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何もしないという積極性

何かトラブルが発生した時、私たちはその対応のために何らかの行動を起こします。

その初動の動き次第でそのトラブルが大難につながるか小難で収まるかが決まり初動対応の遅れは致命的な結末につながる場合があります。

トラブルが発生した時にAの対応を取るか、又はBの対応を取るか

それによりその結果の行く末を決めるものでもありますからその選択は大変重要なものとなります。

しかしながら初動対応には「何もしない」という選択肢があります。

物事にはその発生した事象によりそれに対応して動くことが逆に状況を悪化させてしまうことがあります。

そこで「AかBか、又はCの対応をするか」だけではなく「何もせず状況を静観する」という選択肢を加えることによりそのトラブルを収めることが出来る場合があります。

一般的には「何もしない」ということは消極的行為とされますが状況によりそれは積極的行為となる場合があります。

一般的には何もしないことにより状況を悪化させ取り返しのつかない結末に至る場合の方が多いと思います。しかしながら何もせず動かないことによりそのトラブルを収めることが出来る場合もあります。

怒りに囚われた者がその炎を燃やした時、その者は往々にして怒りを向けた対象相手の次の行動を注意深く観察しているものです。

その怒りを鎮めるための対処が時にその炎に油を注ぐこととなり状況を悪化させる場合があり、それは対応Aであろうと対応Bであろうと更に対応Cであってもいずれでもその怒りの炎の燃料となり燃え広がる場合があります。

仮にその対応が当人にとって納得がいくものであった場合でもその前例を作ることにより相手優位の状況(前例)を作り出してしまい、そしてそれが当たり前となり次の新たな不満につながることがあります。


日常での実例としまして、極稀に取引先の担当者が横柄な態度を取りその結果こちら側と口論になり揉めることがあります。通常であれば取引先相手会社の本社や上席に連絡し、事の次第を報告して担当者を変えてもらえるようにクレームの申し立てをすることも多いでしょう。

しかしながら取引先の担当者もつい感情的になりカッとなって失礼な態度を取ってしまったことを後悔している場合があります。以前も同じことがあったなら尚更のこと、今度は助からないと彼らは自分の行いが自社の上司に報告され叱責を受けるか又は担当を外されるかを覚悟しながらこちら側の動きを注意深く見ていることがあります。

実際過去にそのようなことがあった時に相手の心境や状況を見てそれを察し、反応せず何事もなかったかのようにこちらが振る舞い取引先会社にも報告をせずに収めたことがありました。それ以来担当者の態度が変わり、こちらにとって好意的に必要以上のサービスをしてくれることになりました。彼はそのトラブルの後こちら側がどう動くかその動きを注視していたであろうことに私は今でもその確信を持っています。

もちろんこれは結果論であり何事も状況次第でありますから、反応しないことが必ずしも良いというわけではありません。言わなければならない時は言わなければなりませんし、許してはならないことは許してはならず、すべては状況次第であることは申し上げるまでもありません。

私たちはトラブルが起こった時、反射的になんらかのアクションを起こさなければならないと考え行動しそれが裏目に出て更に状況を悪くしてしまうことがあります。

「何もせず静観する」という対応は必ずしも悪ではないということ

「何もせず静観する」ということは必ずしも消極性ではなく時にそれは積極性でもあるということ

「何もせず静観する」というのは大きな苦痛を伴う場合がありその苦しみから逃れたいという衝動に駆られ私たちはつい不要な行動を起こしてしまいます。

どのような行動を取るかという選択肢には「何もしない」という選択肢があること、そしてそれは必ずしも消極的ではなく一方では積極的な攻めの側面を併せ持つということ

すべては状況次第でありますが改めてそれらを認識し今後も忘れずにいたいと思っています。



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