幸せはどこにある
先日780円のスニーカーを買いました。
前に四年ほど履き続けたスニーカーが980円でしたから今回200円の記録更新です。
別に貧乏自慢をしているわけではありませんし買うお金がないわけでもありません。
単に有名ブランドのスニーカーなど欲しくもなんともないだけです。
職場では他者のバッグを見ては「それどこのバッグ?」とブランド名を聞き、「へーっ、いいね!」と盛り上がり話に花が咲いています。
足元を見れば型にはめたように全員がナイキやニューバランスにアディダスなどの有名スポーツブランドのスニーカー。
学生さんを見ればまるで校則で定められているのかと思うほど皆一様にノースフェイスブランドのバックパックを背負う姿。
かなり昔ですがそんな姿を見ながら独り言を呟いていた時、その時、妻にこのように言われました。
「別にいいんじゃない。それにあなたのようなおじさんの服装や靴のことなども誰も興味はなく見てはいないんだから」と。
口癖のようにそんなことを言われたことを覚えています。
人は自分が思うほどその容姿や着飾るものを他者からは見られていないもので、まさに妻の言う通りだと思わされたものです。
訳あって過去に軽自動車からトヨタの最高級車に乗り換えた時、ご近所さんや周りの態度が変わりました。
私自身は何も変わっておらず変わったのは車だけです。
にも関わらず何故周りの人々の態度が変わるのでしょうか。
この先、古びた中古の軽トラックにでも乗り換えればまた私に対する周りの態度は変わるのでしょうか。
人は主にその外見で人を判断をします。
美男子、美女
可愛い、ブサイク
ブランド品、ノーブランド品
高級車、大衆車
多くの人がそれによりその人間を判断します。
教師、医者、弁護士など「先生」は偉い
お金持ちは偉い
工事現場て汗と油にまみれて肉体労働をしている日雇い労働者は下
人は外側に価値を求め満たされない欲望と長続きしない快楽に囚われ続けます。
二年ごとに出る新型のスマートフォン
二年経てばまた次、そしてまた次となり
人が幸せになるには理屈では簡単です。
物質など外側を見るのではなく自分の内側に目を向け「既にあるもの」の数を数え、当たり前を感謝に変えれば良いのですから。
自分の足で歩ける
自力で呼吸が出来る
目が見える
耳が聞こえる
今日、明日、食べるものがある
着る服がある
お給料を頂ける仕事がある
私たちは毎日のように「ないもの」の数を数え不平不満を口にし外側の物質と快楽を求めて生きています。
そこには真の幸せはなく、あるのは長続きしない「快楽」のみ
幸せはどこにある
当たり前は当たり前ではないということについて
分からない私たちにそれを失うことで気づかせてくれるのも神の愛なのかもしれません。
・・・
end
(本記事は全体無料公開記事です)
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