なぜ母娘で真逆なのか
今日は久々に実家に帰ってきた。取りに来て欲しいものがあると、内容を言わないところが本当嫌である。謎の圧をかけないでいただきたい。
そのブツは特に私と関係なく、私が運び屋的な役割になることを期待して託されそうになったが、実際はそのブツを私が運べるか分からないので丁重にお断りしておいた。何故、何でもかんでも勝手に決めて、私がその通りに動くと思うのか、分からない。※ブツは怪しいものではありません。ただの本です。
私なりにそこそこ世間話を振ったりしてみるのだけど、「〇〇っていいよね」と言えば、「そう?わからないわ」と言われ、「〇〇だと思うんだよね」と言えば、「え、そんな風に思わない」と言われる。常に否定とまでは言わないが、肯定してもらえることはほぼない。これが今はまだ言い返すし流せるからいいが、子どもの頃の私よ、辛かったろうなと思う。
何故、この人に母子家庭でずーっと育てられたのに、こんなにも考え方が真逆になるのか、ほんとにマジでわからん。しみじみと思った。きっとね、私がわからないのと同じくらい、母もわからないんだと思う。私は諦めたが、母からはまだ「娘はわかってくれるはず」圧を感じる。すんません。無理でーす。
親子こそ究極の他人ではないのかと思う。
先日、最近仲良くなった人とLINEをしていて、なんかの拍子に「特別な他人が一番難しい」と発言していて、なんか違和感あったのだけどやっと分かった。特別な他人とは恋人や夫婦のことだけでなく、血のつながった親子のことも言うのだと。血が繋がっていても、親子も所詮他人は他人。個々人レベルで見たら他人なのだよね。
仲の良い親子が羨ましいかと言われれば、多少は羨ましい。例えば上述の仲良くなった人は家族(親兄弟)と仲がいいと話していて、思わず「羨ましいです」とコメントしていた。どこか憧れは持っているのは事実なのだ。ただ、自分自身の今の親とそうなりたいかと言われたらNOなのだ。あれね、生まれ変わったらシリーズ。現世ではもう諦めてるやつ。
私がちゃんと好きになった男たちはみな家族と仲が良い。特に親との関係は良い人が多い。これってそういうことなんだと思う。自分にないものを求める。しかもその情報はいつも後付けで、好きになってから知るのだ。すげえな。
とは言いつつ、家族とのいざこざ抱えてる人も大好き。やっぱりどこか分かり合えてしまうのも事実なんだと思うし、気楽に話せるというのもあるから。親の悪口、私は大歓迎である。
やっぱり、母のことを的確に表す表現は、「苦手」である。間違いない。絶対友達にならないタイプ。
全然関係ないけど一昨日の晩に寝違えた首が悪化して、昨日サッカー観戦のために早く寝たのに痛みで寝返りが打てずうなされまくり、寝不足かつ首が動かない。久方ぶりに湿布を貼ってスースーするのにテンションが上がる阿呆である。
TGIF。