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鴨はどこから来たのか

昨日本当にそうなの!? みたいな珍説を披露したのでついて行けてない人もいるのかも(笑)
今日はライトに行こうと思う。

何故阿遅鋤高日子根が迦毛大御神で、事代主の子孫が賀茂氏なのか。

そのカモどこから来た!?

と言うお話。

難しい話ではないので一瞬で終わる。

古代、トモエガモをアジガモ、アジと呼んだ。

つまりこれだ。

阿遅だから鴨なのだ。
単なる渾名だ、おそらく。

では何故阿遅なのかと言えば、これは海の向こうの神話を読み返してほしい。

新羅の祖王赫居世は須佐之男の可能性があるという話をちょこっとした。(そこはあまり重要でない)
赫居世と同一人物の可能性のある倭人瓠公は、赫居世から脱解の時代に活躍した新羅の重臣だ。
脱解王の時、子どもを鶏林の鶏の鳴く木で見つけて名を付けた。
閼智(あっち、アルチ)と。

閼智=阿遅ではないか。

そしてこの閼智が伽耶の伝説の仙見王子とすれば、仙見王子が倭国の王となったという伝説ともあう。

下照姫は中つ国の王の娘だ。
台与だとすれば女王となる。

また延烏郎と細烏女の伝説とも合う。彼らは倭国の王と貴妃となったが、阿遅鋤高日子根と台与とすれば女王とその配偶者だ。
日の精という説明とも合う。卑弥呼、ヒルメの後継者だ。

倭文神社の伝説は創建から全て下照姫のものとなっている。
下照姫が倭文神であるならば、細烏女が機織りをするのも説明が付く。

天照大神の荒魂に、瀬織津姫がいる。セオリツヒメが細烏女の語源ではないだろうか。

同じく天照大神の荒魂に、向津姫がいる。撞賢木厳之御魂天疎向津媛(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)と言うのが正式名称だ。
天疎、あまさかる、故郷を遠く離れて。阿加流姫そのものではないか。

阿加流姫の物語は、国譲りと同時代であり、神武天皇とも同時代である。
また饒速日、天火明と関係が深く、その物語は天稚彦の物語とリンクしている。
崇神天皇、垂仁天皇とも同時代であり、西暦にすると三世紀半ば~後半。250年代のことだ。

とすれば、神武天皇の東征は、卑弥呼の死後男王が立ち国が乱れたことと関係がある。

そしてそうであるならば記紀はもとより尾張氏の系図、物部氏の系図も書き換わる。

実は海部氏の勘注系図は注釈で何世代も同じ人物の名が充てられている。
むしろ、この勘注系図の方が正しい可能性すらある。

そして、神武天皇を3世紀半ばに置き、崇神天皇と垂仁天皇も同時代に置くことで解決することがある。

纒向遺跡だ。

卑弥呼の死後まもなくここに遷都したとすれば何もかもが辻褄合うのだ。
遷都の原動力になったものが神武天皇の東征とすれば、神話と歴史が融合する。
出雲の国譲りも出雲からの遷都であるとすれば。

魏志倭人伝には東の投馬は出て来るが西の投馬は出て来ない。

それが、須佐之男が稚日女を凌辱した咎で追放されたのが理由だとすれば。

卑弥呼がまとめ上げた王国は卑弥呼であるがために須佐之男を追放し、紀氏と険悪な仲になっていた。
神武東征を経て再び統一したときに、出雲も紀氏も加わったのだとすれば。
それをまとめ上げたのが須佐之男と稚日女の娘だとすれば。

すべて説明付かない?

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