結婚して姓が変わる時、人は何を思うのか
私事だが、今年2月に結婚し、パートナーと夫婦になった。
この国では婚姻の際に、どちらの姓を名乗るか決めるルールになっているので、わたしたちは夫の姓を名乗ることに決めた。
実はわたしは、姓を変えることにそれほど抵抗がないタイプだった。
ところが実際変えることとなると、いろいろとエモーショナルな気持ちになったり、こんな風に感じるものなのかという発見が日々あったりするものなのだ。
そこで、これから姓を変えることになるかもしれない人や、自分は特に一生変えることはないだろうけれども、変える側の気持ちになってみたい人の何か参考になればと思い、姓を変えることになった経緯から、変えて数週間の間の心情変化について、記録しておこうと思う。
(※選択的夫婦別姓は早く導入されるべきだし、導入されないことへ腹立たしくも思っているが、今回はそこが主題ではなく、あくまでわたしの話である。)
【第1章】わたしが姓を変えると決めた時
始まりは昨年の1月。彼と付き合って1年2ヶ月ほど経っていた頃。
これから二人の人生をどうしていくのか、わたしから議題をさらっと持ちかけ、これから結婚することと、ざっくりとしたスケジュール感がその時決まった。
その時彼が聞いた。
「結婚するなら、名字はどうする?」
まず、その質問をした彼に感謝&あっぱれをあげてから、
「わたしは今の名字にあまりこだわりないから、まあ、変えていいかなと思っているよ」
と答えた。
そこで、わたしがあっちの名字になることは概ね決まった。
「まあ」に込められている感情は色々だ。
・どっちかが変えなくちゃいけないならわたしでいいよ、こだわりないし
・実際新しい名字の方が珍しいしかっこいいから、なんか嬉しいかも
・正直名字変わることは昔から憧れてたし、ちょっとドキドキ♡
・でも手続きとか面倒というし、その辺は一緒にやってくれるんだよね?
・本当に変えるとなったら、アイデンティティを失う気持ちになるのかな
そんな感じで、
もうすぐ結婚するんだという嬉しさで盲目になりそうな自分と、理性を持って現実的に考えなければという自分が戦っていた。
でも、どちらかというと、楽しみだったのは事実だ。
【第2章】ルールが変わるならわたしは姓を変えないのだろうかと立ち止まった
それから数ヶ月した頃、自民党総裁選があった。
この令和に及んで、同じ姓を名乗ることを伝統だとかいう政党に政治が動かされていることに呆れ返るが、それがもしかして変わるのか?という兆しが一瞬現れた。立候補していた河野太郎が、選択的夫婦別姓に賛成の意志表明をしたのだ。
その時、急に前提が揺らいだ。
要はわたしは、「どっちかが変えるものだから」という今の前提に流され、よく考えずに「まあ変えていいよ」という返答をしていたが、
もし本当に姓を選べることになっても、姓を変えることを選択する明確な理由を言語化できていなかったのだ。
それに気付かされたのは、彼がふとこう呟いたからだ。
「本当に変えていいの?もう少し待ってたら、変えなくても良くなるかも」
本当にいいの?と聞かれると、突如不安に襲われるようだった。
わたしは大切な自分の名前を変えることを、なんとなく決めてしまっていたかもしれない。
姓が変わった時のことあまり想像できてなかったけど、もっと慎重に考えるべきことなのか?
姓が変わることって、実際何を得て、何を失った気持ちになるの?
