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【日々の学び】代わりに片付けてやろうなんて思うな

こんにちは。アロマで起業を目指すワーママ、yuAReT(ユアレット)です。

5月から9月にかけて
月1ペースでカウンセリングを受けました。

5月の私は
仕事、家事、育児、と
役割に追い詰められていて
実家などのサポートはなく
夫も不規則仕事&マイペースで
ワンオペ状態+冷戦状態、

起業を決心してコミュニティに入り
さらに時間は足りず
火の車になるものの
それが生きる歓びにもなっていた、、
というそんな5月。

約15年前、心療内科の戸を叩いた私は
察しました。誰かにSOSを出す時だと。

その中でSOSを出した一つが
カウンセリングでした。

カウンセラーさんが伝えてくれたこと

カウンセラーさんは
基本ひたすら傾聴、
話を聞いてくださいます。

溜め込んだ思いを吐き出し
自分の感情や状況を伝え
共感や労いというケアをもらいながら
客観視につなげていきます。

今回は
カウンセラーさんが
話の締めくくりとして
くれた言葉を紹介したいと思います。

・自分の心地よさを優先する。

・我慢し続けなくていい状態を目指す。
 負担をできるだけ減らす。

・人の課題、問題まで背負おうとしない。
 相手に任せて、放っておく。

・全てを解決しようとしない。
 ネガティブ・ケイパビリティ。

・自分の機嫌や感情を100%出なくても
 デザインしたり、コントロールする術を
 持っておく。その力の筋トレをする。

ネガティブ・ケイパビリティとは
現時点で解決できない事態に耐える力
を指します。

耐える

頭ではわかっちゃいるけど、
できてないなぁ、苦手なんだよなぁ
と感じました。

ことを今すぐ収めようとしない

つい、ことを丸く収めたくて
我慢してしまう。

つい、ことを綺麗に収めたくて
人の課題を代行してしまう。

でも、それでひとに感謝されたことはありません。
我慢した分、自分が機嫌を損ねれば
「なんで機嫌悪いの?」と逆にワルモノ扱いです。

なにもよく巡っていない。

つまり
「こと」をいま収めようとするな。

散らかっているこの場を、
いつでも自分が片付けてやろうなんて思うな。


「こと」を収めたら満足か?

自己犠牲に酔ってないか?

片付いた先に
本当に自分は満足を得られるのか?

フラストレーションで爆発するくらいなら
ゴミ溜めみたいな散らかりようでも
その場をそのまま去って
ひとりになれる場所で自分を調えろ。

今の私には、そう言い聞かせています。

カルガモみたいに
子どもたちはまだ着いてくるので
一人になれる場所をつくるのが
なかなかハードなのですが。

片付けたい衝動に克つ

コミュニティで得た心の支え

起業準備の中で得た気づき、

人生で経験した全ては
誰かに寄り添う手立てになる。


これは私を強くしてくれました。

過去も現在も未来
不安や苦しみ、もちろん心地よさや喜びも
全ては誰かのために活かせるものになる。
活かすものにできる。

ただただ私が辛いだけ、それで終わり
にしないことができる。

いま目の前にしている不安や緊張にすら
「でもこれも、私の肥やしになるなー」
とみている自分がいます。


その希望が私の勇気になり、
救いになっています。

心乱れるなら一旦手放してもいい、と思う

散らかってたっていいんです。
コトもモノも、ココロも。

整然としていれば清々しいけど
それをつくるために、維持するために
息苦しくなってしまうなら

ちょっと目を瞑って
「あーこりゃたいへんだね」と
ひとごとのように
外の風にあたりながら
お茶を1人飲んでみる

呼吸がらくになってから、
自分の手に届く範囲の1箇所
すこし調えようか、くらいのペースで
歩めるようになりたい。

季節の変わり目、心身揺らぐ時期です。
じぶんにやさしくいきましょうね。
(自戒を込めて)

温かいお茶が更に美味しく感じる季節

皆さんの明日がやさしい1日になりますように。

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