「仕事」と「住む」と「暮らす」
「移住」しませんか?って重いなぁ
どんな仕事をしたいのか?どんな生き方をしたいのか?
という言葉はとても強く、重たいなぁと最近おもう。
強すぎるというより、強い人、強くありたい人の言葉なのかもしれない。
2013年、東京からパートナーと宮崎に移住した。
ある人に、「東京で失敗して、うまくいかないから宮崎に帰ってきたんじゃないんですか?」と言われことがある。
また、ある人には「東京に飽きたから帰ってきたんですよね?」
それから暫く経つと、「東京と宮崎でのキャリアの両立、これからの新しいキャリアプランを作るために宮崎にいらっしゃるんですね?」
正直、違うというか、そんなシンプルな理由で判断したわけじゃないけど、苦笑いしながら「そーなんですよねー」って流してた。
みんな「移住」という選択に”ちゃんと”した理由を求めている
この”ちゃんと”というのは、彼らが求めている答えなんだと思う。
そして、
彼らの求める「移住」には 仕事 = キャリアプラン というものがなければいけない
そうだよね。生活があるもんね、将来不安だもんね。
私は宮崎にJターン(都城出身だけど、生まれ育ちでもない宮崎市へ)
パートナーはIターン(東京出身で、宮崎市へ)
二人とも、ビジネスキャリアはある方だと思うし、キャリアプランも意識して東京で過ごしてきた。当時住んでいた家は、お互いの仕事に便利なところを選び。土日だって月曜からのハードな仕事に合わせて、バランスをとるようにしてきた。
二人結婚する直前に、代々木上原に引っ越しをして、パートナーは新宿へ、私は表参道の職場へ通っていた。最初は「自転車で通えるね。健康になれそうじゃん。笑」って事で、二人とも自転車で職場へ通っていた。
宮崎に来てからも、ずっとその意識は持っていたし、持っていなくてはいけないと強烈に自分に言い聞かせてきた。
パートナーとは、ほんと時々だけどキャリアプランとライフプランについてお互いにメンタリングしたりしてきた。
キャリアプランがないと不安だったんだなって最近思いはじめた。そこに居場所がなくなるのじゃないかと。
なんだかんだ「仕事」だけだったんじゃないかな。
宮崎に移住して8年目。どうも僕たちの価値観はだいぶ変わってきたようだ。
以前までは、仕事を中心にすべてのバランスをとろうとしていた。ある意味、それが僕らの生活で、どこに「住まい」を選んでも、そこは「家」があるだけで、仕事のために生活をしていた。仕事のための手段としての「住まい」だったと思う。
そんな僕ら二人にとっての中心が大きく変わっている。
「仕事」中心から「暮らし方」中心へ
仕事のために、何をやめて、何を選んで、どんな生活をするのか?という考え方や判断から、
どんな暮らし方を僕たちはしたいのか、なにが居心地がいいか、なにが好きか、なにをしていきたいか?という判断を中心に、「暮らし方」を大切にする価値観になっている。
以前の、生き方=キャリアというのも悪いとは思わない、仕事を中心にした生き方があって生活があったのを否定しているわけではないけど、
今の僕たちは、「暮らし」のなかにキャリア、住まい、生活がある。それぞれの意味や価値の大きさや位置は人それぞれだけど、僕たちは確実に暮らし方が変わってきた。
住まいを変えたのでもない、キャリアを捨てたわけでもない、東京を捨てたのでも、捨てられたのでもない。
ただ、なんというか「暮らし方」が変わった。
「暮らしがえ」とも言えるかもしれない。
「仕事」のための「住まい」から、『大切なものを大切にする”暮らし方”』に変わってきたんだなと。暮らし方がかわったのかな。
別に、ずっと続くような安定した仕事をしているわけでもないのだけど、いつだって挑戦はするのだろうけど、日常の優先順位が変わってきたと思ってます。
大切なことを大切に。
そうありたいって思えるようになっただけかも。
まだ、できているわけじゃないだろうから。
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