どんなヤジロベエがいいか
大雨が続いたおかげで、空気が澄んでいる。街を歩いていて霞んでないって久しぶりだな。というかこっちきて初かも。やばい大気汚染だな。でも空には竜の巣が。あのちーへいせーん。こりゃまたスコールかしら。
さて、昨日夜中2時に起きてから眠れずに、facebookを見てたら見つけた。
私が考える不動心とは、揺れてもいいがこぼれない心のこと。ヤジロベエのようにゆらゆら動いたとしても、軸は一点に定まっている心のことです。
心は揺れてもいい。そうよね、私もそう思います。今はこういう状況だからと受け入れて待つしかないって思えて、まるで動じない人とかつまんないし。人は悩んで苦しんで心が乱れて揺れるから面白いと思う。でなきゃメリハリなくねえか。俯瞰して、達観している人って、すごいかもしれないけど面白くはないなと最近思った。
若い時、些細なことでも悔しくて悔しくて感情を爆発させて泣いたり、悲しくて悲しくて感情がなくなるくらい落ち込んだり、かと思えば、楽しくて楽しくて笑いが止まらなくなるくらい幸せな気分になったり、そういうのって私は好きだな。人間らしいもの。でもやじろべえのような軸があったかと言われれば、なかっただろうな。今は少しマシかな。不安定だけど軸はあると信じたい。
動じない人、取り乱さない人、冷静な人の方がいいとされるのはなぜなのか。そういう人は楽かもしれないけど、全然面白くないと思う。少なくとも私はあんまり楽しくないかも。
私は知り合いに超破天荒な僧侶がいる。とある国の村にお連れした際、現地スタッフが恐縮しているのにめっちゃノリノリで「一緒に飲もうよ~」って言って、確実に伝わらないのに使い続けるテッパンギャグを何度もかまし、しまいに音楽がなって村人が踊り出したら誰よりも張りきって踊って爆笑をかっさらう。かと思いきや、私が人間関係で悩んだときはおそろしく親身になってくれる、なんなら他の人の悩み聞いて泣いてるの見たこともある。
この僧侶の人、普段は本当に穏やかな凪のような方。冷静沈着。でも感情がオープンになるとそれはそれはすごい。でもそこが人間らしくて私は好きだった。
「感情に振りまわされれない」の記事を読んでなんとなくこの僧侶を思い出した。この人の場合は感情を振りまわせるタイプなのかもしれない。ブンブン自分で振りまわして、納得したら元の鞘に戻す的な。すごいな。そういう意味で動かない軸を持ってるのかもしれない。
私は感情に振りまわされるという表現を聞いた時、プラスもマイナスも浮かぶ。苦しい、怒り、憤り、悲しみ、そんな感情に振りまわされるっていうほうが一般的かもしれないけど、私は楽しい、嬉しい、ワクワクするという感情にも振り回されると思っている。良いことだよな、思いつつも、私はプラスの感情の方が振り回されたとき疲れると思うし、周りが見えなくなるのはこっちも同じだと思う。
だから、なんか異様に幸せそうな感じだったり、やたらめったらポジティブの人って私には怖い。負の部分を一切感じないとか気持ちが悪い。むしろ呪われている感すごいけど?と思う。ほいさ、あたくし歪んでますとも。
で、やじろべえの話に戻り。
軸から落ちないように、でも私は人よりもブンブンと大幅に揺れる、そんなやじろべえでいたい。楽しいことも、苦しくて辛いことも、ちゃんと感じて表現して生きていけたらいいなと思う。
昼間書いた、現地スタッフとコミュニケーションがうまくいかない話。午後に頑張って話しかけて、くだらないこと聞いてみたりしたらすごく和んだ。やればできるじゃねえか、お前。忙しいもん、よくわからないことが次々と起こってるもん、大変だもんね。だから笑えなくても仕方ない、ピリピリしても仕方がない。でも私は隙あらば笑わしてやるぜ。