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元旦の非日常が苦手

推しのWEST.の生配信で年を越した幸せな年末と年始であった。実家の元自室の布団にくるまってビールを飲みながら観る生配信。ここ数年で一番良い年越しだったと思う。誰かと過ごすならWEST.だなとあらためて思うのであった。現時点で隣に生身の人間とかいらん。

正月早々、曇り空のような話を。

もともとクリスマスくらいから正月のあたりの年末年始が控えめに言って嫌いである。

クリスマスの浮かれポンチたち、そして浮かれポンチを助長させるイルミネーション、最悪である。長めの髭のおじさんがトナカイの引いたそりに乗ってくる日、それだけでいいのに気持ち悪い程にイベント化されたこの日が昔から苦手である。サンタのおやっさん、プレゼントじゃなくて金か金券をくれと毎年思う。

年末の帰省ラッシュ・旅行客でごった返す交通機関、正月に向けて爆買いする人々、なんかみんなが似たような行動を取るのを見るのが苦手なんだと思う。そしてテレビもずーっと特番。食べ物もなんか普段食べないようなもの、おせちとか苦手。唯一餅だけは好きである。餅を食べるときだけ正月ありがとうと思う。

餅の話は置いといて、とにかく非日常。私の平和が崩される12月末から1月初旬。クリスマスも正月もおそらく普通の人は誰かと過ごす日だからなんだと思う。家族と過ごす、恋人と過ごす、友人と過ごす、私にはどれも当てはまらないんだなと思った。だから違和感がある。普通の家族も、普通の恋人も、いない。友人はいるが変態寄りなので難しいところである(愛すべき変態達)

大晦日にたまたま手に取って読んだ本。

ドラマになってたとは知らなかった。文庫本の帯に「『虎に翼』の脚本家が贈る感動作!」とあって、トピックもアロマンティック・アセクシュアルの二人とあって、ふと手に取ってそのままレジに持って行っていた。

この中でも「普通」という描写とそれに嫌悪感を持つ主人公たちが描かれていた。私この人たちと感覚近いんじゃないかと思った。アロマンティックでもアセクシュアルでもないけども、本の中の表現を借りるなら「大人人生ゲーム」のマスを進むこと=誰にとっても幸せというような考え方が気味悪い。結婚→出産→マイホームがとりあえずキモイと思ってるからな。

その枠にはまってない人がこれほどいる世の中なのにまだまだそれが異常なことみたいに思われるのは癪である。オブラートに包まずに言うならウザい。分かってほしいとか思ってないので、放っておいてと思う。でも小説を読む中で、何かの拍子に世間の普通でない人を認識したり、身近な人がそうであることを知ったりしたとき、受け止めてくれる人はいるってことを知った。当たり前だろと思われそうだけど、それこそ世間の普通の大人人生ゲームのマスをちゃんと進んでる人には分かりづらいと思う。マイノリティは結構大変なのです。同じ言葉を話す黄色人種だけど、全然理解し合えてないのが日本だと思ってるし。気を抜くとすぐ日本の悪口になってしまう、すいません。

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元旦の話はどこへやら。とりあえず世間一般の大晦日も正月も過ごしてない私、今年も初日から普通になんかはまらねえよ、ばーかと思うのであった。

実家にいても息が詰まるので近所を散歩。本屋をハシゴし、地元を一人で練り歩く。住宅街なので普段は人がわらわらしてるのだけど、今日は自分以外誰も歩いていない瞬間が多々あって、そのたびに「これが私の好きなとき」だと心が落ち着いた。冬の青空に枯れた木々に冷たい空気に控えめな日差しを感じながら誰もいない道を歩く、この非日常だけは正月ならではで感謝しようと思った。

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正月に読む本はなぜか毎回あたりである。心にドーンと響いて、考えるきっかけを山ほどくれる。今回読んだ恋せぬふたりは、恋せぬふたりの話なのに私は恋したいと思った。恋?恋愛?そういうのよく分かりませんが、アロマンティックでもアセクシュアルでもない自分なのだから、人を好きになることはこれからも続くんだなと当たり前のことを思った。恋愛したいくせに一人がいいってのもこれもいいのだ。どれもいいのだ。そういうことですよね。

今年は書いていこう。こんな感じで。