筆塗りをしながら、良いプラモデル作品とは何か、改めて考えていました
ガンプラ2体の筆塗り塗装が終わりました。後は組み立て直して、トップコートを吹いて完成予定です。
筆塗りをしながら、良いプラモデル作品とは何か、改めて考えていました。わざわざそんなことを考えてしまうのは、プラモデル界隈にとっての良いプラモデル作品と私の価値観が一致していないからです。
プロモデラーの作例、プラモデルコンテストで受賞する作品達、私的に惹かれたり、作りたいとは思えません。
これは、以前に書いた、メジャーとマイナーの法則だな、プラモデルを作り始めてちょうど2年が経ち、私にこの長い葛藤の時期が来たのだと思いました。
葛藤とは、自分の価値観を確立するまでの期間のことです。作品における世間と自分の評価価値観のギャップ。
私は音楽制作で同様の長い葛藤の時期を耐えてきましたので、今度はプラモデルなんだな、音楽制作の時の過程をプラモデルに応用出来ないか考えてみよう、と。
確か音楽制作を始めて10年ぐらい経ちますが、私が自分の作った曲に自信と自覚を持てるようになったのは、去年でした。
その内の5年間は間違いなく回り道をしていました。マイナーなアンビエントミュージックをメインにしない方が良いのではないか、と逡巡しながら、ダンスミュージックを並行して制作していました。
私の中のメジャーが、ダンスミュージックだったのです。
経験的にまず私がやるべきことは、必要ではないメジャーを心の中で切り捨てることです。キツツキのプラモデルを嬉々として作る私がメジャーだとは思えないので、私の基軸はマイナーにあるでしょう。
ただ、メジャーを否定するのではなく、メジャーの中から必要な要素は残す必要があります。ほとんどは私の作品制作に必要ではありませんが、全てではありません。例えば、今の私にとっての必要なメジャーは横山宏さんです。
次に、プラモデルでなくて良いので、私にとってベーシックであろうマイナーワールドへ連なるキーを探す必要があります。私は横山宏さんではないので、マシーネンをスクラッチでデザイン出来ないし、当たり前ですが、方向性は一致しません(上手い下手ではなく)。
今回のガンプラ塗装で感じたのは、私の中の絵画主義であり、水彩画のような滲みでした。
私が初めてキチンと制作したガンダム・エアリアルは、OPアニメに出て来た水彩画風に塗りたかったのを思い出しました。
プラモデル制作を始めたばかりの私は、塗料を希釈せずに瓶生で塗っていたので、イメージ通りに塗れませんでした。
今回、筆塗り塗装をした2体のガンプラは、墨入れよりも薄めて、かなりシャビシャビにして重ね塗りをしたので、淡い色合いに仕上がりました。
そもそも、私が愛用している塗料はアクリジョン筆塗り専用で、メインになるのはパステル調の可愛らしい色です。音楽で言えば低音、つまり、暗部はアンティークゴールドを使用しています。
女の子っぽい色合いの中に、大人なアンティークゴールドを混ぜる、横山宏さんやMAX渡辺さんの筆塗りの技法を使えば、下地を暗く汚して、その上から本塗りをするのが良いのか、考えています(MAX塗り)。
ただ、それだと全体的に暗くなるので、ミニタリープラモデルで試してみたいと思います。
まず、パステル色をメインにしてプラモデルを塗装しているモデラーを私の他に知りません。
多分、独創性に溢れていると言えますが、他を見習えないとも言えます。
私の話が塗り方ばかりで、組み方や改造に行かないのは、私はプラモデル制作において線形よりも色彩に興味があるからです。
なので、モールドとかにも、それほど興味はありませんし、墨入れをしたいとも思いません。
プラモデルは既に立体物で、線形がパーツによって決まっています。私は立体感を強調したり、決まっている線形を変えたいと感じないのです。
それは、私がスナップフォト(メイクではなくテイク)をメインに撮影している写真家だからでしょう。
写真はフラットです。私は被写体に手を加えて撮りたいとは思いません(花に水吹きをして撮るとか)。光は天からの恵みであり、光によって形と色は決定されます。
出来の良いガンプラを塗装せずにパチ組で完成としているのも、手を加える必要がないのならばそれで良し、と感じるからです。
プラモデルの線形は既にあります。ほとんどのプラモデルキットに無いのは色です。今のガンプラのように見事に色分けされたプラモデルの方が珍しいので、自分で塗るしかないのです。
私の中にある絵画主義。そして、スナップフォト、アンビエント。
これらの3点を繋げることで、私におけるプラモデル制作のテーマが見えてきそうです。
私のスナップフォト、アンビエントは「自然」(風景)をテーマにしています。しかし、プラモデルは人為であり、私にとってはポートレートのようなものです。私はジオラマ制作もしていますが、そこまでジオラマ制作にハマりませんでした。模型をヴィネットに置くだけでも満足出来たからです。
従って、私が模型に求めているのは「自然」では無いのだろう、と思われます。私にとって「自然」は既にあるもので、自らの手で作り上げるものでは無いのでしょう。
情感。私が制作したプラモデル達を見ていると、情感を感じます。
私は写真や音楽で情感を表現しないように意識しています。「自然」自体に情感は必要では無いからです(寧ろ不必要だと考えています)。
絵画にも情感があります。それは色彩であり、筆跡、マチエールです。
問題は、情感と「自然」の接点です。
それは人為、言い換えれば、「私」と「自然」の接点は何処にあるのか、と言うことでしょう。
私にとって、プラモデル作品を並べることは箱庭で、それは心の密室である。
私の「心の密室」と「世界」の接点は何処にあるのか、と言うことなのか?
あ、これは幾原邦彦監督のアニメ達じゃないのか、と今、思い当たりました。
だから、私のプラモデル塗料はパステル色なのか。
私は世界を革命する為にプラモデルを作っているのかも知れません。