意識と無意識の融合。鉄腕DASHを見て(グリル厄介)
“アニメの登場人物に、恋わずらい”を読んでくださり、ありがとうございます。とても、うれしいです。胸がときめくことが、青春時代を過ぎても、訪れるのだと、なんというか好きという魔力にかかっている状態です。みなさんは、いかがですか?
さて、人格系と発達系の本を読んで、素人の考えですが、感じたことがあります。
日曜ゴールデンタイムの国民的番組、“鉄腕DASH”。
昨日は、人気コーナーグリル厄介にて、蜂とフレンチの融合でした
そのときキーワードのように私が感じたのは
【土を活かす?】でした
前述の書作を拝読し、無意識のイメージを外観的に、少し知りました。
無意識は、神話や伝承などに現されてきました。人為的な結果とは、正反対のものでした。
例にすると粗い、源泉、自然など、手の加えられていない物や概念が、無意識と近しいものでした。
そしてそれらが、人為的な存在ではないのでした。
これまで意識と無意識は、融合よりも、対立を取ることが往々にしてありました。
文化文明は、意識によって作られてきました
心の中ではあっても、それは外の世界を作り、無意識に聞かないことも・・・
源泉であり、神格的な無意識は、意識の無視に怒りをあらわにし、さらには心の全体性の破綻を図る・・・
素人の私ですが、そういった感じのことを、知りました
国民的番組鉄腕DASHに感じる魅力は、ここからです(^^;)ゞ
【無意識との融合】
グリル厄介で、美しく仕上がった料理。絵画や宝石のように、洗練され究極のクリエイトされた美しさでした。見る人は意識によって作られたそれに、高揚し満足するのだと思います
しかしそうです、源泉の無意識が、さもないがしろにされるのなら、荒ぶる神のように冒涜は黙ってはいません・・・どうなるか・・・、
それが【土を活かす?】でした
土という素朴で、私たち人間や地球にとって、なくてはならない根元的な存在。大地や山や海や水、農業や伝統的なもの。純粋な、人為的な存在ではないもの。これが、無意識の外の世界でした。
作品に、土が活かされたことで、無意識が安堵し充足感を持ち、意識の作品世界を壊さないでいたのです
(活かす?の?は、意識が抱く、?だと思いました。!にしたら、無意識の積極的な思いを、意識が何を自負しているんだ!と、こちらも反感を抱かないとも限りません(^_^;))
この、意識と無意識の攻防が、静かにシェフの心の中で成熟し、“融合された作品”のように、私は思いました
この脳の中の神経のアクセスが、料理の手技のテクニックと共に構築された、美しいものの真実かもしれないと、番組を見て思いました。。。