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戯曲「ダブル」になった漫画「ダブル」/【舞台感想】

舞台「ダブル」を見てきました。
帰った後、鞄を放り出して着替える時間も惜しくてそのまま本棚にあるダブルの漫画を引っ張り出し、貪り読むように読み直し、「「ダブル」って、そういうことだったんだ…」と放心しました。
とにかく舞台を見終えた後に、ダブルの漫画をもう一度読み直したくて、必死だった。

ダブルという漫画に出会ったのは私は2年ほど前だったと思います。
当時はまだ二巻までしかでておらず、初めて読んだ時、二巻で描かれた美しすぎる「嫉妬」の描写で私はこの作品に恋しました。
でもどうしてこの漫画が素晴らしいのか、見たこともない演劇作品も扱われているのにどうしてこんなにも一つ一つの台詞に惹かれてしまうのか、ずっと自分の中で上手く言葉にできない作品でした。
舞台「ダブル」を見て、ようやく野田彩子先生がなぜこの作品を描こうと思ったのか、理解に一歩近づけた気がする。

舞台を見て、ようやく「ダブル」という作品の凄さが本当の意味でわかった。

自分が好きだと思った漫画が、より深く、かけがえのない漫画に変わった瞬間。
これはそんな今更人間の舞台の感想でもあり、漫画の感想でもあり、そもそも長く2.5次元舞台を色々見てきた自分にとっての2.5次元舞台って?とか、いろんな思いがいろいろ入り混じる雑文です。
原作が好きなんだけど舞台版は裏切らない?って不安になって感想文を探している人。舞台を見終えて思わず私と同じように原作を読み直して他の人の感想が見たくなった人。そもそもダブル知らないんだけどそんなに舞台よかったの?そんな人たちとに少しでも、舞台「ダブル」という作品が届きますように、そしてあわよくば一緒にこの舞台の意味を改めて考え、分かち合えたらいいなと思います。

舞台「ダブル」は2.5次元舞台か?

2.5次元舞台がここまで根付いた今、その言葉の意味は「漫画/アニメ原作を舞台化した」という意味で使われており、気づいたら各々の中でなんとなく2.5次元に求めている「正解」があると思います。
「原作をリスペクトし、忠原作実であること」「2次元であったキャラクターを生身の体で再現すること」……など、色々ひとりひとり2.5次元舞台に求めるものはあると思うんですが、刀剣乱舞のような原作に物語性がさほどなく各コンテンツに合わせた理想的な物語展開ができるような作品は置いておき、2.5次元の面白さの一つに舞台でしかできない物語の「再現性」にあるんと思うんですね。
原作である程度重要な山場のシーンがあり、その山場を迎えるため、舞台という短い尺の中で削ぎ落としながら重要なエピソードを抽出し練り上げる…、原作を改めて再構築するのが2.5次元舞台。だから、原作を未読な人間がいくと100%楽しめないところもあり、演劇界の中でも特殊ジャンル扱いを長くされてきた面もある。
舞台「ダブル」を見るまで私もそう思っていました。

けれど、舞台「ダブル」には忠実な原作再現はありません。

シェクスピアの舞台も、三人姉妹も、映画・露命のシーンもない。
原作からの「再現性」を期待していった人はもしかしたら「あれ?」と思ったかもしれません。
舞台は、多家良が引っ越した後のマンションの一室から始まり、その部屋の中だけで全てがはじまり、終わります。1巻~2巻の話は断片的に会話の中でエピソードと抽出されるし、稽古場のシーンを実際に見ることもないし、ダブルの中で演じられる舞台自体も見れないし、黒津監督との会話もない。
ダブル四巻の「初級革命講座 飛龍伝」のエピソードにたどり着くため、そして、それをつかこうへいの作品が演じられ続けた聖地・紀伊國屋ホールでやるために構成され直しています。

それでも、舞台「ダブル」は2.5次元舞台なんです。
原作のコマやキャラクターを忠実に再現するのではない。原作にとって目には見えない重要な「核」を舞台で再現した。

それぐらい大切に扱うほど、漫画「ダブル」にとって「初級革命講座 飛龍伝」は物語の核であったことに、今回の舞台でようやく気づきました。それは、自分にとって新しい2.5次元体験で、見れたことに私は感謝しています。

ダブルの作品の「核」にあった初級革命講座 飛龍伝

私は野田彩子先生が、「つかこうへいの作品で初めて見たのは初級革命講座 飛龍伝」というぐらいに思い入れがあり、「漫画で初級革命講座 飛龍伝をやりたかった」のが構想にあって「ダブル」が生まれたことを今回の舞台化きっかけで過去のインタビューを読んで知りました。

