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雨のポンペイ

 結論から言えば、カプリ島には行けなかった。
 朝、カプリ島の青の洞窟観光の会社に電話をかけると、荒天のため青の洞窟行きの船が出せないと言う。
 友人Nが青の洞窟に行きたいというので決めた二泊のナポリ滞在だった。
 船が出ないことがあるならば、二泊と言わず三泊でも四泊でもすればよかった――とは言えない。ナポリには一日目でうんざりしていたし、天気が悪くてもどこか街の外に出かけたかった。こんなのが何日も続いたらたまらない。
 とりあえず今日一日の予定を決めなければならない。
 正直近郊で見たいところも思いつかない。
 アマルフィには行きたいが、片道一時間以上バスで走る。バスの時間の関係で滞在時間は数時間ほどになる。天気が悪い中行くところでもない気がした。
 となると選択肢は限られる。というかほとんどない。
 ちなみに今日は土砂降りだ。
「ポンペイかな」
 旅行ガイドをめくりながら、私は友人Nに提案した。
 ポンペイはベスビオ火山の噴火で灰に埋もれたローマの都市だ。歴史の教科書にも載っているが、まるのまま古代の生活が再現できるくらい掘り起こされていて、ポンペイの発掘で古代ローマの生活が克明に再現できるようになったらしい。
 歴史好きの私だが、雨で他に行くところがない段になるまで行こうとしなかったのは理由がある。
 こういう遺跡は気が進まない。
 生きたまま火山灰に埋まるとか、想像するだに息苦しい。
 しかもこの天気。暗くて鬱々としていて、心も身体も滅入る。
 この雨ではどんな楽しい場所も楽しく過ごせるとは思えないので、逆に良い選択なのかもしれないが。
 ともあれ私たちはベスビオ周遊鉄道に乗って、古代都市ポンペイ遺跡に向かうことにしたのだった。

 というわけでポンペイである。
 道路を歩くと、よく出来たもので、雨水が側溝に流れ落ちて意外に歩きづらくはない。道も石畳で舗装されている。石なのでやや滑りやすいが、これが二千年前の舗装だと思うと嘘みたいに歩きやすい道だ。
 ポンペイは丸々一つの街が残っているので、道路も下水も店も屋敷も、生活の全てが突然時間を止められて眠っていた。中には遺体の形がそのまま空洞になり固められた灰もあった。遺体を復元したそれは苦悶の形もそのままで見ていると血の気が引いてきた。
 そうかと思えば女主人の享楽的な生活がうかがえるような屋敷もある。
 パンや葡萄酒が振る舞われた広間もあった。
 キリストに繋がる信仰の元となる秘儀の館も興味深い。
 当時生きていた人は、まさか二千年も経ってから赤裸々に自分たちの生活が晒されるようになるとは思わなかったろう。
 やはり気分が落ちる。
 他人事ではない。東京でも地震はあるし、富士山だって活火山だ。いつ何が起きるかなんてわからない。
 もし私の部屋がそのまま埋もれて、二千年後に発掘されたとしたらどうなるだろう。
 当時の日本人はこんなに汚い部屋で寝泊まりしていたのだ、と分析されたりしたら、全日本人に顔向けできないな……。

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