そんな不安が湧き出てきた。
そして、もう一度自分の姓を変えることについて、ちゃんと向き合うことにした。
自分の人生を支えてくれた名前を変える、大きな節目になるから。
【第3章】先輩夫婦のヒアリングから改めて自分の選択を見つめる
すでに結婚して、姓を変えた友人数人に、姓が変わった感想を色々聞いた。
結論、十人十様で、
とにかく幸せを感じるよねって人もいれば、
大切にしてきたからプライベートでは旧姓をずっと使おうと思ってるって人まで様々。
もちろん、仕事の関係で通称使用もできないため、籍を入れられてないというカップルもいた。
膨大な登録名義を変えなきゃいけないのは面倒で、いまだに旧姓のままのやつとかたくさんあると思うわ、とも。
確かに手続き系はほんと勘弁してくれ✋
っていうのはおっしゃる通り。
ただそれを置いておいても自分の心情面はどうなのか、
色々聞きながらわたし自身の覚悟が決まってきた。
・わたしの旧姓は、平凡なほうなので後世に残したいとかはない
・育った家と家族がめっっっっっちゃ大好きで名残惜しい、というわけでもない
・相手の家族と父方のおじいちゃまおばあちゃま(夫の姓の家系)が凄く良い方々で、むしろ同じ姓を名乗れてありがたい
・というかそもそも、「家」と「家」みたいな考え方持ってない。むしろわたしたちで新しい家族を作っていこうという感覚強い
・だとしたら、わたしだったら、夫と同じ名字を名乗って一緒に家族作って行くのが楽しそう
という考えに至り、わたしはやはり姓を夫と揃え、New Lifeをスタートしよう!と決断することができたのだった。
【第4章】「〇〇家」を離れることの虚無
いよいよ入籍予定日も決まり、
ワクワクと婚姻届を準備していた、結婚約1ヶ月前。
両家顔合わせを終えて、
親同士が挨拶をした別れ際。
「これからどうぞよろしくお願いいたします」
と頭を下げ、帰って行く両親を見て思ったのだ。
ああ、育った家を離れるというのは、こんなにあっけないものなのかと。
特に今はコロナ禍で結婚式を見送るカップルも多い。
私たちも、今のところは保留ということにしていた。
結婚式があれば、その場で両親へ感謝の手紙を読んだりして、分かりやすい節目になるが、やらないとなると、その機会が自然には生まれない。
一ヶ月後には婚姻届を出す。
そこでわたしの戸籍は移り、育った家の戸籍には「除籍」と記され、
なにか合図や境界線があるわけでもなくぼんやりと、育った家を音もたてず抜けていくのだ。
まあ、除籍となるのは夫側も変わらないのだが、
育てた一人娘が、青○家を出ていってしまう、もううちの娘は青○ではなくなってしまうんだなあと、そっと見守る親の気持ちを想像すると、切なくて仕方がなかった。
姓が変わることによる自分への影響ばかり考えていたけど、こんなところに、切なさが隠れていたとは。
わたしは前述した通り、育った家への愛着はそこまで強くないと思っているし、
結婚は「家」と「家」のもの、などという意識は微塵も持っていないけれど、
それでも育った家を離れ、姓も違えるというのは、なかなかにセンチメンタルなものだった。
【第5章】婚姻届を出した日。大量の新署名に門出を祝われる
いよいよこの日。
旧姓とさよならし、新しい姓と人生をスタートする日が来た。
婚姻届が無事受理されると、
マイナンバーカード、住民票、印鑑登録などなどなどなど、
ありとあらゆる書類手続きが必要となる。
受理早々に、「新姓での署名」の洗礼を浴びるのだ。
字を書き始めて25年余り。ずっと書き続けてきた名字の一画目は、そんな簡単に忘れることはできるはずもなく、
何度か書き間違えて二重線で消すということを繰り返しながら、
新しく迎え入れた姓にようこそと温かく嬉しい気分だった。
国が変えろというから変えてるのに、
マイナンバーも免許証も、しばらくは正しい名前が備考欄記載なことだけには腹が立つが、
新しい姓を手に入れた気持ちはだいぶ高ぶっていて、
面倒なこともあるが、夫にはできない経験をわたしだけできていると思うと、むしろ嬉しい気さえした。
【第6章】サービスの登録名をひとつひとつ変えるたびに、わたしは27年間分のわたしとお別れしている
役所での手続きが終わっても、
ネットで調べた通りの手順で銀行口座やカードの名義などを変更しても、
変えなければいけない登録名は次々と現れてくる。
そして、ひとつひとつの変更処理をする度に、27年間の思い出なのか、そこに生きていたわたし自身なのか、何かとお別れしているような気持ちになるのだ。
Facebookで旧姓を消してしまったら、
みんなの記憶から青○さんだったわたしは消えていってしまうのかな。
LINEの名前が急に新しい姓になったら、
繋がっているお母さんもまた切ない気持ちになるかな。
先週名義変更した定期便、
今日からもう旧姓で届かないんだ。
新しいクレカが届いた!古いカードはハサミを入れて処分。
これでまたひとつ青○が刻まれたものともお別れだ。
そんな風にひとつひとつを噛み締めながら、
わたしは旧姓だったわたしとさよならしている。
もちろん、新しい姓になったことで嬉しいこともたくさんある!