わたしが初めて観たつかこうへい作品は、2015年に紀伊國屋ホールで上演された「つかこうへいTriple impact」の『初級革命講座 飛龍伝』でした。正直、観に行った動機は推しの役者が急遽、出演することになったからだったんですが、舞台そのものが本当に素晴らしくて。帰りに劇場の階段を降りながら夢心地だったんです。それは滅多にない経験で、それ以来ずっと『初級革命講座 飛龍伝』を漫画で描く機会を狙っていて、今回ようやく実現しました。

漫画ダブル第4巻発売記念インタビュー

読者である私は四巻読んだとき「あ、つかこうへいだ」「野田さん、つかこうへい作品好きなんだ」ってぐらいの受け止め方で多宝良、友仁、愛姫の関係をこの戯曲にはめて重ねてくるのすごいな…というという感想で止まってたんですよね。

(※ちなみに書いている私は、つかこうへい作品はここ数年の紀伊國屋ホールでやった熱海殺人事件を何作品かと蒲田行進曲、飛龍伝2020は見ているが、「初級革命講座 飛龍伝」は見ていないです)

そもそもの構想が「初級革命講座 飛龍伝」を見たから生まれて、そのつかこうへい作品にある人間の生々しい愛や人生と生身に生きる役者の恋や愛を「ダブル」で重ねる構成であったことが、「ダブル」というタイトルに隠された一つの意味であったことに、誰が一巻で気づこうか!?
でも読者のわたしたちはきっとつかこうへいの飛龍伝を知らない人たちがほとんどで、つか作品を知らない人でもおもしろいのがダブルです。
それでも野田彩子先生が当時つか作品を見て受けた衝撃に近いものが読者の私たちも体験しないと、「ダブル」の漫画の衝撃は本当の意味では味わえないわけで…、恐れずいうと、そのためにダブルの中に「初級革命講座 飛龍伝」を知らない私たちでも体験できるように「露命」という作品があったように再読で感じました。「露命」というダブルの中にある作品は、確実に飛龍伝に影響を受けた野田彩子が考えた作中内映画だった。

「自分も他人も関係なく
露命
儚い命を燃やして
失うものは多く得るものはわずかだ
そんな人間の戦いの物語です」

野田彩子 ダブル 2巻より


ダブルにとっての「露命」って、学連の革命に生きた若者たちの「取り返しつかねえあの愛の日々」を描いた飛龍伝であり、つまり、つかこうへい作品じゃんかよ〜〜〜〜〜〜〜〜!???(舞台を見た直後の再読後の心の叫び)

ずっとこの物語の核につかこうへいの作品を見た感動が忘れられなかった野田彩子と「初級革命講座 飛龍伝」が居続けていたことを知って読み直す「ダブル」の話の構造の面白さ、脳汁が溢れ出してくる…演劇への知識がある人たちが読む「ダブル」ってこんなに深かったんだな…(今更)

青木豪がまとめあげた戯曲「ダブル」

という、つかこうへいの作品を好きな人や「初級革命講座 飛龍伝」を知っている人が読み解く「ダブル」の面白さに関しては、もうすでに有識者の素晴らしいブログがあるため、もし読んでいない方がいらっしゃったらぜひこちらをお読みください…、状態なので割愛させていただくのですが、今回の舞台「ダブル」の脚本が私は素晴らしいと思ったのは、つかこうへい作品をまだ演劇として浴びていない人でも伝わるように、懇切丁寧に、面白く、エッセンスを散りばめ、原作にも登場してきた古典演劇をわかりやすく解説をいれながら取り入れてくれたことです。すごく演劇への愛があると思った。
なのでこれから見る人がこれを読んでいたら安心してください。
舞台ダブルを見る上で、つかこうへいを知らなくてもいいし、もしきっかけに知りたいと思った人はこれから知ればいい。というか「ダブル」の漫画がこれだけ核に、飛龍伝とつか作品への衝撃があったことを本当の意味で理解していた読者は半分ぐらい…なのでは…、と思うので今後の原作のことを思うと、少しでもその核に触れられた人が舞台でいることは今後の漫画を2倍楽しめるきっかけではないかと。

