Yuba

東京の片隅でマイペースに生きてます。知識は人文系に偏っています。歴史のトンデモな珍説が好物です。その空気を確かめに西に東に北に南に、休みが取れればすぐに旅立ちます。

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マガジン

  • 阿加流姫逍遥

    垂仁天皇の頃、日本にやってきた姫。もとは新羅にいたが出身は倭国だと言う。その姫の伝説を追っていきます。

  • そのへんのOLのカジュアルお遍路のすすめ

    公共交通機関併用のお遍路記録です。気合いの入った歩き遍路や自転車遍路とは違い、車がないだけで出来るだけ楽はしたい一般ピーポーの参考になるかな?

  • 夢のイタリア旅行

    まだリラだったころのイタリア。今とは感覚がずいぶん違います。私もめっちゃ若かった! 全20話です。

最近の記事

昔のイラスト大公開

てへ(*ノωノ) どこかで書いたけども、漫画を描いていたんですよ。 思い切ってあるとき全部捨ててしまったけども、スキャンして取り込んでいたものがあるので公開しちゃおう! 描いてた時でこの程度なので、今はもう……なんというか、描けないどころの騒ぎじゃない。 多分、ルネサンス期の絵画を見て、素敵だなあって思って描いた絵だと思う。この頃はファンタジーが好きだった。 創作ファンタジーなので全く需要がなく、同人誌売りに行ってと悲しいほどに売れなかった……。 これは白黒だけども

    • 亡き女王に捧げる鎮魂歌

      阿加流姫逍遙シリーズの目的は、お遍路のすすめの徳島編で妄想爆発しそうなので、あらかじめ説明しとこうと言うものだ。 書き始めたら長い長い(汗) 別に結論出ているわけではないので、これからも意見は変わっていくと思うけど、邪馬台国のあたりと神武天皇の東征、豊受女神=阿加流姫はわりあいに合ってるんじゃないかと思う。 卑弥呼の死卑弥呼の死は魏志倭人伝でこのように語られる。 死因はこれだけ見ると戦死のように見える。 それはともかく、その八年というのが正始八年のことで、これが西暦で

      • 鴨はどこから来たのか

        昨日本当にそうなの!? みたいな珍説を披露したのでついて行けてない人もいるのかも(笑) 今日はライトに行こうと思う。 何故阿遅鋤高日子根が迦毛大御神で、事代主の子孫が賀茂氏なのか。 そのカモどこから来た!? と言うお話。 難しい話ではないので一瞬で終わる。 古代、トモエガモをアジガモ、アジと呼んだ。 つまりこれだ。 阿遅だから鴨なのだ。 単なる渾名だ、おそらく。 では何故阿遅なのかと言えば、これは海の向こうの神話を読み返してほしい。 新羅の祖王赫居世は須佐之

        • 天の下照らす姫

          出雲神話には下照姫という女神がいる。 大国主の娘にして、高天原の神天稚彦の妻である太陽神だ。 またの名を高照光姫とも言う。 飛鳥坐神社では下照姫の御魂を加夜奈留美と呼ぶ。また、飛鳥神奈備三日女神とも呼んでいる。 天稚彦の神話天照大神は息子天忍穂耳に言った。 葦原中つ国を平定し、支配しなさい、と。 しかし天忍穂耳は下界を見て断った。国津神たちがあまりに騒がしく、とても治める気がしなかったからだ。 そこで天照大神は天穂日に同じことを命ずると、天穂日は葦原中つ国に向かった。 とこ

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        • 阿加流姫逍遥
          15本
        • そのへんのOLのカジュアルお遍路のすすめ
          11本
        • 夢のイタリア旅行
          20本

