🍀なんなる06未来の種蒔篇⓪「古傷の発信」
「学歴に頼らなくても自分の可能性は決して潰れないよ!」
私は古傷があります。
「教科書をもらえなかった」という傷です。
もし当時の友達でこれを見て、不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。
分離教育 ーそこは学校ではなく、単に聞こえない子を囲う場ー
3歳になる直前、予防接種後の高熱で聴覚を失った私は、地元の幼稚園に入学することはできませんでした。
周りの大人たちが「聞こえない子は聾学校へ」というので素直に従ったら…
ナント------! ( Д ) ⊙ ⊙
「教科書をもらえない」という、今の日本において稀有な経験をすることになるのです。「教科書をください!」と訴えたことが、学校生活の中で一番の思い出。
( Д ) ⊙ ⊙
このことを思い出すと、いつもふつふつと悔しさが込み上げてきます。
私が小さかったころは、耳の聞こえない子は可哀想な子で、学力が低い(大学進学なんてできるわけない)とされてきました。
それは、私の望む学校の姿ではありませんでした。
ただ単に聞こえない子を囲う場に過ぎませんでした。
「教科書をもらえない」状況は、ただただ苦痛でした。
籠の中の鳥 ー私がそこから逃げ出すことができなかった2つの理由ー
①周りの大人たちから「聞こえない子は聾学校」と聞かされ、そういうものだと思い込んできた
私は日本の教育制度により耳の聞こえない子を囲う場に振り分けられ、それに素直に従ってきました。
とはいえ、私は近所のお友達とも仲良しで、学校が終わった後やお休みの日は近所のお友達とたくさん遊んできました。
小学6年生のとき、近所のお友だちに「一緒に中学校に行こうよ〜」と言われたことがあります。
本当はとても嬉しかったんです。「行きたい!」と素直に思いました。
それなのに「私は耳が聞こえないから聞こえない子は聾学校に通うことになってるんだよ」と丁寧に説明する自分がいました。まさか聾学校中学部に進学したら教科書をもらえないという理不尽が待ってるとはつゆにも思わず。そして、教科書をくれなかった学校には、ついに最後まで馴染めませんでした。だから「学校を卒業した」のではなく「耳の聞こえない子を囲う場を脱出した」という表現がしっくりきます。
②機能不全家族の中で育ち、まだ子どもで経済力のない私は、いま自分の置かれている環境におとなしく身を置くしかなかった
私は機能不全家族育ちです。父は家庭にあまりおらず、母は乳児期の前頭葉損傷後遺症の兄の対応に必死の毎日でした。そして私もまた、ストレスで泣き喚く兄を必死にいなす毎日でもありました。
中学3年生になって、自分の進路に非常に困りました。なんといっても今後生活するためのお金のことが心配でした。
当時、世の中はバブル崩壊で就職氷河期に突入、自分が一家を養うほどの収入を得ることは、とても厳しいことのように感じられました。
また、当時、障がい者は門前払いの大学も多く、大学進学は当時の私には非常にリスキーな選択肢でした。
父不在及び兄の無職無収入による生活困難に備え、(学費の安い)聾学校高等部理容科で高卒と理容師資格を同時に取ることを決断する中学3年生でした。
教科書をもらえなかったけど、私はいろいろな知識を吸収した
私は、聾学校では、中学校の数学の教科書すらもらえなかったけど、公文で高校数学まで学ぶことができました。
公文のおかげで、独学でいろいろな知識を幅広く吸収しようという意欲を持ち続けることができました。
「どこの学校に通ったか」「教科書で学んだか」というのは、実は、さほど重要なことではないのかもしれません。
学校でなくても、教科書がなくても、人間はいつだって学ぶことができるからです。
だから、現行の日本の教育制度による小学校、中学校、高等学校からドロップアウトしたら「人生詰んだ」なんて思う必要はありません。
実はフルインクルーシブな環境 ー人間というものは多様ー
「耳の聞こえない子」とひとくくりにされがちですが、勉強が好きな子、スポーツが得意な子、いろんな子がいて、実に多様でありました。
「多様」
これは、「聞こえる聞こえない」「見える見えない」「歩ける歩けない」「言葉がわかるわからない」に関係なく、人間としてあたりまえの、普遍的なことです。
私はたまたまお世話をすることが好きな子どもでした。
教科書学習についていけないお友達のお勉強を手伝い、語彙の少ないお友達にはわかりやすい言葉で語らいかけ、外国語を母語とするお友達に漢字の読み方を伝え、びっこを引きながら歩くお友達にそっと手を差し出し、LGBTの友達が気持ちを打ち明けたときにはびっくりしながらもふうんと話を聞き、病気の進行という哀しみ苦しみ辛みにはそっと寄り添い。
教科書をもらえないという傷を抱えながらも、人間というものは多様であることを、私は幼少期より肌で感じ取ってきました。
多様な子どもたちが学ぶ社会 ー私の古傷の発信ー
2022年8月22日・23日に、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で、日本政府は「障害者の権利に関する条約」(以下、障害者権利条約)に関する初めての審査を受けました。そして9月9日に、国連の障がい者権利委員会から日本政府に勧告が出されました。勧告には、「インクルーシブ教育の権利を保障すべき」との記述がありました。
私の古傷を発信しようと決心したのも、この勧告に背中を押されてのことです。
多様な子どもたちがいることで、誰かが誰かの持っている可能性を邪魔するなんてことはありません。多様な子どもたちが一緒にいる環境で、それぞれがそれぞれの可能性をそれぞれに伸ばしていくことはできると考えます。