに「判断」させること自体に価値があるし、
そのために勉強しているのであり、
最終的な自立のためには必須の経験になるはずだから
まず「判断」という言葉を教えて、
「判断」させる経験を増やしていくのが大事だなと思いました。
こどもの「キックミーゲーム」
「~しなさい」をやめれば、親子の信頼関係が生まれる
これは、頭ではわかる。でも難しい…ですよね。
キックミーゲームとは
「僕のことを怒ってくれ」と
子どもがわざわざ怒られようと行動する行為や現象で
本当は、親からの愛情や承認が欲しいのに
それが得られないから、
否定的な形でもいいから関心を示されたいという欲求の現れ
このゲームは「親が怒ると子どもの勝ち」で
子どもは「親を怒らせる」ために、
無意識レベルで親に対して嫌がらせする。
それに対して、
もともとはこどものために、
規則正しい生活をしてほしいから
「~しなさい」と言っていた親も
それがかなわないのが悔しくて、
命令し、支配したく(勝ちたく)なり
子どもの仕掛けたゲーム
(子どもは親を挑発し、親は子どもをとっちめる)
にまんまとのってしまう。
うちはまだ常態的にはここまでこじれていないけど、
たまに母娘でイライラがマックスになり
このような状態になるときが今でもあります。
この終わりのないゲームにのらないためには
「余計な声かけ(~しなさい)」をせずに、見守ること。
信じて見守ってほしい子どもとモヤモヤする親
こどもを信じて、
余計なこと(やっぱり。~だから、~だったでしょ)を語らず、
見守ることが大事なのはわかる。
でも、やっぱり、ついつい
思ったことをそのまま言ってしまう。
本当に大丈夫なのか不安でモヤモヤ…
になりますよね…?
「あなたが困る」ではなく「私が困る」と伝える
それって、「あなたが困る」ではなく
「私が困る」ことだからかも?
あなたのために…
あなたのことを思って…
と言いながら本当は、「自分のためにそうしたい」のかも?
「あなた(を批判する)メッセージ」ではなく
「わたし(を主語にした)メッセージ」で伝えることが大事
とトマス・ゴードンの「親業」の話がここで出てきます。
トマス・ゴードンの「親業」、私も読んだのですが、
ちょっと長くて読み切れなかったので
こっちの本の方がおすすめです。マンガつきで
能動的な聞き方
わたしメッセージの方法
勝負なし法
について、具体的に理解できます。
(わかると、できるは違うけど)
自分の気持ちが分からないと伝えられない
「わたしメッセージ」の難しさは
自分がどうしたいのかわからない
自分が大事にする価値観とその伝え方がわからない
価値観が対立した時どうしたらいいかわからない
という感じなのですが、
こども自身は、自分がどうしたいのか
(何をしたくないのか)はよくわかっていて、
そこを強烈に訴えてくるから、
まずそこで親は負けちゃう、
せめて自分の大事にしている価値観について
伝えられればいいのですが、
それもよくわからない…となると
もうそこで負けが確定してしまう…という感じなんです。
人や社会がいうままに教育できる時代なら
それでもよかったけど、「それぞれの価値観による」
時代の教育は、
まず親の価値観が定まっていて
それを言語化できて、
かつそれを子どもと話し合ってすり合わすことができる
ことが前提なんだなと思いました。
あとがき 「変わる変わらないは子どもの責任」
長くなってしまったので、続きはまた次回に。
親が子どもに信頼されるためには(中略)
地道な努力と忍耐力が必要になります。
そして有能なコンサルタントとして子どもと向き合い、全てを伝えた上で、変わるか変わらないかの責任は子どもに委ねなければなりません。
あなたは愛情を与えても、考えを与えてはならない
「人事を尽くして天命を待つ」という感じですね…。
いまちょうど小3娘が国語で読んでる
「小学生のまんが ことわざ辞典」にもコレのってました。
子育ては人が「人事を尽くす」べき、一大事業であり、
しかもその結果は、「信じて待つ」しかないという事実
を認めることからはじめないといけないですね。