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動物の方が好きなんです。飾らず一緒にいられる相手。

記事の見出し写真に使うのに動物が多い理由、それは単に、人間よりも動物が好きだから。人間の赤ちゃんみるより、断然動物の赤ちゃん見た方がニヤけてキャーキャー言う私です。不謹慎か。

気のせいかもしれないけど、私がフォローしてる人、私をフォローしていただいている方に、猫が好きな人が多い。スキするとかなりの確率で猫が現れて、デジャヴ?といつもびっくりする。猫以外の動物がアイコンの方も多い。

なんせ私も猫が好き。実家に帰る目的の一つは猫である。11歳。横にも縦にも大きめで貫禄しかないキジトラさん(仮の名)。母が知人の保護猫ボランティアをされてる方から譲り受けてきて、子猫のときに来たキジトラさん、それはそれはかわいかった。小さかったときは、なぜか私の太ももの間に挟まって寝ていた。今は太すぎて挟まれない。ちなみに写真のお方です。数年前の姿だけど。

猫以外の動物も基本全部好き。鳥も好き。なんなら爬虫類とか両生類とかも好き。ヘビとか普通にベトナムで首に巻いたし、でっかいトカゲを触れる機会があれば迷わず触る。イグアナとかいくらでも見ていられる。

ミャンマーにいたときに常に家にヤモリがいて、私はヤモコ、ヤモ助とか名前まで付けてた。ただ、たまにカラカラに干からびてミイラ化したヤモリが部屋から発見されたり、雨季になると大量発生するコオロギをドカ食いしてブクブクに太った姿など、ヤモリさん関連で何とも言えない気持ちになった数々の事件は忘れない。

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動物好きな人に悪い人はいない、って言いたいけど言えない世の中である。どこにも例外がいるので。でも動物虐待したり、ペットを捨てたりする人は確実に悪い人だと思う。自分より弱くて抵抗できない存在を傷つけるのは最低だと思う。動物が苦手で触れない、犬見たら逃げる人の方が全然いい。

同じ次元で話していいか分からないけど、

同じ日本語を話すのに全く理解できない日本人より、同じ言葉を話さない外国人の方が分かり合える、一緒にいて楽である

これに似てる。

私は海外で生活してからというもの、同じ言葉を話さなくても分かり合える、理解できる、むしろ日本人より自分の気持ちを分かってくれる、そんな体験を日本にいたときよりもしてしまったため、同じ言葉を話し同じ文化の中で生きてきた日本人という前提は無駄だということに気づいた。言葉は便利だけど大事ではないし、文化は価値観を構成するかもしれないけど、その人のすべてではない。

人間と動物も同じ。

面倒な人間よりも、本能のままに生きてる動物の方が一緒にいて楽しい
言葉は分からないし伝わらないけど、隣にいたら心地よい

もはや同じ人類ですらない。もちろん言葉は通じないし、人間のような文化もない。縄張りはあるかもだけど。でもなついてくれることを考えれば、ちゃんと関係性は作れてるし、嬉しい時にしっぽを振ってる姿を見れば喜んでることも分かる。それだけで幸せなのだ。

一人っ子の私は子どもの頃、帰宅するとその当時飼っていた文鳥だったり、セキセイインコだったり、ハムスターだったり、リスだったりに話しかけるのが楽しみだった。遊び相手でもあった。世話をするのって大変だったし、たまにサボってたけど、でもやっぱりみんな特別な存在であり、家族だった。

ヤド・カリコな私には残念ながら動物を飼うことはできない。無責任になっちゃうから。でも飼いたい。最近欲しいものなんて全然思い浮かばなかったけど、動物の相棒は欲しいな。

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