自分で納得して、夫と同じ姓を名乗ることを決めたから、
郵便が届いてサインするときもちょっとhappyな気持ちになるし、
病院で名前を呼ばれるときも、あー変わったんだと実感するし、
一人でラーメン屋に並んだときも、順番待ちの紙には新しい姓を喜んで書く。
何か新しいものを手に入れられたウキウキ感を味わえるなんて今だけだし、わたしはそれを存分に楽しんでいる。
ただ、人間の慣れとは怖いもの。
プライベートで新姓を使ってたった1ヶ月。
仕事では旧姓をそのまま使っているが、改まってフルネームで署名したりすると、早くも違和感を感じたりもするのだ。
27年間名乗っていた姓なのに。
たった一ヶ月で、なんかおかしい感じがしたりするものなのだ。
それはもしかしたら、
わたしが色々と見つめ直して、ポジティブに新しい姓を受け入れられたからこそなのかもしれないけれど。
ひとつひとつの変更手続きを重ねて行くうちに、
旧姓を名乗っていた頃のわたしは、少しずつ薄れていく。
【第7章】通称使用で、アイデンティティはどこへ行く?
前述の通り、仕事では今まで通り旧姓を通称として使っている。
旧姓の通称利用が一般的に認められている理由の一つに、姓を変えることによるアイデンティティの喪失を防ぐため、というものがある。
わたし自身も、学生時代から色々と活動やら仕事やらしてきて、これまでの実績は全て、旧姓時代のわたしが積み上げてきたものだ。お客様にも青○さんと覚えてもらうよう努力してきたつもりだし、新姓に変える理由が特にないので、そのまま旧姓を通称として使用している。
ところが、アイデンティティの喪失を防ぐために通称使用を選んだはずが、
結局わたしはプライベートでの新姓にはやくも慣れてきてしまった。
こうなってくると、今度は逆に、仕事の通称青○さんが、ひとり取り残されていく感覚が生まれそうな怖さがあるのだ。
分離を感じる可能性があることは想像していたが、
まさか新姓にこんなに早く慣れてしまったがゆえに感じることになるとは。
こればかりは今後どうなって行くのか、今のわたしにもわからない。
もしかしたらそのまま慣れていって、特に意識しなくなるのかもしれない。
逆に、仕事とプライベートの分離を益々感じるようになるのかもしれない。
子供が生まれたとき、子供の母親である新姓のわたしと、仕事を頑張ってきた旧姓のわたしが離れてしまって、本当の自分がわからなくなったりするのだろうか?
それとも、独立した旧姓の自分がずっといることが、拠り所になるのだろうか。
色々想像はできるけど、どうなるのかは生きてみないとわからない。
姓をめぐるアイデンティティの行方は、わたしの人生を使った実証実験になりそうだ。
【まとめ】姓が変わるとき、結局人は何を思うのか?
これから結婚をする人の中には、
姓が変わることへの不安や、抵抗感を抱いている人もいるだろう。
育った家族と姓に愛着があるから抵抗感があるのか。
そもそも、名前が変化するということに怖さがあるのか。
仕事でのアイデンティティを失う気がするのか。
人によって不安な理由や心理は様々だと思う。
このnoteでは、姓が変わることを決めた結婚1年前から、姓が変わった1ヶ月後の現在までの出来事と気持ちの変化、そこでのあらゆる気づきを記してみた。
自分の人生の選択だから、立ち止まって見つめ直したし、
もしかしたら人一倍変化を噛み締めたことによって
切なさや、喜びを多く感じた部分もあるかもしれない。
この追体験が、誰かのこれからの選択の何か参考になれば嬉しい。
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