今回の一つの室内の中で繰り広げながら展開される平坦な会話劇の手法で「ダブル」を構成し直すのは、演劇への愛が込められた「ダブル」という作品への最大のリスペクトだと思いました。ただの舞台化でも、漫画を演劇用の脚本にするでもなく、演劇としての戯曲化した戯曲「ダブル」。
もしかしたら現場ではつか作品のようにどんどん役者の演じ方によって台詞を変えるような(演劇用語で言うと口立て)こともしていたのかもしれないな、とも思います。それぐらい台本を感じさせず、演じている感がない。自然な日常の延長の会話劇があって、それをなんでもないように構成している脚本も、演じ切った役者も凄い。語彙がないので凄いと言う言葉を連呼することしかできないぐらい、「当たり前」が凄いってことが成立してしまう構成が圧巻でした。これ本当に漫画が原作にあったんだっけ…? あ、ありました…(再読した人間の感想)

あと、完結しておらず、またエピソードのどこを切るか非常に難しい作品を脚本にするにあたってラストシーンは相当悩まれたと思うのですが…、最後、秘密を打ち明けたあとの二人が日常の続きに戻ろうとするラスト。本当にこれで終わっていいのか?ってぽっかりと心に穴が空いた状態で、まだ見ていたいと祈りながら見ていた、こたつに入って舞台DVDを見ながら飯を食う二人の幕引き…、この先の「ダブル」がどうおわるかはわからないけれど、つかこうへいの飛龍伝から着想があり、1巻から匂わされている通り二人の青春はやがて取り返せない「終わり」を迎えるかもしれない…と思う中であの少しでも二人の日々を引き伸ばそうとする「取り返しつかねえあの愛の日々」で終わるラストシーンは、苦しくて、切なくて、愛しくて、今の戯曲「ダブル」でこれ以上ない終わりだと思います。

「やっぱ俺、友仁さんのこと好き」
「味付けが」

この台詞に取り返しつかねえあの愛の日々をなんとか必死で続けようとする多家良の恋が詰まっている。役者として、友仁さんの隣に立つことを選ぶ多家良の決断が。
最後のラストシーンの台詞たちが今でも原作にはない台詞であることが信じられないぐらい、友仁と多家良の言葉でした。舞台を見て、漫画を再読した今、改めてあの最後のシーンの愛しさがわかる。今の原作でこれ以上の幕の引き方はない戯曲「ダブル」です。

つかこうへい作品を愛した演出家・中屋敷法仁が演出する「ダブル」

そんな演劇愛も詰め込んだ脚本に、至る所につか作品のエッセンスを散りばめた演出。
もしかしたら、つかこうへいの演劇を一つも見ていない人には伝わらないかもしれないという曲選びや、演出もいくつもありました。でも、冒頭に描いたとおり、「ダブル」という漫画は、つかこうへいの「初級革命講座 飛龍伝」を見た衝撃で野田彩子先生はダブルを描いた。そんな野田彩子先生にとって、会話劇として戯曲化された「ダブル」をつかこうへいの作品を思い出すテンポや曲、演出で仕上げたのは、野田彩子先生への敬愛にも近いと思いました。これを初めて見た原作者・野田彩子先生の感動は計り知れない…。そりゃ原作者が舞台見た後自分の作品を読み返しちゃうわけよ…(野田彩子先生のツイートより)
私は中屋敷演出の2.5次元をいろいろ見てきた人ですが、中屋敷演出の2.5次元にハマるひとの感想として「演劇としての漫画作品の再現度」や「手法」、原作愛を感じる演出、などいろんな評価があると思うのですが、私個人的には、中屋敷さんの2.5次元作品への取り組みって、「なぜ原作者はこの漫画を書いたのか」「なぜ原作者はこのコマを書いたのか」「原作者は過去に何を描いているのか」…など、漫画そのものだけではなく、原作が生まれた背景や原作者の思考を読もうとする読解力、そしてそれを演劇に落とし込むところが凄いと常々思ってます。今回もそんな敬愛が詰まりまくっていた。パンフレットの冒頭で、コロナ禍でいろいろな挫折も苦労も経験されたろう中屋敷さんがダブルを読んで救われたこと、恩返しをしたいと言うメッセージが込められた演出でした。

個人的には、コロナ禍の中で上演した中屋敷さんが演出した熱海殺人事件も見にいっていた人なので、もう冒頭の「白鳥」の音楽が流れるところから始まった今回の舞台、その時の思い出がフラッシュバックするし、「え、私これから何を見せられるの…? ダブルですよね!?熱海殺人事件ではなく!?????」って開始0.1秒の大混乱からの開幕の衝撃は凄かったですね。

