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「誰かのため」は忘れるくらいがちょうどいい。ーーおにぎりが教えてくれたこと。

誰かのためになりたい。

なんていうと大袈裟だけど。

自分のしたことが誰かのためになったらちょっと嬉しい。

そう思わずにしたことが誰かのためになっていたらもっと嬉しいーーー。


己のことばかり考えて生きている私が何年も続けている「誰かのため」がある。

「おにぎりアクション」だ。

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これはNPO法人「TABLE FOR TWO International」によるプロジェクトで、「おにぎり」の写真を各種SNSにアップすると、1投稿につき給食5食分(相当の寄付)がアフリカ・アジアに届けられる。

「おにぎり」は日本人の心。口にすることこそときどきかもしれないけれど、その元になるごはんはきっと毎日のように食べているはず。それをぎゅっぎゅっと丸めて写真に撮るだけで、育ちざかりの子供たちのお腹をいっぱいにできるのだ。

私はおいしいものを食べることが大好き。満たされるのはお腹だけじゃない。心も、だ。多少のつらいことも満腹なら乗り越えられたりする。そのことを知り尽くしているから、満足に食べられていない子供たちがいるのなら、一人でも多くにその喜びを知ってもらいたい。チャージしたエネルギーでお勉強を頑張って、可能性に満ち溢れた大人になって……生きることを楽しんでもらいたいと願う。だって、人生は楽しいものだから。

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「おにぎりアクション」が素敵だと思うのは、「無理なくできる」ところ。少しでも無理があると、だんだん苦しくなって、当初の厚意も義務に。そんな自分に嫌気が差してますます追い詰められていったり。このプロジェクトは我々の日常の先にある。日々の生活の中で何気なくできることだから苦にならない。長く続けることができるのだ。

また、「人を傷付けない」こと。「誰かのため」に犠牲が必要なのだとしたら、それは本末転倒だ。しかし、「おにぎり」の写真は、無害どころか、癒しすら与える。ひとたび投稿すれば、むしろみんながハッピーになれるのである。

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そして、私が何よりも素晴らしいと思うのは、取り組んでいるうちに「誰かのため」という意識がなくなっていること! それは、このプロジェクトがとにかく気軽、かつ、平穏であるから。写真を投稿するときには「おにぎりを作ったから見て! 見て!」くらいのことしか思っていない。それがいい。「してあげた」という優越感はたしかにいらないのだ。「誰かのため」は忘れるくらいがちょうどいい。でも、結果的に「誰かのため」になっているのだとすれば、こんなに嬉しいことはない。

今年の「おにぎりアクション」は10月31日(土)まで。今から食べるおにぎりを1つ、ぽーんとアップしてみてほしい。タグは #OnigiriAction 、お間違えなきよう。


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おにぎ……“らず”、でもOK!(と思う)

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残ったごはんをラップに包んで冷凍する際、三角にするだけでもいい!(と思う)

https://onigiri-action.com/

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