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🍀なんなる14未来の種蒔篇(4)「木村英子国会議員にうかがう『なぜインクルーシブ教育でないとだめなのか』を拝聴して」

気持ちを伝える「勇気」

木村先生は高校生のときに、通常学校との交流について、「(最初からわけられた状態で)一日のほんの少しの時間の交流で深め合うことはできない」「最初からわけずに共に過ごすのがいい」という内容のお手紙を送ったとのこと。
奇しくも前回の投稿(なんとかなるさ13)で「交流」について私個人の経験からの思いを述べたが、根本的なところで同じである。

当時の私はそのことを大人に訴える勇気がなかったが、木村先生はなんと勇気のあるお方だろうと思った。講演では「怖い」という言葉が木村先生の口から何度も出てきた。このお手紙を渡すことで、もしかしたら世の中の多くの人を敵に回してしまうかもしれない、嫌われるかもしれない、という不安や恐れもあっただろう。
それでも、渡さずにはいられなかったのだ。
その背景にはきっと分けられて育ったことによる悲しみ辛み苦しみがあって、それが大きな原動力となったのではないだろうか。
私の「教科書をください」という訴え(なんとかなるさ06)もまたそうであったから。

「交流及び共同学習」とは。

1971(昭和 46)年告示の学習指導要領で初めて「交流」について記述され、2009(平成 21)年告示の学習指導要領にて「交流及び共同学習」の用語が使用されるようになった。
この「交流及び共同学習」については、いろいろな意見がある。
文部科学省のHPに、「『交流及び共同学習』では『インクルーシブ教育』は実現できない」(2010.10.18)というタイトルの障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワークという団体からの意見書が掲載されていたので、備忘録としてここに記しておく。

自由に外出できる権利、安心して家にいる権利

【自由に外出できる権利】

木村先生は、とてつもなく大きな勇気を出して、そしてとてつもなくたいへんな労力を費やして「地域に出たい」という願いを実現させるべく、努力を積み重ねてこられたのだということが、ひしひしと伝わってきた。

「地域に出たい」と願ってこられた木村英子先生

以前、車椅子ユーザーの先輩から障がい者の自立生活運動について話を聞く機会があった。
木村先生が話してくださったような介護保障を始め、主に身体障がいのある方が地域社会で生活できるようにと、様々な方が長年の間、積み重ねてこられた歴史があることを教えていただいた。

【安心して家にいる権利】

ところで、私の兄は前頭葉損傷後遺症の二次障がい三次障がいにより、人と関わりながら生活することが難しく、在宅生活が続いている。大勢と一緒にいることを苦痛に感じ、内へ、内へと、むしろ人とのかかわりの少ない場所にいたいと願われる方もいらっしゃるということを、前頭葉損傷後遺症の兄の≪存在≫をとおして学んだ(なんとかなるさ05)

うちの兄は「安心して家に居たい」のです。。。

最近できた「ひきこもりの権利」は、いかに家(自分が安全・安心に居続けられる場所)に居続けるかという希求で、「地域社会に出る」とは全く逆方向のベクトルである。

このように、インクルーシブ教育を語っていくということは、多様な質のもの・ひとと関係を結んでいくことでもあるから、振り幅が大きいということでもあるのだ。

自分が自分でいられるために

「ベクトルは全く逆でも、自分が自分でいられる権利を全うしようとする点は同じだね。」
「自由に外出できる権利、安心して家にいる権利、どちらも保障されるインフラが整った上で、どちらも選べるというのが理想なんだろうね。」
と車椅子ユーザーの先輩は話していた。
なるほどと思った。

いろいろな考え方がある中から、自分が自分でいられるように「選ぶ」という視点も見落としてはいけないんだね。
まずはいろいろな人に出会い、日常的に関わり、いろいろな考え方があることを肌で知る機会をつくっていくことは大切なことなんだね。


人はカラフルなのだ。
人の内面もまたカラフルなのだ。