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いつまでも、指の隙間から見させてください。[2021/06/20 LOST IN TIME/東京キネマ倶楽部]

誰かや何かを好きになる時、思っているより大袈裟な音はしなくて、あの時も、バーン!とか、ビビビッ!とか、どかーん!とか、そんなのは無かった。

音もたてずに私の中にするするっと入ってきて、どこかに流れていくことなくそこに留まって、静かに居座り続けた。


おそらくスペースシャワーTVの何かの番組で『羽化』という曲を聴いたのが最初だったと思う。

なんなんだろう、この声は。

から、時間をかけて

なんだったんだろう、あの声は。

になって、時間をかけて

ほう、LOST IN TIMEというバンドなのか。

になった。

そんなのんびりとした最初だった。


テレビで姿を見たのはアコースティックギターを抱えた海北さんだけで、それを見たのもその1回きりで、髪の毛が多いなっていう印象くらいしかなくて、LOST IN TIMEが何人組のバンドなのか、どんなバンドなのか、そもそもその海北さんが何者なのか、そんなことも何もわからなかった。

わからなかったけど、別に気にもならなくて、私の中に居座り続けたその声と音楽が、どんどん私を内側から侵食していっただけだった。

すぐにCDを買って、毎日のように聴いた。

でも、その頃高校で流行り始めていたのはRADWIMPSで、RADWIMPSを好きだと言うと、少しお洒落で少し音楽を知っている人という風潮があった。

だから私はRADWIMPSが好きだと言っていた。かなり声高に。

ただ、音楽を知っているといっても、私はバンドのライブなんかには行ったことがなくて、ライブハウスなんてちょっと危険そうなところに行こうと考えたこともなくて、放課後は友達とマクドナルドに寄り道するのが精一杯な、岡山のさらに田舎の真面目な進学校生で、ライブハウスにひょいひょいと足を運ぶようになったのは大学生になってからだった。


ちなみに一番最初に行ったライブハウスはCRAZYMAMA KINGDOM(通称:ママキン)で、一番好きだったのはIMAGEで、一番よく行ったのはペパーランドで、一番場所がわかりづらかったのがCRAZYMAMA 2ndRoom(通称:ママツー)だけど、それはまた別の話。


最初はガチガチだった私も、回数を重ねるうちにだんだんと自由に体を動かして楽しむ余裕も出てきて、ライブ友達なんてものもできちゃったりして、なんとなくライブに行くことが生活の一部のように当たり前になっていった。

