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自分の中の思いを聴く、その練習

自分の中に安心する居場所をつくりたいと
そう強く思って過ごさせていただいていた一年

Love myself !!ってことばはなんかピンとこなかったりすることが多くて
でもふと去年思ったこと、
外に安心する場所を求めようとしたり
人の中に自分の居場所を見出してりしていると
時々とても苦しくなる
“人の役に立つこと”を価値基準に
自分の存在意義を見出し続けてきたら
なんだかふと、つまづいた

人はそれぞれ流動的だから
時々その流れに置いてかれたと思うと
同時に自分の存在価値も一緒に流れて行っちゃって
自分の入れ物だけ残されるように思っちゃう

これ、少しでも変えてみたいなって、
そう決意した20歳の誕生日から
若干の思考の方向転換を試み始めて

人のためと思うことが変えるべきこと
なんじゃないけれど
“自分”って何をしたいんだろう、
自分の声に耳を傾けてみたいと思う
自分がわたしの中で

生まれた

そこから自分の行動が善か悪かって感じるより先に、
それを抱いた自分を認めちゃる!っていう空間を心につくる練習
その時の感情を受け止める、自分の中の感情を叱ったり制御したり
周りを見過ぎたり
そうじゃなくて蛇口から流れる水に触るみたいに
流れていく感覚を受け入れる

そうしたら少しずつゆっくりだけど
すごく下と上から引っ張って真ん中で釣り合うような心の中心みたいなのを感じられるようになってきたりして

わたしはそんなに自分が自分に期待するより

物事多く完璧にできないし
ひとりで抱え込めるほど強くもないし
いつも優しいことばなんて言えなくて
ぐちぐち僻み野郎の時も多いので、
泣き虫で、寂しがりやで
やりたくないことやる時は顔死んでるし
常に笑顔なんて無理です
すみませんが、これがわたしなんで

って自分の中の責め立ててくる完璧主義者の部分に
反抗できるくらいには自我が芽生えました🌱笑

等身大の自分を自分自身が段々と認められるようになったのかも知れないなって

世界の平和的解決とかを考えるより先に
自分自身との、

自分の心にある
一つ一つの感情たちの平和的話し合いが
安全に行えるように
自分の中の話し合いにとことん向き合ってあげる一年に

人の中に存在する自分も大切にするけれど
自分が自分の中に安心する居場所をつくれるにように



- - -
20歳のnoteで書いたように
こう思えたのも周りの大切な人たちが諦めずに
“それ本当に思ってる?” “もっとわがまま言ったらどうなる?”って
わたしに言ってくれたから
言っても自分は受け止められなくても
受け止めてくれる人を
近くに感じられたから

友は偉大です、ありがとう
そう思い続けてる

わたしも善悪の尺じゃなくて
みんなの”存在”そのものが大好きです
良くあろうとしすぎないでね笑

少しずつ、
少しずつ、
少しずつ、

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