二つ目の自分(5) 高次脳機能障害の受容と デンマーク写真展☺︎での対話
連載中/前話:2つ目の自分(4)>意識の回復の中で
今日は話を飛んで、
日本を廻ってデンマークの経験を紹介した、写真展☺︎での出来事を話そう。
この時の話、
実は昨日からわたしが夫と怒鳴りあっていて、思い出したこと。
私たちの喧嘩は、派手なもの。。
今はそれほどやりあってくれるパートナーがいることに、感謝しかありませんが。
写真展☺︎「egmont nature〜デンマークで過ごした一年間の記録〜」
2016年、このデンマークでの経験を紹介した、大阪で展示中のある日。
高次脳機能障害の彼女を連れた、男性が訪れた。
大きめの体格のいい彼と、一見小動物のようなかわいらしい彼女。一緒に暮らしているのだそう。
ぐるっと一周展示を見終わった後に、そこで相談を受けた。
「抑制が効かない」などの、彼女にある高次脳機能障害障害が原因で、どうしてもひどく当たってしまうと。
そう思いつめていたようで、写真展の告知をした新聞を偶然見つけて、駆けつけてくださったようだ。
「どうしたらいいだろう、」と。
とても悲しそうな顔をされていた。
実はこの話、わたしにとっても、とても身に詰まる事。
私自身、両親やパートナーにパニックや癇癪を起こしたくないのに。もっと優しくしたいのに・・いつもそう思っていた。
そんな衝動は、障害がなくてもどんな方にもあるはずだし、事故以前の私だって、カッとなったことはしょっちゅうだ。
しかし、今の私は、思春期のころよりもさらに、どうにも制御が効かない。
夫との国際遠距離恋愛の間は、オンラインでの通話中、しょっちゅう感情が爆発して、喧嘩も続いた。
それをどうすることもできなくて、不甲斐なくて、どうしようもなかった。
私の高次脳機能障害は、一見、天然ボケのようで、自分でも注意できれば、障害が現れないのではないかと錯覚に陥る。周りから見ても、どうしてそんなことができないのか、理解しずらい。
だからこそ、「これは障害だ」なんて断言し辛く、ジレンマでもあった。自分でも、一見できるのではないかと思ってしまうのだ。
だけどどうしても、注意力の低下もあるのか、「注意」すること自体がまず身にならない。
・・やっぱり以前のようには、物事は進まなくなっている。それが実態。
どうにかしたい。どうにもならない。
どうにかしたい。どうにもならない。
どうにもならないなら、なにができるの?
思いが交錯しながらも、考えて考えて、私にはどんな方法だとできるか、考えた。
以前のように周りと合わせられる速さは、難しいらしい。ゆっくり、自分のペースだとうまくいきやすい。そんな経験を少しずつ積み重ねた。
それなら
怒ってしまい、癇癪がどうしようもないなら。
喧嘩した後に、つぎは優しくできればいい。
・・・これがこの時たどり着いた、私の答え。
遠距離の彼にも、申し訳ない気持ちと、愛しい気持ちで、喧嘩した後にはいつも優しさを思い出すようになった。
今これを当たり前のように受け入れてくれている、彼には、感謝しかありません。
この思いを写真展をを見に来てくれた彼にも伝えた。
「わたしも難しいのだけれど、どうしようもない時は、その後優しくなりたい」と思っている、と。
その瞬間、彼は「ありがとう」と涙声で伝え、その場を去って行かれた。
こうした数カ所を回る展示の中で、来場された方々と、とても心に残る対話ができたことが、今のわたしの糧になっている。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました☺︎
二十歳意識不明、高次脳機能障害。
赤ちゃんから成長し直し。大学を卒業して、デンマーク留学、日本巡回写真展、アートセラピスト、6年間の遠距離恋愛の後渡米、国際結婚、100/8000人でサンフランシスコ一等地アパートご褒美の当選
泥臭くクリエイティブに生きるストーリー
続きます。