そんなある時、LOST IN TIMEのライブが岡山であるぞという情報を仕入れた。

ぜったい行く。這ってでも行く。仮病使ってでも行く。

と、思った。

でも、私は一人で行く勇気も無ければ、友達を知らないバンドのライブに誘う勇気も無い、なんとも難しい人間だった。

それでもなんとかして行きたかった。

ずっとはっきりしないままの、正体の見えない大好きなバンドを見てみたかった。

だから情報収集をしようとインターネットを開いた。

当時はまだまだ無法地帯だった2ちゃんねる。

調べた。

調べてしまったという方が合っているのかもしれない。

耐性の無かった私はそこからどんどん派生して、必要の無い情報までたくさん仕入れた。

仕入れれば仕入れるほどいろんな事が怖くなって、どんどん自分の気持ちも見失っていった。

よく考えてみると、今の私もこれと同じような状況になってしまっているかもしれない。

最終的に、私は怖くて行くのをやめた。

我に返ったのはライブの日が過ぎてからだった。


それがなんだかすごく悔しくて、悔しすぎて、それ以来LOST IN TIMEを聴かなくなった。

行けたはずのライブに行かなかった自分を否定したくなくて、とりあえずそれを全部LOST IN TIMEのせいにした。

どんな言い訳をしてそうしたのかは覚えてない。きっと笑っちゃうくらい無理矢理。

行かなかったことを後悔していないふりをして、嫌いになろうとした。

嫌いになりきれないとわかっていたから、聴かないようにしていたんだろうけど。

そんなんだから、私がLOST IN TIMEの音楽に対して持っていたものは、いつまで経ってもそのままだった。

どんな人が作っているんだろう、どんな背景があるんだろう。

どんなふうに演奏するんだろう、どんなふうに話すんだろう。

そんなたくさんの「どんな」は、私の日常で生まれてくるそれ以外の考え事にどんどん埋もれていって、次第にそんなものがあったことすらも忘れていった。


それからしばらくして、かなりの遅咲きながらずっと手を出していなかったTwitterを始めて、そこでたまたま何かのハッシュタグから海北さんを見つけた。

遠い記憶というのと、そもそも情報が少なかったこともあって、名前と毛量くらいしか懐かしいポイントは無かった。

そんなことよりも、声や音楽がまたするすると私の中に入ってきて、今度は私の中をぐるぐるとひっかき回して、あの時仕舞い込んだ後悔と一緒に、埋もれていった「どんな」や、隠していた心底好きだという気持ちが溢れてきた。

結局、私を解放してくれたのもLOST IN TIMEだった。


それからはこれまでを取り戻すかのように聴き漁って、海北さんがベースを弾く人で鍵盤を弾く人というのもようやく知って、想像していたよりも優しく話す人だという事もようやく知った。

私が聴いていたあの頃はおそらくメンバーが少し違っていて、今の形になるまでにいろんなことがあったんだろうこともなんとなく知った。

知れば知るほど、分からないこともたくさん出てきて、またひとつ、いや、たくさんの「どんな」が増えていった。

でも不思議なことにそこを深く知ろうとは思わなくて、そこに確かに敬意を持ちながら、私には今とこれからがあればそれでいいかなぁなんて思ったりした。


長い時間をかけてようやく行った初めてのライブは絶賛コロナ禍で、そのせいなのかなんなのか、私が想定していたよりも少し鮮明に見えすぎた。

通常運転のLOST IN TIMEのライブがどんなものなのかは分からないからなんとも言えないけど。

おそらく長い時間が記憶を曖昧にして、妄想が遠くへ行って、もやがかかったように霞む姿をずっと思い描いていたせいなんだろう。

ソーシャルディスタンスで観るバンドセットのライブも、フタリロストインタイムも、ソロの弾き語りも、物販で目の前に立つ想像以上にでかい海北さんも、全部が美しかったし楽しかったし嬉しかった。

でも、近すぎたり見えすぎたりするそれは、私にとってスターウォーズで言うところのローグ・ワンみたいなもので、名作で、本編に引けを取らないくらい好きだけど、それは決して本編ではない。

そんな気がした。

だから私はまだLOST IN TIMEの本編を見ていなくて

スターウォーズは観ていないけど、ローグ・ワンを5回観ました。みたいな感じなんだろうと思った。

もちろんそれでもローグ・ワンはおもしろい。

ただ、本編を観てからの方がよりおもしろい。

勝手にそんなことを考えた。

いや、まあ、それが本編だよと言われれば、ああそうですかと受け入れることもできそうだったけど。


そんな、ローグ・ワンを過剰摂取して胃もたれした状態で、先日、1年前に延期になった単独公演に行った。

今まで行ったどのライブハウスよりも大きな会場で、チケットの整理番号もいつもとケタが違って、入場してすぐに見えたステージの広さと高さ、到底手の届かない遠いところにセッティングされた楽器は、キャベジンみたいに私の胃もたれを解消させた。

