なんなる09🇮🇹伊・ボローニャ滞在記第❷回の所感🇮🇹3つの推しポイント
推しポイント①
存在の認識〜共に生きるを学ぶ〜
「学校では、子どもたちが、お互いの存在を認識しあい、それぞれの間で関係性を築きながら、共に生きることを学ぶことが、もっとも大切である」
イタリア・リミニのイタリア-スイス教育学園の学園長さんはそう語られたそうだ。
自分の稀有な経験(古傷)を振り返りながら、「うんうん」「そうそう」と力強くうなずく。
私はたまたまお友達のお世話をするのが好きな子どもで、勉強で友達のわからないところを教えてあげるのが好きだった。
しかし、もっともっと自分のために勉強がしたかった私は、日本の学歴社会と受験競争の現実に直面した中学3年のとき、「多様なお友達がいること」と「もっと勉強したい気持ち」の両立は無理なのかと、ものすごく悩んだ。
でも、私はそうやって悩んできて良かった!
多様なお友達のそばにいたことで、私の可能性を邪魔されるなんてことはなかったのだ!「人間は多様である」ということを肌で感じ取りながら、ちゃんと私の夢や目標を見つけて、ちゃんと達成することができたのだから!
もっと勉強したい子どもに対して、たくさんの知識を得ることができるようにサポートすることはもちろん大事。しかし、知識の詰込みだけが勉強ではない。多様な子どもたちがいることで、お互いの可能性を伸ばし合えるのだ。誰かが誰かの持っている可能性を邪魔するなんてことはない。もし「邪魔だ」と感じてしまったとしたら、それは社会構造の問題なのだ。
そう、社会構造の問題なのだ。
分離された場では、同じ年の友達同士の関わりがどうしても限定的になってしまう。
「自分とは違う世界」
「会ったことない」
「知らない」
だから
「自分とは違う世界のひとのことを理解してあげましょう、優しくしてあげましょう、こんなふうに接してあげましょう」
という言い方になってしまいがちである。
結果として社会全体の障がいや病気、老い、貧困などの「本当の理解」はなかなか深まらない。
競争にストレスを抱える子もいる中、「共に生きる」を学ぶ、とはどういうことかを、改めて問う。
推しポイント②
少人数クラス(20名ほど)、グループ学習、個別学習
私は、肢体不自由の子ども、知的障がいの子ども、ろう重複の子ども、重度重複障がいの子ども(というふうにカテゴライズしてしまいがちだけど、一人ひとり、家族や友人から「〇〇君」「〇〇さん」と呼ばれる、誰かの大切な家族、誰かの大切な人です!)と実際に関わりながら、「もし、地域の学校で同じ学年のお友達に交じって学ぶとしたらどんな感じになるだろうか」と想像することがある。絵空事だと笑われるかもしれないけど。。。
でも、イタリアの学校では、それは決して絵空事の出来事ではない。リソースルーム(個別学習やクールダウンのための部屋)を用意するなど、実際に共に同じ環境の中で学ぶための場を整えてきていることを知り、私はますますインクルーシブ教育への関心が深まった。
推しポイント③
教育・医療・福祉が一緒に作る個別教育計画(PEI)
イタリアの個別教育計画(PEI)は、地域保健機構から派遣された医師、PT,OT,ST、看護師、教科教師、支援教師、教育士、保護者などなど…多様な専門職が、共に同じ方向を見て、共に関わっている!
ニッポンとは大違い!
今、教育・医療・福祉が一緒に作る個別教育計画(PEI)について、大内紀彦先生が詳しく研究されていらっしゃるとのこと。大内紀彦先生のイタリアからの発信が、ますます楽しみになってきた。👇👇👇