        記事

          淡嶋の神

          少彦名はまたの名を粟島明神と言う。 粟の穂に弾かれて去ったからだ。 粟の穂を阿波の地に去ったことの暗喩と取る説もある。 ここに初めて阿波が出て来るが、この説を追っていくと意外な事実にたどり着く。 少彦名について少彦名の職能 少彦名は大国主と国作りをしたことから国作りの神なのだが、神社に祀られるときの御利益は、温泉、酒、薬となる。 また秦氏に奉じられ、産業技術の神ともなる。 その職能は古代女性に委ねられていたものばかりで、このことから少彦名は女性だったのではないかという説も

          淡嶋の神

          美保の崎に神は来る

          話を伊加里姫まで戻そう。 伊加里姫は別名を豊水富(とよみほ)と言う。 丹波にはミホの神の伝説がある。 それが亀岡盆地の伝説で、京都嵐山の上流保津峡にも関わってくる。 保津峡の伝説昔亀岡盆地は赤土で水の色が赤く濁る湖であった。丹波の国の名はこの湖から取られた。 ある時、大己貴命が、丹波湖を一望できる山頂に立ち、 「この山々を切り開き、湖水を山背へ流して、豊かな新しい国を造ろう」 と決め、山を切り裂いて丹波湖をながしてしまった。 そうして亀岡盆地が出来たため、現れた大地の御蔭山

          美保の崎に神は来る

          みやけんさんが好き

          ストリートピアノって知ってます? 街の中のあちこちに置かれてるピアノで誰でも弾けるんですけど、たまにすっごい上手い人が居ますよね。 何となしにYouTubeを見ていたところ、ムックがLemonを弾いてる動画を目にして、うわー面白いなあと思ったのがきっかけ。おすすめ動画に出て来るストリートピアノの動画をむさぼるように見ていたら、この動画に遭遇したのです。 それまでもかてぃんさんのナウシカとか聴いていたから、ストピのナウシカいいなって思ってたんですけど、ちょっとこれは世界が違

          みやけんさんが好き

          海の向こうの神話

          丹生都比売神社で、稚日女、大宜都比売、高野御子と阿加流姫の間に何か線が見えてきた気がするので、ちょっと目を新羅に向けようと思う。 もしもそれが卑弥呼の時代の最後に重なるとするならば、その時代は新羅はまだない。 魏志韓伝によれば、その頃新羅の地域にあったのは辰韓12国で、そのうちの斯盧国が後の新羅となる。 新羅の成立は4世紀後半、日本で言えば応神天皇の頃と重なる。 脱解王脱解は新羅の第四代の王で、その出自は倭人という。 彼が若いとき、吉兆の地を見つけそこに住む瓠公という人物

          海の向こうの神話

          高野山の守り神

          丹生都比売神社に行くには、大阪なんばから南海線で橋本駅まで行くのが近いだろうか。 金峯山寺の蔵王権現のご開帳(この記事もそのうち書きたい。特別ご開帳期間に出来るだけ行きたいので春秋のご開帳期間に合わせて奈良に行き続けている。今年は四国があるので断念したが)を見に行った後に行ったのでえらく時間がかかって大変だったが、高野山に行くつもりで行くと案外早く着くかもしれない。 橋本からはJRに乗り換え、笠田まで行く。笠田からは1時間半おきにコミュニティバスが出ているので、バスの時間に

          高野山の守り神

          水底に光るもの

          色々議論があるところの海部氏系図だけれど、特に宝賀寿男さんなどは大変批判しておられる。 根拠の1つに丹後国風土記残欠と符合することを挙げておられ、他に見慣れぬ系図にある名などは出鱈目だと仰っているが、その見慣れぬ名を祭神に掲げる神社が舞鶴にある。 豊受女神の恵みたる水舞鶴の街は2つに分かれている。西舞鶴駅は京丹後鉄道や山陰本線で入る時の入口駅なのだが、東舞鶴駅は若狭方面へ行く電車の発着駅で、それぞれがそれぞれに重要なのに二駅間のアクセスが悪い。 大会待ち時間がかなり発生する

