「母」と「娘」
〇「家族」
いまだに「家族」に強くあこがれを持っている。
私には、母も、父もきょうだいもいる。
周りから見れば普通の家庭で育ったし、金銭的にもだいぶ恵まれているな、と思う。
母親と父親が愛し合っていて、母親は私のことをとっても愛していて、愛されているということを常に実感していながら育ち、母の日には何のためらいもなく「ありがとう」といえるような、そんな理想的な「家族」にあこがれています。
◐母と娘
三人兄妹の末っ子に生まれた私は、物心ついた時から母と父が会話しているのを見たことがなかった。
頭のいい子供だったと思う。
姉と兄をみて、怒られることや親が嫌がることを学習しそれを徹底的に避ける保守的で手がかからない子供だった。
そのせいで家族で深く関わる機会がなかった。
誉められた記憶は正直ない。
母親のどこにあるかわからない地雷に怯え、毎日のように怒られ、否定され、それでもどこかで愛されている可能性を捨てきれなかった幼い私はなんで健気なんだろうと、今では思う。
小学生の時は家に帰ると、台所の包丁をお腹にあてて毎日死にたいと願った。死ぬ勇気すらない自分に心底幻滅した。
そのせいか今でも死ぬことを駄目なこととは思えない人間になってしまった。
そんな私もある女性のお腹から生まれた。
母は思い込みが激しくヒステリックな人だった。
決して母親に向いている人間ではなかったと思う。
いつも精神的に不安定で、いつ怒り出すかわからない母に私たち家族はいつも怯えながら過ごしていたと思う。
台所から水を流す音が聞こえたら走って一回へ行き家事を変わらなければいけない。
車で後部座席に乗ったら「私はタクシー運転手じゃないの」と怒鳴られ車から降ろされるから助手席に乗って母の愚痴の相手にならなければいけない。
母の問いかけに、答えれば「何様だ」と罵られ答えなければ「あんたと話しても全く面白くない」と否定される。
母は過干渉だった。高校も大学も母の希望通りに進んだ。
なのに母は、私に無関心でもあった。
私は悩んでいることや、好きなこと、楽しいこと、やりたいことにはとことん興味がなかった。
なので母に相談事はおろか、自分の意見や想いを自分から言ったことはない。
そんなことをすると、無視されるか我儘だ自己中だと怒鳴られるかのどちらかでしかないと幼い私でも学習済みのライフハックだった。
◑「娘」ではない私
反抗期もなく、親の前でも他人の前でも嫌われないように顔色をうかがいながら生きていた私が変わり始めたのは大学に入ってからだったと思う。
一人暮らしを始めた。
精神的に安定してきた。
一番の理由はやはり母と物理的に離れたことだった。
母を考えて、自己嫌悪に陥ったり恐怖する時間が減った。
そして一人暮らしの家ができたことで「心を休める場所」があることを初めて知った。
でも一番の理由は私を否定する人が近くにいないことが大きかった。
そのことによって私は生活の安全・安心を得た。
大学には頭がよく、教養の深い人が多かった。
自分と他人の違いを否定や迎合せず、ただただ受け入れ、
認めてくれる人たちだった。
私の家族について他人へ話したのもこの時からだった。
私の地元は田舎で頭の固い人が多かったので「親には感謝しなければ」「子供を愛さない親なんていない」と受け入れられないことは知っていた。
大学の友達は私の境遇を受け入れてくれ、理解してくれる人たちだった。
可哀想と憐れむこともせず、親に感謝できない私を責めることもされないことで私は少しずつ自分のことを受け入れることができた。
大学では好きな勉強をすることもできた。
わたしは元々親から逃げるために勉強に励んでいた。
私の成績にも興味のない母が私に勉強を強制してくることはなかった(しかし成績結果には咎めてくる)が、親との時間を合法的に減らすことのできる勉強は私にとっての最高の逃げ道だった。
幸い私は勉強が好きだったので、大学でも勉強することは苦ではなかった。
大学では自分が興味のある勉強の一つである、「家族」について学べたのも大きな成長であったと思う。
●私はわたし
自分の生活の安全を確保できたことで、私のまわりには有難いことに私を認めてくれる人が多くなった。
そこで私はある日、遠慮ながらに思い始めた。
もしかして私にも、、愛される資格ってあるのかも、、、。
愛されないことが普通、私は愛される資格なんてないと洗脳され続けた私にとってはエジソン並みの発見だった。
そして自分の自己肯定感が低すぎること、母親へのコンプレックスがありすぎること、一つずつ解決していくことが今も続く私の人生の最大の目標になった。
「毒親」
その言葉を知ったのは高校二年生の時だった。
虐待されているわけでもない、ネグレクトでもないのに親に対し苦手意識を持っている私は悪い娘だと思い込んで自己嫌悪していた私にとってこの二文字にどれだけ救われたかは計り知れない。
そこからスタートし、「愛着障害」、「アダルトチルドレン」、「モラル・ハラスメント」という言葉も知ったし、たくさんの文献を読むことで女性が母親になったからと言って自然と子供を愛せるわけではないことも改めて知った。
(本当の本当はそんなの認めたくない愛されたいもん)
わたしは母と話すときは一段と声が低くなる。
喜びを見せると母は私に嫉妬して攻撃するだろうし、悲しみや不満を見せると母は私の弱さを指摘してけなすから、声の抑揚を抑えて感情がわからないようにする。
それだけではない。声を低くすることで「あなたと話すのが苦手なの。」とせめてもの反抗をしたいのだと思う。
幸せな顔は特に見せない。私が不幸であることを知って自分の育児が失敗しているということを反省すればいいのに。
そんなことを考えてしまう。
私には人に話せない弱点がたくさんある。
無意識にうそをついてしまう(話を盛ってしまう)こともそう。
相手が喜びそうなうそを平気な顔でついてしまう。
エピソードトークなどではわざと話を盛って大きくする。
これは私が承認欲求が人一倍強いことが原因であると思う。
また思い込みが激しく、被害妄想が強いこともある。
「あの人は私のことが嫌いなんだ」と考えると、相手のちょっとしたしぐさや言動まで意味あることにしていまい、深く落ち込んでしまう。
他人からの評価が低いことを何度も自分に言い聞かせ、自分がたちのない人間であることに一種の安心を求めているとさえも思う。
このような特徴はアダルトチルドレンに良くあてはまる。
自分が悲劇のヒロインかのように思い込むこと、承認欲求が強いこと、被害妄想がつよいことはそれと同時に、母の性格ととても似ているのである。
アダルトチルドレンを脱却し、母の呪縛から解かれることの二つは私が幸せになるうえで避けては通れないいばらの道だと思う。
でもやらないといけない。
まずは母には愛されていなかった、今後も愛されることはないという事実をしっかりと認め、受け入れることから始めないと。
これを受け入れるには相当の覚悟と強さが必要であることは承知している。
母から自立した完全な「わたし」になるにはまだほど遠いけど、
私は「わたし」なので。
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