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子供にとってのサードプレイス的な何か

サードプレイス、第三の場所……。
この言葉を聞くようになったのはいつ頃からでしょうか。
20代前半の頃(2000年代)、まだ職場(セカンドプレイス=第二の場所)での立ち位置すらしっかりしていない頃、私は読書会によく顔を出していました。
その頃はまだサードプレイスという言葉は聞いていなかったように思いますが、概念や言葉はなくても求めてたんです。わたしにとっては読書会がサードプレイスでした。

誰も私を知らない場所

わたしが初めて行ったのはとある雑誌の読書会でした。そこを皮切りに、他の色々な読書会に行ったり、本屋に行ったり、飲み屋に行ったり、習い事をしたり、職場以外でもわたしは色々な自分の「顔」を形成していきました。中・高時代から、自分のキャラやグループ、立ち位置と言われる周囲から期待される個性に窮屈さを感じていた私。大人になっても職場で自分を出す気にはならなくて(とはいってもかなり目立ってたとは思いますが)、家庭でもなく職場でもない、関係性が濃すぎない別のコミュニティに、少しずつ色々な自分を出せることに肩の力が抜ける感覚を覚えました。そして、そういった様々な場所に顔を出したおかげで、今まで自分の色々な面を掘り下げたり、たくさんの人に出会ったり、知らなかったことや人を知ることができたと思っています。日常の自分を脱ぎ捨て、何者かになれる場所。でも誰でもない者になれる場所。誰も私を知らない場所。だからこそ自由になれる場所。サードプレイスは私にとってはそんな場所でした。そのおかげで今までなんとかやってきたし、思いきりよくもやってこれたでしょう。今だと、実際の場所だけでなく、ソーシャルメディアもその役割を担っているように思います。そういった日々の息抜きや刺激がなければ、わたしはとてもこの世の中を生きていけなかったと思います。わたしにはずっと一つの役割、一つの顔では辛すぎたのです。

で、ふとそんなこと思ったときに、
「子供にとってのこういう場所って、あるのかな?」
と思ったのです。
私は成人しているのである程度行動の自由がききますが、子どもにとって家族でも近所の子どもでも学校の友達でもない、何者かになれる場所ってあるのかな? と。

第三の場所が必要なのは大人だけなのか

私が中三の頃、部活の県大会で車で数時間かかる同県内の他の市の大会会場に行きました。わたしは当時そこまで強くなかったので、マネージャーのような役割で、他の選手の身の回りの準備をしたり、記録をとっていました。大会も終わりに差し掛かった頃、何がきっかけかは忘れましたが、私は陣地から750mほど離れた会場内の大会本部にひとりで向かわなければいけませんでした。大会も終わったので、会場からはたくさんの観覧客が出てきます。でも、わたしは人の波とは逆方向に走り、その中をかいくぐって一心に大会本部に向かいます。--こんなにたくさんの人がいるのに、わたしを知る人はだれもいない。みんなと向かい合っているのに、誰も見ていない。こんなに必死に走っているけど、後ろ指をさす人は誰もいない。誰も知らない誰かになるのはこんなにも気持ちがいいのかと思いました。陸上部で走っていた3年間で、一番気持ちがいい瞬間でした。

当時の、20世紀のわたしがそう感じていたということは、きっと21世紀でそう感じる子どもたちも0ではないはずです。むしろ多いかもしれない。大人は逃げ道を用意されているのに、子どもにはないなんて辛すぎる。生きづらいにも程がある。であれば、今度は大人になったわたしがそう行った場所を創り出すべき時なのではないかと思います。

たくさんの場所や人を知り、知恵と居場所と逃げ場所を

走り続けるのは人生は長すぎます。一生懸命走っている中で、ほっと休める場所、その間に生きていく力を溜める場所があってもいいのではないでしょうか。休んだ間に見る景色は広く、細やかで、もしかしたら寄り道したくなるかもしれません。寄り道をして見聞を深め、自分自身が知らなかった自分とも出会うことができて、色々な人と思想に触れることで、ちょっと人とは違ったおもしろさも形成できるかもしれません。何者かになりたい中で、何者にもなりたくない自分もいる。大人だから、子どもだからと分け隔てるのではなく、一人一人がもっと解放されれば、社会での生きやすさも段違いになるのではと思います。

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