筋腫ちゃんと私のものがたり。
10月の満月が輝く日、子宮筋腫の摘出手術をした。
筋腫ちゃんと出会って一年半。
その間はまだ知らぬ「自分」という存在に次々と出逢う魂の長い旅だったような気がしている。
今日はその道筋をここに記しておこうと思います。
筋腫ちゃんとの出会い。
3年ほど前、膣のケアを毎日の日課にするようになってすぐに子宮に違和感を感じた。
オイルを手に取りいつものようにマッサージしていると、膣の中から子宮口に触れ、その奥に何かまぁるいしこりのようなものを感じた。
「むむっ!?なんかまずいかも。。!?」
と直感で感じていたけど、たまたまだったのかもしれないし、他の臓器に触れただけかもしれないと見て見ぬふりをしていた。
それから一年の月日が流れ、素晴らしい漢方医の先生と出会い、その違和感の話をしたところ、
「婦人科の検診には行かれてますか?一度診ていただいた方が良いかもしれません」というアドバイスをいただいた。
なんだかな〜。
もう軽く10年以上は行っていない産婦人科。
足を踏み入れるのは全然気乗りがしないし、
あれこれ行かない理由を考えては行くのをずっと躊躇っていた。
今思い返せば、あの違和感と対面するのが怖かったのだと思う。
そうこうするうちに半年が経ち、
生理が2週間ほどダラダラ続くようになってきたので、シノゴノ言っている場合ではないかもと思い切って産婦人科の門を叩いた。
エコーをとりながら、先生が第一声
「あぁ〜、筋腫あるね〜」
といって見せてくれた画像。
子宮のど真ん中にものすごい存在感でまぁるい黒い影が映っていた。
「粘膜下筋腫ですね。これはとった方がいいかもな〜。専門医の先生を紹介するので他の病院で再検査して下さい」
とのことだった。
なんかあると思っていたけど、実際にありますと言われた時は、ガラガラガラ〜とシャッターが下りて暗い気持ちに閉ざされてしまったようだった。
たくさん子宮のケアをしてきたのに。。
健康的な生活をしているのに。。
一体なぜ??そんな気持ちが頭から離れなかった。
ドン底からの出発点。
まずはその専門医の先生とやらに会いに行ってこよう。
すぐさま病院を予約して、診てもらうとそこからがまさに私の魂の旅路の出発点だったような気がする。
出会ったのは、ベテランの男性の先生。
目も合わせずに、早口の流れ作業で、エコーの画像を見ながら
「子宮もだけど、卵巣もな〜。貧血もひどいし、あと癌と糖尿病の可能性もあるな〜。即手術した方が良いでしょう」
終いには私の体重が痩せすぎだと、鼻で笑われてしまい、暗〜い気持ちにさらに拍車がかかりドン底にいるような気持ちになった。
家に帰るとありえないくらい歯が腫れてしまって、おたふくさんみたいになった顔を鏡でみていると、子宮の奥の方から、
「とらないで〜」と言われているような気がした。
ベテラン先生と言われているらしいが、なんだかあの先生に手術してもらうのは絶対に嫌だ!
自分でなんとか治すんだ!という気持ちがムクムクと湧き上がってきた。
筋腫ちゃんと歩んだ一年半。
それから私は真剣に子宮と向き合うと決めた。
心配していた癌や糖尿病の結果は大丈夫だったのでほっと一安心だったけれど、
筋腫ちゃんにいいこと、血が増えることを徹底的にしようと、食べ物や食べ方、生活スタイルをガラッと変えた。
ずっと走り続けていたようないそがしい生活をやめて、とにかく子宮はなんと言っているか、耳をすませよう。
誰かのために、何かのために頑張ることをやめて、子宮のために何ができるかを考える日々だった。
でもそのことを考えれば考えるほど鬱々する日々が深くなっていった。
今思い返せば、貧血が酷かったんだと思うけど、慢性になり過ぎていて、もはや体が示してくれているサインを受け取れていなかったような気がする。
流れるように導かれて。
そんなこんなでまた1年が過ぎ、
鬱もなくなり、体重も5キロくらい増えてどんどん回復していった夏のある日、
そうだ、筋腫ちゃん、どうなったか見に行ってこようと思い立ち、近所の産婦人科に行ってきた。
筋腫ちゃんは、はじめて見たときと全く同じ佇まいで、子宮の真ん中にドンっと鎮座していた。
一年間色々な自然療法にチャレンジしたけれど、筋腫が消えたり小さくなったりはしていなかった。
家に帰って、旦那さんにその話を伝えると、
「もうとってもいいんじゃない?」
と一言。
それを聞いた時、何か私の中で光が差したように明るさが広がり、あぁ、これは神の声のような私の子宮からのメッセージだ、と素直に受け取ることができた。
もうこだわりを手放して、軽くなろう。
それからすぐに、
前から気になっていた産婦人科の先生に会いにいった。(4件目にして。)
診察室の中から女神のようなピカピカの先生が出てきて、あぁ、私この先生の言うとうりにしてたら大丈夫だわって安心して思えて、女神先生から、筋腫手術のプロフェッショナルの先生を紹介してもらい、会いにゆくことになった。
筋腫ちゃんとおしゃべり。
筋腫ちゃんとさよならをする時がもうすぐやってくるんだ。
そう思ったらなんだか嬉しいような、さびしいような不思議な気持ちになった。
子宮に手を当てて、筋腫ちゃんに話しかける。
ねぇ、なんで私のところに来たの?