(これは事実わからないけれど、多家良の着信音が白鳥だったのは、つか作品を匂わせる要素でもあるんですけど、友仁の苗字に「鴨」があって、でも多家良にとっての友仁は「鴨」なんかじゃなくて、白鳥のように美しいんですよね。そんな鳥の名前が入っている曲着信にして、離れて暮らしても幻想の友仁のこといつだって脳内に住まわせている多家良…っていう解像度もあがってよかった)

今回の作品、青木豪さんの脚本の構成は凄い前提で、ただ2時間半ほぼ会話劇で構成するのは演出が失敗すると絶対眠たくなる…ような平坦さも多々あったんですが、室内だけに固定しながら、時に映像の投影や照明で表情を変える演出で会話劇を食い入るように見ていたし、小物一つ一つにも意味を感じられて(冷蔵庫やカウンターキッチンの小物たちも暗転の度にこまめに変わる細やかさ、シンプルな演出に見えてとても丁寧な変化であの部屋を作っている)改めて「この人の頭の中どうなってんだ…」って中屋敷作品にハマってきた人間の一人として思いました。

個人的な感想ですが、舞台の中央に自然な流れでスッと置かれる円形ラグが視覚効果としてとても効いていました。あの灰色のラグを中央に日常のシーンの中で演劇が始まったり、あの室内の中の「舞台」でもあるのですが、時折底知れぬ奈落のように、多家良を、友仁を捕まえているようにも見えるシーンがあり。声を失い芝居に挫折した多家良の苦しみ、そして多家良という天才の側で役者と生き続ける底知れぬ友仁の苦しみ。それが日常の、あの室内の中に常にあることがわかる。
あの奈落のような灰色のラグの上で、飛龍伝の台詞をよみあげながら、「嫉妬しちゃうんです!」の飛龍伝の台詞とダブルのシーンが2重に重なる美しさ。私が二巻でダブルの嫉妬の描写の美しさに恋した時と同じ心臓の握られ方をしました。忘れられません。

リアルの日常に生きる「ダブル」を演じた最高の役者陣

最後に、今回の作品を演じてくれた最高の役者陣とキャラクターの感想を少し触れたいと思います。

鴨島友仁役 玉置玲央さん
インタビューで「ダブルを読んだ時に鴨島友仁は俺だと思った」と思うぐらい重なるところが多いと話していた玉置さん。ダブルの中に出てくる芝居ほとんどがご自身も経験されたことのある作品ばかりである説得力が、舞台の上で演じられる一瞬の台詞一つ一つにあって、永遠に紀伊國屋ホールに朗々と響く彼の台詞を聞いていたかった。
多家良を見る目も、触れる指先一つ一つが愛しいって言っていて、彼の才能に嫉妬しながら届かない半ば諦めににた羨望、欲望、愛、全てが詰まっていた。あんなふうに多家良は毎日、友仁に触れられていたんですか? あんなふうに愛される人間が他にいるなんて許せない。そりゃあ、多家良が隣人にも友達にも恋人にも…、全てになりたいと思っちゃうよ…。そんな説得力しかない、宝田多家良と言う役者を愛した鴨島友仁でした。舞台の上で鴨島友仁をここまでおろせる人は玉置玲央さんしかいないとすら思う。

宝田多家良役 和田雅成さん
和田くんの舞台は私は2.5次元作品でしかみたことがなかったんですが、恐れず言うと、今まで見てきた和田くんの中で一番美しい和田くんだと思いました。人として美しいと思った。最初に和田くんを舞台で見たのはここまでお名前が有名になる前だったんですが、その時自分の好きな役者ではなく和田くんについ目がいってしまうことがあって、「あ、絶対この子有名になるな…」って当時思った。そんな華を和田雅成という役者から感じたことが私はあったんですが、そんな原初体験を宝田多家良を通して思い出しました。数々に古典演劇も小劇場作品もつか作品もやってきた玉置くんと対照的に、2.5次元作品を中心にスターとして活躍してきた和田雅成という役者が宝田多家良を演じるのも今回の作品ではまっている構造だと思います。あとね、友仁に褒められる時に嬉しそうな顔で尻尾振るときが可愛すぎる。そりゃあ、あんなにいとしそうな手で友仁が触れるわけよ…、こんな俺だけの可愛い生き物…。綺麗な男と、可愛い男と、恐ろしい男のギャップがえぐい。宝田多家良です。

