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主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら②
2020年に韓国で刊行されたこの本の原題は
「あなたが家で遊んでいるというウソ」で、
韓国では、共産主義は北朝鮮との関係があると見られ、マルクスや『資本論』は社会的にタブーとされ…
ているため、
日本語版のタイトルを聞いたときに少し驚きました。『資本論』という本が、日本で社会的に受け入れられる土壌があることに対してです。
と思われたそうです。
「82年生まれ、キム・ジヨン」が
ベストセラーになり、映画化され、大きな反響があり
私も読みましたが
地理的・宗教的な要因から
「女性の生きづらさ」をていねいに表現すること、
現状を変えようと試行錯誤していること
について
この2冊から、韓国では日本よりも
数歩先を歩き始めることになった原因が
少し見えて
歩き続けようとする意志も手法も見えてきているのに
(でも日本では…どうなんだろう?)改めて感じました。
私が「専業」主婦になったのはいつか
専業主婦という名前をもらって家に「収まった」とき、
私は大平原にひとり放り出された気分だった。
旦那と結婚するために(諸事情あり結婚未定のまま退職した)
会社を辞めて、大分に引っ越しした時?
でもこの時はまだ「失業手当」をもらっていて、
社会的には「受給資格者」という肩書があった。
その後すぐに派遣社員になって、働いて、
契約が切れたらまた失業手当をもらって
別の会社に派遣されてということを2回繰り返し、
その後、運よく職業訓練校に当選、
半年間通いましたが、
この時は「職業訓練生」という肩書がありました。
(今は離職者訓練というらしい)
その後また派遣→失業保険を3回繰り返し、
「妊活に専念する!」と決めて、
派遣社員を更新せずに辞めた時に、
「妊活中の女性」という肩書に変わり、
この時から
ゴールも評価も、仲間もいない世界が始まり、
私の専業主婦期間が始まったと思います。
今からちょうど10年前、私が34歳の時でした。
著者(チョン・アウン)は、2人目妊娠中に退職し、
育児+出産(のち育児)を控えた状態で専業主婦になったので、
私より孤独感も、脱力感もすごかっただろうなと思いますが。
できるだけ「いい印象」でいなければ
それは、資本主義の時空が食い込んできていない、
もしくは、わずかに食い込んできてはいるが
中心部分はほとんど侵されていない、
ある意味、中世に近いと表現できる場所だった。
お金ではなく「関係」が中心となるところ。
物質より「精神」が重要視されるところ。
子どもがいる主婦(妊娠期&産後)と
子どもがいない主婦(妊活)を経験してみて、
私が感じた違いは、
地域とのかかわりの有無です。
妊娠がわかり、
母子手帳を受け取り、(市役所)
地域の産院に移り、毎月の健診
に合わせて母親学級(保健センター)
と地域で行われる行事に参加し、
見知らぬママさんたちと出会う機会があるたびに
「この(今まで接したことのないタイプの)人たち
の子どもと私の子どもが同じクラスになるんだろうか…」
と無意識に感じ
できるだけ「いい印象でいなければ」
とそのように振る舞っていた気がします。
家でひとりでこの子と24時間対峙していく自信がない…
やるべきことの正確な範囲も、
やらなかった場合のペナルティの上限も、
はっきりと同僚だと言える人も、
任期はいつまでという指針も、一切ない漠然とした仕事。
けれども、これまでやってきたどんな仕事よりも肩の荷が重い仕事。
無事に出産を終え、(心臓弁の一部発育が遅いと診断された以外)
ひとりめの「産後」を迎えた私は、
とにかく「寝ない」娘に驚きました。
県立病院で出産したため、
産後1日目(夜中に産んだので次の日の昼)から母子同室。
(しかも産婦さん他の方とも同室)
新生児室で預かってもらって寝る
ができなかった上に、
病院では抱っこではなく「コット」と言われる
新生児用のキャリーベッドに載せていないと
移動不可と言われて、部屋を出て抱いてあやすこともできず…
夜中に泣かれるとほかの産婦さんにも迷惑をかけるし…
はやく、家に帰りたい。
でも、家でひとりでこの子と24時間対峙していく自信もない。
誰に何をどんなふうに頼ればいいのかも分からない。
「すぐ大きくなって、寝るようになるから」と言われても
すぐっていつ?あと何年?寝るって何時間??
「子どもによって違うけど…4歳くらい?」
…。出産に3日、生まれて1日でもこんなに長く感じるのに
4年後って…いつやってくるの??
旦那さんとは離れた部屋にベッドを…
お金を払わなければ生活に必要なものを
なにひとつ手に入れられない世界に住みながら、
自分がした仕事、すなわち家事に対しては一銭ももらえない人たち。
無報酬でおこなう自分の仕事を「仕事」と言えない人たち。
4日後、窮屈だった産婦人科からやっと出られる
というホッとした気持ちと
ここで育児がこれからはじまる…という不安な気持ち
とともに帰宅した私に、出迎えてくれた母から
『夜中に子どもが泣く(とうるさい)から、
旦那さんとは離れた部屋に(母子の)ベッドを置かないとね。』
と言われて、今まで寝室にしていた部屋から
いちばん離れた部屋に母子のベッドが置かれることになりました。
言われている意味は…わかりすぎるほど、わかる。
『あなたがこれからやるべきは、
ただの「子育て」ではない。
「旦那に迷惑をかけずに子育てをする」ことだ。』
という(母というより、この社会の)メッセージが、
込められているということに
いまは気づくことができるけど、
その時の私は、それに気づくことができず、
(母もそうやって私たちを育ててくれたので)
私は『いや、そうじゃない
旦那さんと一緒に育てたいから、』
という言葉も思想も持っていなかった。
私が母にそういえば、母も、
「そうなの?〇〇(旦那)さんがいいなら、いいけど…」
と言ってくれたはずだし、
私が旦那にお願いすれば、旦那も
「俺、起きれるかな?わからないけど、がんばる」
くらいは言ってくれた気がする。
(全然起きなくてよりイライラが募った気もするけど苦笑)
ちなみに、私の妹は「共働き(産休)」ですが、
夜中は旦那さんと妹のどちらかが起きて
ミルクをあげることにしているらしく
(みんな一緒に寝てる)
旦那さんの睡眠タイプもあるけど、
(妹の旦那さんはショートスリーパー)
(うちの旦那はよく寝るタイプ)
私が「共働き」だったら?
母に、旦那に、
『いや、そうじゃない
旦那さんと一緒に育てたいから、
一緒に(せめて近くで)寝てほしい』
と言えたような気もするんですよね。