更に、一発目の海北さんの声は、私の胃袋を根こそぎ持っていった。私は内臓をひとつ失った。

それすらも心地良かったなんて言うと、変態だと思われるのかなぁ。


まだいろんな制限があって、通常運転というわけにはいかない。

でも、私が会いたかったLOST IN TIMEにようやく会えた気がする。

眩しすぎる照明と爆音、高いステージとスモーク。

手の届かない憧れの人を下から観る感覚。

顔を覆った両手の

指の隙間から見ているような

夢と現実のちょうど真ん中のような

輪郭が少しぼやけた感覚。

近すぎたり見えすぎたりする方が嬉しいようなもんなのに、私がずっと観たいと思っていたのは少し広くて少し遠いところにいるLOST IN TIMEだった。

よく分からないけど、憧れの人ってそんなもんなのかなぁ。


なにはともあれ、やっとスターウォーズ エピソード4を観た。

だからこれからもっとローグ・ワンが楽しくなるはず。

でも、やっぱり、そうね、エピソード4が一番好き。

だから海北さんのえげつない声も、大岡源一郎先生のえげつないドラムも、三井さんのえげつないピロピロも

絶対に取りこぼさないように吸い取った。

吸い取りすぎて、たぶんちょっと太った。これを幸せ太りと呼ぶんだろうか。

吸い取ったそれは何日か経った今でも私の中にあって、ずっとぐわんぐわん回ってる。縦型というよりはドラム式の回り方。

MCもほぼ無しで歌った19曲(と、詩がひとつ)は終わってみると数秒に思えて、それでも心は楽しかったよと確実に19曲(と、詩がひとつ)分の熱を持ってた。


「ひとりひとりの決断、判断はそれぞれかもしれないけれど、その根っこにある気持ちっていうのは、そんなに変わらないものだと思います。」

海北さんの言葉選びはいつもすごく丁寧で暖かい。

「今日は来てくださって、そして、配信という形を選んでくださって、どうもありがとうございました。心から感謝します。」

うまく言えないけど、会場の人にも配信の人にも同じ熱量で、同じ目線の高さで言葉をかけてくれるのがすごく嬉しかった。

それはこれまでも、これからも、私や他の人たちが配信という選択をした時、残念ではあるけど残念な時間ではないんだって思わせてくれる気がする。

あれ、ほんまにうまく言えてないな。

大岡源一郎先生が

「お茶の間のみなさんもありがとうございまーす!」

ってちゃんと言えたのも

三井さんが

「ちょっと忘れかけてたけど、ライブって楽しいね。」

って言ってくれたのも

本当に全部が暖かくて、ぽかぽかな春みたいな人たちだった。

そのひとつひとつが会場をほわんとさせて、ほわんほわんのままライブが終わって、みんなワイワイ騒ぐこともなく、誘導された順番で、それぞれの思いを内側に抱えながらそれぞれの場所へ帰っていった。

少し寂しかったけど、私も自分の中で直前までの出来事を整理しながら、静かに上野駅まで歩いた。

人通りの少ない夜道は夢の中みたいで、整理したい出来事も全然うまく浮かんでこなくて

ああ、もしかすると本当に夢だったんじゃないかなぁ。

なんて考えたりした。

それでもぽつんぽつんと体に当たる小さい雨が、それまで私が吸い取ったものが逃げていかないようにと、ゆっくり優しく押さえてくれているようだった。


よく考えてみると、3人とも私よりも10歳近く年上のアラフォーおじさんで、見た目はぜんぜんおじさんじゃないけど、経験値はきっとおじさん。

コナン的なことかな。

そんなおじさんたちが何年も音楽を続けて、何年も一緒に音楽を作って、それが積み重なって今になって、私の目の前で笑いながら演奏して、私はそれに心や人生を動かされてる。

それってなんかめちゃくちゃおもしろい。

おじさんたちの経験から生まれる綺麗な音楽が、こんな捻くれた私みたいな人間に、自分でも想像つかないような感情や景色を見せてくれる。

それってなんかめちゃくちゃおもしろい。

春みたいに暖かいおじさんたちが

夏みたいに熱い気持ちをずっと持ってて

秋みたいに豊かな曲を

冬みたいに澄んだ声で歌ってる。

それってなんかめちゃくちゃおもしろい。

うん。

めちゃくちゃおもしろいから、私はもうそれだけでじゅうぶんです。

だからこれからもずっと、指の隙間から見させてください。

もちろん、ローグ・ワンも大好きです。


2021年6月20日、東京キネマ倶楽部。

ライブはまだまだ元通りではないけど、なんとかしてなんとかしようとする人たちの努力は、びしびしびしと伝わってきた。いっぱい伝わったから「びし」多め。

爆音最高でした。

照明も最高でした。

配信の映像も最高でした。

Tシャツも最高でした。

久々にトイレで着替えるなんて若い事しちゃいました。

そんなのも含めて、全部最高の時間でした。

私にエピソード4を観せてくれた全ての人たちに、全力でありがとうを。


あぁ、ひとつだけ嘘をついた。

あの時LOST IN TIMEを聴かなくなったというのはちょっと嘘。

その間もずーっと、出会った時の『羽化』と、人生で唯一歌詞を全部覚えた『はじまり』と、いつも背中を押してくれる『旅立ち前夜』だけは、ここぞというときに聴き続けてた。

それは、うーん。

あ、あれだなぁ。

まるで私の心の中で、溶けない飴玉がずっとコロコロ転がってるみたいだったなぁ。




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