そしたらね、筋腫ちゃんはこう言った。
「自分に凝り固まっているんだよ。
私はこれです、っていう枠をいっぱい作っている。
自分の魂の真ん中に蓋をしているんだよ」
と教えてもらった。
あぁ、私はずっと走り過ぎていた。
高校生になってすぐに、生死を彷徨う大きな交通事故に遭い、奇跡的に命を救われた。
その命を使って何をする?
何ができる?
もっと頑張らなくちゃいけないんじゃない?
と一体何処に向かっているのか分からない使命感のようなものがいつも拭えなかった。
田舎に引っ越しをして随分とゆるくはなっていたけれど、長年の心のクセや意識の向ける方向が外にばっかり飛び出していて、
自分に向けられている気持ちは、
表面的で見た目だけいいカッコしながらも、内側に押し込めたままだったようなところがいっぱいあったような気がした。
筋腫ちゃんは、自分の体をいっぱい いっぱい使って私にそのことをお知らせするためにきてくれた。
愛の塊だったとようやく気づいたんだ。
神の手あらわる!
女神先生から紹介していただいた筋腫マスターにいよいよ会いに行くことになった。
先生は、淡々と言葉少なめに、
「手術〜、しましょうか。
30分くらいで終わりますよ。」
と説明してくれた。
え!?30分!?
私はこの一年何のために悩んでいたんだろうか。。思わず拍子抜けしてしまうくらいあっさりした言葉になんだか笑けてしまった。
そして、一番最短の日程でお願いしますと先生にお願いしたら、
「10月2日、いかがですか?」
とのことだった。
カレンダーを見たら満月だった。
とても大事な予定が入っていたのだけれど、子宮からは「Yes!」と即答だったので、
その日でお願いしますということで、
流れるように数週間の間に次々と話が決まっていった。
9月の新月だった。
精霊たちからのエール。
ホルモン剤を飲み、生理をストップさせて、ついに手術に向けて準備がはじまった。
体も心も、敏感になっているから
いつもの3パーセントくらいの力でいいやと割り切って、心地よいことを意識して過ごすようにした。
秋晴れの空の下、庭にキャンプ用の椅子を出して日向ぼっこをしていると赤トンボが右膝に止まった。
赤い尻尾を私の子宮に向けてフリフリ。
あと3回するからね、とテレパシーのように聞こえたかと思うと、
クルクル空を飛んでは、右膝に止まるを3回繰り返した後、
最後は左膝にも止まってくれて、赤いパワーを充電してくれたようだった。
さらに屋根の上では小鳥がないて、一生懸命何かを伝えている。
小鳥の目線を辿ると金木犀が咲きはじめていて、その瞬間ふわ〜っと甘い香りが漂ってきた。
精霊たちは常に私たちへメッセージをくれている。そのことにもこれからはもっと意識を向けようと思った出来事だった。
さよならセレモニー。
手術当日。
私の心は晴れやかで、ウキウキしていた。
手術は予定通り30分程で終わり。
子宮の内部にできていた筋腫ちゃんだったので、開腹はせず膣の中から電動メスでクリッと切り取ったのだそう。
2センチくらいと聞いていた筋腫ちゃんは、
実際はもうちょっと大きくてクルミくらいのサイズだったと、付き添いをしてくれた旦那さんから教えてもらった。
とても小さな存在が、
命をかけて伝えてくれた沢山のメッセージ。
一度は手術なんかするものか!と思ってみたり、鬱になったりもしたけれど、どのプロセスも本気で自分と向き合う大切な時間で、一つも無駄はなかったのだと思う。
ある日私は筋腫ちゃんに話しかけた。
ねぇ、名前なんていうの?
そしたらね、
「プ、プラッ、プラ〜
プラム〜!!」
という答えがかえってきた。
筋腫ちゃんは真っ赤に熟れたプラムちゃんだったのか。
6年前に今の家に引っ越してきて一番最初に植えた果樹はプラムだった。
2年前に一度だけ実をつけた。
いつかたくさん実をつけてくれるといいな。
プラムちゃんと過ごした日々がさらに愛しくなる日がくるでしょう。
晴れ晴れとした気持ちで退院をした日、
めでたく誕生日を迎え、41歳になった。
全ては生まれ直しのためのセレモニーであったことに、
私の胸は感謝と喜びで溢れていた。
治療には色んな選択があると思いますが、自分との対話をしていく中でベストな道を進めたことや導いてくれたすべてのできごと、見守ってくれた方々に心からのありがとうを送ります♡