君の膵臓をたべたい

今更ながら住野よるさんの『君の膵臓をたべたい』を読みました。
私は小さい頃から本が大好きですが、恋愛がテーマの小説があまり得意ではありません。普段は推理小説や青春小説、家族愛がテーマのものなど小説のジャンルは幅広く読むほうだと思います。
恋愛がテーマのものも何冊かは読んだこともありますが、あまり小説の世界に入り込めず共感もできなくて面白いと感じられず、なんとなく手に取らなくなりました。
そんな私がこの本を読もうと思ったきっかけは、次に参加させていただくダンス作品の曲が恋愛の曲だと聞いたからです。もちろんまだ先なので曲が変わる可能性は十分ありますが、、笑
作品を表現するには歌詞をちゃんと理解したい。経験不足は小説で補おう、と。

この本は、「恋愛」や「生」というより「人間」を扱った作品のように感じました。
主人公の男の子の名前が【】でくくられ、呼ぶ人や場面によって変わることと本名がずっと出てこないことが初めから不思議でした。彼は物語を通して人は外見ではなく中身が大事だと、だから他人にどう思われようと自分の本質は変わらないのだから関係ないし興味がないと言っていました。
この謎はちゃんと最後にとけましたが、名前でその人の客観的な評価がなされてしまう、名前に敏感だった彼が彼女を一度も名前で呼ばなかった気持ちは少し理解できるような気がしました。

人と関わることを避けひとりで生きてきた少年とたくさんの人から愛され多くの人と関わることで生きてきた少女。正反対のふたりが共に時間を過ごす中で、互いに憧れ必要とするようになっていく。お互いに影響しあって少しずつ変わっていくふたりに人間的な成長を感じました。
他人に興味がなく干渉しようとしなかった少年が彼女からのメッセージを読んで彼女のお母さんの前で感情をむき出しにして泣く場面で、私も涙が止まらなくなりました。彼は彼女と出会わなければ共に時間を過ごさなければ、こんなに誰かの存在が自分の中を占めることがあったのか、誰かを思うことがあったのか、これほどまでに感情を外に向けて出すことがあったのか、、。

「死」というものの存在は日常生活においてぼんやりと霧のように私たちにまとわりついているものだと思います。交通事故や通り魔殺人、病気、、私たちはいつも死と隣り合わせでありながら、その存在を意識することはほとんどなくて、当たり前すぎて明日が来るということにも疑問を持たないどころか意識もしていません。
彼と彼女は「死」を意識していたからこそそれを介して繋がっていたからこそ、「生」を強く感じていたし死の瞬間が訪れるまではタイムリミットが訪れるまでは必ず明日が来るということを強く感じていた。
相手に気持ちを伝えること、誰かと共に時間を過ごすこと、それは自分の選択なのだと。大切な誰かに出会うのは運命ではなく、自分自身の選択の積み重ねなのだと感じました。

彼は彼女と深く向き合ったからこそ変わったし、気づけたことがあるのだなと思いました。私も人間関係において自己完結で終わらせてしまうことが多々あるので、、。
儚くて純朴できれいだったなあ、というなんとも曖昧な感想になってしまいました。
それでも一気に読んでしまったこの本にはとても心を掴まれたのだと思います。
最後も、心になんのわだかまりも残さずすーっと溶けていくように読み終えた物語でした。
意地を張らず、もっと早くに読んでいればよかったなぁ、と。

#読書感想文 #住野よる #君の膵臓をたべたい #大学生日記  

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