℘*《身体の命が消えた魂は💚せいぜい50年💗また魂は生まれ変わる》✴️そして50年以内には忘れられてしまうもの🍀【アユレム】
例えば、人間の姿としての命が消えてから、そうだね、せいぜい50年もすれば忘れられてしまうもの。
あくまでも、国とかその家で代々供養とかしているのなら別だけど、だいたい50年、ひ孫の世代を越えたら忘れられて行くのは当たり前の事なんだよね。
ひーひーお爺さんの事とか知らないでしょ。
家に、代々写真とか飾られているのなら顔ぐらいはわかっても、知らないよね。
本来は、それでいいんだから。
《魂》は、本来、長くても50年も経てば、何かしらにまた生まれ変わる、魂が人間界のような世界に、また巡るのだから。
歌にもあるけど、そのお墓にもう《魂》は居ないんだよね。
その《魂》の行いや力によっては、もっと早い時間で甦る、生まれ変わって居るのだから。
それは、現世に於いての関わりによって変わり、人間や動物、植物との関わり、要するにいろいろな生命体との関わりで変わって来るんだよね。
この世に於いての、そうだね【善・悪】にも関わって来るんだよね。
もちろん、いつまでも追悼する気持ちは大切だけど、それは、あくまでも忘れたくないとか、その行為に対しての称賛や反省に伴う、《現世に於いての人間という生命体の考え》に過ぎないんだよね。
何年かは、確かに思ってあげる事は、生まれ変わりに必要なきっかけ、要するに《現世での必要性》とか《思われる存在》が関わるからね。
でも、正直《魂》は、もうお墓には居ないし、恵まれた、心残りの無い《魂》は、一旦、また、生まれ変わる為の世界に行くからね。
ある宗教や仏教でも言われるように《光》というのかなぁ、それが導くんだよね。
その世界は、正直、僕も行った記憶は無いから詳しくはわからないけど、たぶん、行っては居ても、普通は記憶から消されてしまうからね。
それでも、何かしら《あれっ》みたいなデジャブみたいな感覚や、不思議な記憶が甦る事があるよね。
そして、思う誰かの《魂》は、どこからでも寄り添ってくれるんだよ。
それは、君自身の問題だけどね。
《信じる》《感謝》《思い》・・・が無い人間には感じないだろうけどね。
でもね、何度も言うけど、そこにこの世の人間という生命体が作った【お金】というのは、まったく関係はしないからね。
ただ、誰かや何かを救いたい為に使われた《お金》に関しては、この世に於いては生きるけどね。
献金したから、たくさんしたから《神のご加護》が多くなるという事は、まったく無いんだよね。
本当に、神に仕える人間の講演会や供養での【お金】も、あり得ないんだよね。
ただ、会費はあくまでもその会の維持費と、その会に関わる人間への報酬に過ぎないという事なんだよね。
本当に、神に仕える人間なら、その会や人間達の維持の為の、最低限の費用しか集めない筈なんだけどね。
話は反れたけど、《魂》との向き合い方は【始めは、思い、感謝し、この世に未練が無いように送るという事】そして、【新しい生命体での存在を願う】という事なんだよね。
いつまでも、《魂》的には、悲しんで居られても困るし、だからといって、ポイポイ忘れてしまうのもどうなんだろう・・・って事なんだよね。
だから、この世に存在している時に、大切に誰かと関わらなきゃいけないという事なんだよね。
君の大切だった、誰かや何かの《魂》は、もう隣で一緒に微笑んで居るのかもしれないよ。
それが・・・【縁】とも言うんだよね。
過去に、何かしらで関わっていたから引き寄せたのかもしれないよ。
だから起こるのが、【因果応報】。
たぶん、記憶には無いけどね。
そんな時は、《懺悔》と《感謝》の思いで受け入れられるからね。
君に、寄り添う《魂》は、必ずしも《人間》という姿だけでもないからね。
《ペット》という形や、《時にはぬいぐるみ》みたいな、人間界ではあり得ない姿もあるという事なんだよね。
だから、【縁】は、大切なんだよ。
神だとか、魂との関わりは、すべて《お金》ではなく、君自身なんだという事だけを理解していれば、いいと思うけどね。