今切愛姫役 牧浦乙葵さん
本当にびっくりしちゃった…、何がびっくりって声が出なくなったときの挫折を味わっていた多家良の部屋にやってきた愛姫の一人で話し続ける会話(台本だと約5頁ぐらいの分量)を、すごく自然に演技感もなく当たり前のように話していて、かつ「露命」が舞台ではないのにあの露命を経た愛姫と多家良の関係であることが伝わる役の作り方…、すごく演劇が好きな女優さんだって今までの作品を見たことがないんですが、伝わりました。ストレート芝居の作品今回が初めてと思えない。4巻の飛龍伝での稽古場での友仁とばちばちにやりあう愛姫ちゃんも見たかったなぁ。でも、あのシーンがなくても飛龍伝の稽古が始まったときの飲み会で友仁との会話で、「私あなたのこと生理的に嫌いです」と言わんばかりの目をしている愛姫がいたので、そういう端々のちょっとした態度が伝わる愛姫が本当に良かった。あとシンプルに可愛い。私、ダブルの愛姫というキャラクターが好きなのですが、舞台でもしたたかなアイドルとしての顔もあり、でもどんどん芝居にのめり込む女優魂を感じた愛姫ちゃんでした。

轟九十九役 井澤勇貴さん
普通に舞台の上に出てきたとき九十九が現れたというより、そのまんま素の井澤勇貴が現れたのか?ってぐらい、「素」を感じて「あれ、九十九ってこんな普通の人だっけ…?」って登場してきた数分間は思ったんですが、いや、轟九十九がフルネームで突然名前を連呼したり、圧倒するぐらいの売れっ子役者感あるコミュ力だったりって芸能人としての九十九の表の顔なわけで、「友人」として多家良の部屋にやってくる九十九ってこれぐらい「普通」で、自然体なんだなってことに舞台で気づきました。でも、実際の九十九の実力をさらりと初級の口上を述べる台詞回しで魅せてしまう。
九十九ってとても人間としてできていて、共感力が高い男だから、思わず友仁も心を開いてしまったんだと思うんですが、友仁がおそらく墓にまで持っていく秘密である多家良が初めて見た友仁の芝居の話をできるのは、この作品でこの男しかいなかった。そんな秘密を打ち明けられるほど九十九という男の心の広さや、親しみやすさ。こんな人間なら秘密を打ち明けてしまうよね。漫画ではなく、リアルの轟九十九ってこういう人なのかも知れない…という人としての説得力がある九十九でした。

冷田一恵役 護あさなさん
つ、冷田さんだ!!!!原作の冷田さんがいる!!(興奮)主演二人の脇を固めるキャラクターの中で、一番、原作通りのままのキャラクターを感じたんですが、淡々とした台詞の中でも情があるお芝居が、宝田多家良という役者を一番大事にしている人なのが伝わる冷田さんでした。佇まいもいつも綺麗で学生演劇をしていた冷田一恵というキャラクターの背景がなんとなく仕草から感じられて…、あと愛姫ちゃんとお買い物で絡むところとかも可愛いくてかっこいいお姉様でした。

飯谷宗平役 永島敬三さん
まさか原作で十五万金借りてた劇団仲間…ぐらいの解像度しかなかった男が、ここまで舞台を転がすキーキャラクターになるって見にくる前は誰が想像するよ!??っていう衝撃のキャラ。その分自由度が高いように見えて、拠り所がないのでいかに原作再現の2.5次元の中で自然と「飯谷?ああ、いたよね」って空気を作るかが難しいと思うんですが、絶対こんな演劇人いるな!?っていうのも自然と滲んでいるいろんな断片を繋いだろう飯谷のキャラクターを作り上げていて、役作りがさすがでした。あと台詞回しもさすが柿の役者さんだなと思ったし、玉置くんの友仁との絡みにも自然さがあって、お互いの信頼も感じるお芝居のテンポが心地よかったです。今でも原作の飯谷くんのコマたくさんあるよね〜!って再読で必死に探してるんですけどおかしいな…。それぐらい当たり前のように彼はいました。

舞台感想なのか、漫画感想なのか、書いている自分でもよくわからなくなってきた文章をここまで読んでくださった方、ありがとうございました。最後に、舞台「ダブル」は千秋楽配信4/15までアーカイブでも見れます!!!!!

(この文章で一番重要なところ)

https://eplus.jp/sf/detail/3822020002?P6=001&P1=0402&P59=1

ここまで最後までこの文章を読んでしまった上でまだ舞台を見ていない人がいるとは思えないのですが、もし読み終えたあなたが見ていないとしたらチャンスです。一人でも多くの人にこの作品が届きますように。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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