          水底に光るもの

          比治の真名井に降りた天女

          日出の真那井には行けてないので詳細わからず。 どちらが先なのか。 何の話か、ってヒジのマナイの神話の場所の話。 国東半島に日出と言うところがあり、日出は速見に属しており、その速見が女王国じゃないかという結論に達したところなのだけど、日出、ヒジには真那井という池がある。真那井神社もあることから、かなり古い由緒ある池だろうと思うのだが、何一つ手がかりが見つからない。こう言うのは現地に行って郷土史家が自費出版した資料でもないとどうにもならない。 このヒジのマナイだが実は丹後に

          比治の真名井に降りた天女

          をとめの胸鉏とらして

          舞台は一転出雲へ! 香春神社と宇佐八幡に漂う出雲のにおい。出雲に何かヒントがあるかもしれない。 出雲は神話の中でも重要だ。この小さな地域が日本神話の3分の1の量を持つ。 だが歴史で見ると、何故そんなに重要なのかはわからなかった。 近年見直されてきているが、昭和末期までは神話は神話、大和朝廷に対する敵勢力の象徴として僻地の出雲が選ばれたに過ぎないなどと言われていたのだ。 荒神谷遺跡日本の国土の一部は古い時代の遺物を含んでいて、それがありそうな地域は法律で様々な規制がか

          をとめの胸鉏とらして

          《東京》縁切り詣りの記録

          あなたは縁を切りたい人がいますか? いない? それは幸せなことです。 世の中には関わってはいけない人がいるのです。 それを知らずに迂闊に関わって、これはおかしいとわかったときには時すでに遅し。 タゲられて無茶苦茶にされて、ないことないこと噂をばら撒かれて、嘘の個人情報撒かれて酷い目に遭って、それでも終わらない。 助けて……。 自分の力でどうにもならないことは、そう、人智のおよばないものに頼るしかないのです。 きっかけきっかけを深く話したらまた関わってきそうなのでさらっと話

          《東京》縁切り詣りの記録

          あらためて宇佐という場所

          宇佐というのは洒落でなくて胡散臭い。 宇佐神託事件のイメージが悪いし、道鏡と八幡大菩薩の僧形が重なるのもよくない。 比売大神なんていうあからさまにあやしい女神をいただいているのもわざとらしい。 きっと近世の工作があるに違いない、とずっと思ってきたのだけど……ええ、宇佐? 宇佐と邪馬台国、関係ある? 2つの東征宇佐は神話・伝説の中で2つの東征に出て来る。 東征というのは文字通り、西の地から東の地に征服に行く物語だ。 初代神武天皇が南九州から大和に東征に出ている。 2つめの東

          あらためて宇佐という場所

          邪馬台国までの道を辿る②

          ぶっちゃけ、魏志倭人伝をよく読んだことはないけど邪馬台国が好きって人、結構いるのでは!? 私もそうだった。 まさかこんな内容だとは思わなかった。 邪馬台国への道程の他に倭人の習俗も書いてある。 葬式の様子が現代とまるで変わらないことに驚く。 それから、貴人の前では人は柏手を叩いて土下座するとも書かれている。 神社の柏手はこの習俗が由来で、神々はやはり死せる貴人なのだ。 いよいよ邪馬台国へここで文章が代わる。 ここまで[方角]行至[国名]国と書いてあったのが、突然南至を列挙

          邪馬台国までの道を辿る②

          邪馬台国までの道を辿る①

          邪馬台国が今になるまでどこなのか確定されないのは、その記述の通りに進むと日本国内を飛び抜けてしまうかららしい。 だから記述のどこかをいじらなくてはいけない。 みんな自分の都合の良いようにいじるものだから諸説花開き、トンデモ説もたくさんある。 邪馬台国のみならず、中に登場する国々の比定も勝手にしていて、根拠は今の地名との類似くらいなのだが、うん、楽しいよね。 きっかけその日は確か柞原八幡宮に行こうとしていたのだと思う。博多から特急に乗って、中津平野を南下していた。 中津平野

          邪馬台国までの道を辿る①