人の怒りはいつまで持続するのか|どうしたら許せるのか
最近、色々あってモヤモヤしていた。信じていた人から裏切られたり、原稿を書こうと思っても書けない。そんな状態だった。
ネットの誹謗中傷で事業を廃業に追い込まれた怒り
私は以前にインターネットで誹謗中傷をされて、事業を潰されたことがある。端的に書くと悪意のある人物にデマを流され、自分自身が参ってしまい廃業した。
その怒りはなかなか消えなかった。
10年以上前の話なので、開示請求に強い弁護士さんはレアだったので、自分でネット関係の法律をかたっぱしから調べて弁護士さんに依頼に行った。
私が「こうこうこういう理由で、これは何罪に該当し、相手に責任を問うことができるんじゃないか」「証拠としてはこの資料が使えるのではないか」と説明しまくった。
特にインターネットに強い弁護士さんではなかったけれど「よく調べてると思う。田口さんが欲しいのは、僕の弁護士バッチでしょう。自己弁護できるレベルだよ」と言われるほどには調べ尽くした。
弁護士さんからの謎の提案
「ログの保管期間まで半年くらいだよね。半年経つ頃に田口さんがまだ訴えたかったら無料で弁護を引き受けるよ。その代わり、半年間、たまに飲みに行こう」という謎の提案をされた。
私は弁護料無料なんて話がホントにあるのだろうかと思いながらも、その提案を受けた。月1くらいでその弁護士さんと飲んだ。死ぬほど愚痴を言ったし、弁護士さんも仕事の愚痴を言っていた。だけど、だんだんと個人的に仲良くなっていって、新しく勤めた会社でやりがいがあるなんて明るい話が増えていった。
3か月後に出した結論
そんな感じで3ヵ月過ごしたら、私の中で結論が出た。
「私は先生とこうやってバカ話しながら飲んでいる時間が楽しくて
怒れなくなってしまった。だから、半年後、先生に依頼しないと思う」
と伝えた。
先生は「そうでしょ?弁護士していると、裁判に使う膨大な時間が依頼人の幸せにつながっているのか考えることがある。費用対効果で考えたら、損害賠償金なんか微々たるものだし、割に合わないと思う。だから、弁護士の身内や関係者は訴訟なんか避けるんだよ。依頼人のデメリットになるなら、その依頼を断るのも弁護士の仕事」と言った。
それからも起った嫌な出来事
職場でパワハラにあった、人に酷いことをされた、生きていたら頭にくることなんか色々とある。だけど、その時、必ず私が考えるのは上記の出来事だ。
「あんなひどい出来事でも私は3ヵ月で怒りは消えた。半年後、1年後の私はきっとこんなことがあったことすら忘れてる」
そう思うと1日でも早く楽しいことをして忘れようと思うようになった。3ヵ月で許すなら、怒ってる3ヵ月が無駄になる。そうして、怒りの持続期間は1か月、数週間と短くなっていった。
悲しみが続く期間はどれくらい?
私は副業で占い師をしていた時期があったので、依頼主が悲しみで大泣きするなんて経験をたくさんしている。
何度か「いったい人はどれくらいの時間、泣き叫んでいられるのか」と時間を測った。
だいたい泣き叫び続けられるのは10分。人間の構造上、10分以上、涙を流し続けることはできないらしい。
しばらくして涙のストックができると、また泣き叫ぶ。でも、1回目よりトーンダウンしている。
それは限られた時間の中の話で、つらいことがあったら年単位で引きずることはザラにある。だけど、初回と同じテンションでは、人は泣き叫び続けられない。特効薬は時間しかないのだけど、悲しみもいずれ癒える。
許せない気持ちの正体は?
私は、過去に酷いことをされた自分自身、過去にその相手を信じてしまった自分自身が「今の私」を許せないんだと思う。
過去の自分が今の私に言う。
「許すまじ」「忘れまじ」「復讐すべし」と。
だけど、そんな時に私は「過去の私さん、あなたは信じて裏切られたよ。けど、自分が裏切るよりマシじゃない?信じたかったのもあなた自身だよね」
「過去の私さん、もうこのこと許していいかな?あの時のあなたができる限り思い悩んでしたことじゃない。よくやったよ」と過去の自分に許しを請う。
「過去の私さん」はつらかった。だけど、「今の私」はもう前を向いて歩きたい。だから、忘れるよってね。
人を「許す」と思うくらい自分は完璧なのか?
悪意の塊みたいな人はもちろんいる。そういう人は法をもって成敗してやったらいいと思う。
だけど、ほとんどの人がその時々で自分ができることを精一杯したんじゃないかな。
その判断が相手を傷つけることだったとしても、恥ずかしいふるまいだったとしても。人によっては、委縮して動けずに何もできなくなる人もいるだろう。
自分が完璧じゃないように相手だって完璧じゃない。
だけど、時間が経ったら相手も自分も変わるかもしれない。悔いるかもしれない。「性善説の甘ちゃん」と言われるゆえんはこんなところにあるのだけど、私は自分を嫌いになりたくない。
人に嫌われることよりも自分が自分を嫌いになるほうが怖い。
そうやってまた私は明日に向かって歩き出す。