なんなる19🇮🇹伊・ボローニャ滞在記第❽回の所感🇮🇹 友達と友達の関係をつなぐために
「イタリアの『学校群』制度」を知って
大内氏のレポートを読むと、フルインクルーシブ教育のイタリアは、子どもたちを地域単位で包摂していることがとてもよく伝わってくる。
日本はどうだろう。
日本の学校教育に関わる様々な法律や規則は、明治維新以降、誰もが平等に教育を受けられるように先人たちが工夫し努力されてきた証でもある。
2024年の今。
次の時代に向けて、法律や規則の中身を見直す作業が、必要になってきているんだ。
だから、私はこのnoteを書いているんだ。
改めてイラストにしてみて、よくわかったのだが、日本はICIDH(国際障害分類)による「障がい=医学モデル(損失、病、弱さ、未熟さ)」というものが、法律の中に非常に根強く残っている。見直すべきなのは、ここからなのだということが、よくわかった。
大内氏は「自治体単位でインクルーシブ事例を作っていく、広げていく、議論を続けていく、下から改革していく」と提言されている。
イタリアでは保護者もチームの一員
日本は、専門的な立場の人が上で、相談者は下、というような上下関係に陥りがちである。しかし、「専門的な立場の人のいう事は絶対的である」というのは「幻想」だ。
大内氏のレポートによると、
とのこと。学校に所属する各教科の教師、支援教師、それから社会的協同組合に所属する教育士とアシスタント、さらに地域保健機構に所属する医師や療法士、そして保護者がチームとなって、対象となる子どもの個別教育計画(P.E.I)を作っていくのだ。
これは大きい。
友達と友達の関係をつなぐために
さらに、個別教育計画(P.E.I)では、クラスメイトとの協同学習の中で達成されるような目標の書き方というのが、日本(医学モデルから障がいを捉え、障がいによる困難を克服し、自立を目指す)とは大きく異なる点であり、大変興味深い。
詳しくは、大内氏のレポートでぜひ!
「調理とホテル学」を志す仲間とともに学ぶ
日本では、中学校を卒業した子たちが特別支援学校高等部に入ってくるケースがとても多い。
特別支援学校をなくしたイタリアではどうしているのか?
イタリアの高校はリチェオ(Liceo: 古典高校、科学高校、言語高校、芸術高校、音楽高校などがある)と呼ばれる高校とイスティトゥート(Istituto: 技術高校、職業高校などがある)と呼ばれる高校に大別されるとのこと。
日本では、特別支援学校高等部に職業コースを設け、就労に向けた実践的な取り組みが展開されている。「障がい」だけを見て「特別支援学校高等部職業コース」に生徒を集めるんじゃなく(分けて教育するのではなく)、イタリアのようにたとえば「職業高校」で「同じ志を持つ仲間」と共に学ぶというような環境が、これからはもっと必要になってくると思う。わざわざ場を分ける必要なんてないと思う。
人間は多様であることこそが当たり前なのだから。
人はカラフルなのだ。
人の内面もまたカラフルなのだ。