冷蔵庫マン設定の話とか
お笑い芸人さん、冷蔵庫マンのネタを拝見する機会に恵まれた。
自己紹介中
なぜ冷蔵庫なのか。の設定が、
『お笑いで温まった人々を寒いギャグで冷えつかせる悪の秘密結社に改造された』から、なんだそう。
けども、内実
『昔は普通の人間の格好をしていたけど余りにウケないのでこうなりました。』
と、すぐバラしちゃうゆるさが素敵。
この逆手感に脱帽。。
たとえどんなに観客にウケなくても、いや、むしろそれ前提で〘強み〙にするという発想の転換にやられた。
『ほら、冷えてるだろ!快調だぜ。冷蔵庫的にな!』みたいな。
事実、とある小学校でのキンキンに冷えたエピソードを披露。
会場にドッと笑いがおこると
「止めてくれ!温まってしまう!」
と、手で遮る真似をしながら(少しニヤけつつ)言い放つ。
かと思いきや、さながらロックフェスのようにコール&レスポンスを自ら起こしては、反応する観客へ
「皆さん、素敵です!めちゃめちゃ気持ちいいんですけど!」
と、喜びを爆発させ、めちゃくちゃこっちの温度を上げてくる。
、、、
上げたいの
下げたいの
どっちなの
その楽しいもどかしさも相まってインパクトありすぎた。。
即思ったのは、
怖いものなくなりそう。。
羨ましい。。
なんせ、繰り返すようですが、お笑い芸人にとって一番大敵の『冷え』を初期設定の時点で味方にしてしまっているのだから。
『お客さんはカボチャと思え。』ってのに、少し似てるかな。
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ツボだったのは、熱意はどでかいながら人の役に立てる喜びを一旦はかなぐり捨てているかのような設定になっているところ。
以下はゴッホさんの言葉
『あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。』
『もし、黄色と橙色がなければ、青色もない。』
決めること決めないこと。
自分にとって何が心地よい表現か。
自らの表現は設定も自らが決められる。
必然かつ自由。
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舞台を拝見して一夜明けた翌朝の台所でお茶を飲んでいる最中、冷蔵庫の扉を開けて冷蔵庫マンがマトリョーシカ的に中にいたらめちゃくちゃビビるなぁ。と思いたったら、その後芋づる式に悪癖の派生空想が止まらなくなる。
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氷室マンとコラボしたら天然のかき氷も出くるのかな。。(氷室マンは架空です)
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更に冷凍庫マンがいたら、三兄弟なのか?
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お客さんはかなり盛り上がっていたから、本当の中身は湯たんぽマンなのか?で、その中は製氷機マンなのか?つまり、冷温両用マトリョーシカマンなのか?どっちなん?
何しろ、秘密結社🎃のすることだからなぁ。。
(もう自分、やめとけ)
このようにパワーが持続。
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ただ、《謎はかなり温まる》というのは事実なのでした。
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