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なんなる24🇮🇹伊・ボローニャ滞在記第⓫回の所感🇮🇹 私の登りたい山

第10回の所感はこちら。

大内氏のイタリアからのレポートをとおして、私も旅した

イタリアと日本は、違う山を登っている。

「医療と福祉と教育の連携」という視点から、このレポートを読み解く。

イタリアに残されている特別学校は、そのほとんどが小規模の学校であり、それに加えて医療施設やリハビリセンターが併設されているケースが多いとのこと。そして、様々なセラピー(言語療法士や理学療法士など)や心理士が教育の場に入っていること。服薬の補助をはじめとする医行為は看護師が担っているとのこと。

日本の多くの(肢体不自由)特別支援学校では、端的に言えば、教員が全てを指導できるようになっている。「医療的ケア」というのは、医療職ではない教員が教育現場で行うために生まれた言葉でもある。自立活動の時間は、本来、理学療法や作業療法の専門知識が必要不可欠であるが、理学療法士、作業療法士と学校教員の日常的な連携は、ほぼ、ほぼない。学校の世界では、教員の研鑽あるのみ。これまた端的に言うと、学校という狭い世界で完結しているともいえる。

「一日を安心して気持ちよく過ごせるように」という願いは万国共通

重度重複障がいの子ども、医療的ケアの必要な子どもを支える、という同じスタートラインであるはずが、イタリアと日本は、明らかに違う山を登っている。
その現実を突きつけられ、愕然としている。

「妹のような人もいることを知ってほしい」

知り合いの子が、人権作文で優秀賞をもらった。
肢体不自由特別支援学校に通ってる重度重複障がいの妹とレストランに入ったら、レストランスタッフたちの「かわいそうねえ」というひそひそ話が聞こえてしまって悲しい気持ちになったこと、妹のような人もいることを知ってほしいという願いを率直に書き綴っていた。
その作文を読んで、私の学生時代のときにも、同じようなことを書き綴った友だちがいたことを思い出した。「ああ20、30年前と変わらぬ構図が続いている」と、愕然とするほかなかった。

おそらく、教育の場をわけている以上、この構図はこの先も続く。

それならば。私はその山を降りよう。

どんな子どもだって、同世代のお友だちと共に過ごす日常があってもいいはず。人間は多様であることこそが当たり前なのだから。

私の登りたい山の頂は、そこなのだ。


人はカラフルなのだ。
人の内面もまたカラフルなのだ。