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\13年の経験は人生の宝/後編

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Threadsで書いてみよか?と一言言っちゃったのでほんまに書いちゃったの巻
\\part    ③      //‎𖤐 ̖́-‬

本日は¦前回の続き 後編🐏🐏⸒⸒
高校に特待生ではいり、これまでずっと
『生きがい』で『楽しくて』自分の中の『当たり前』が
崩れ始める   とゆうお話です
(今回も需要なさそうなことをペラペラと🗣️笑)

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入学後
やっぱり私学で部活に力を入れている学校となると圧倒的に小学‘中学とは
話が違いました。礼儀や上下関係、レギュラー争いの競争率、スポーツクラス内での「結果」の争い?、恋愛禁止。常に「バレーボールの事を考えて生活」です。
これまでもそうだったはずなのに、その基準の高さはレベル違いだった。

何かあれば「1年生」 体育館に1番に行って準備。先輩や先生には必ず立ち止まって挨拶。それもバレー部以外の先輩にも笑
とにかく基本的なことから違いすぎて、バレーが楽しいというより、そのこと細かいことに入学早々疲れていました。

毎日5時起きで帰宅は21時半。寝るだけに帰る家。ギャップに疲れて退学するクラスメイト。強豪校でやっていくって想像以上に厳しくて、しんどかったです。

それでもバレーが好きというのには変わりなく、とにかく入ったからには
レギュラーをとって試合に出たかった。
背もみんな大きい中、160しかない私は、いろんな武器も必要で、とにかく毎日自主練をして、めんどくさい上下関係も将来に役立つと信じて乗り切った。

2年生になって、めんどいことは1年生みたいな同じ事を後輩にしたくなかった私は、2年生になっても、1番に行って準備も片付けも、自主練も変わりなくやった。大体は一年は・・・みたいな
無言の圧があるけど、意味が理解できなかったから。バレーにそこは、関係ないと思っていた。もちろん最初はそれで舐めかかる後輩もいた。

2年生になてレギュラーになった、これまでのクッッソしょうもない1年生差別に耐えて、1番に準備片づけ自主練の成果が実った気がした。その姿を見て自ずと
同級生も後輩も意識を変えてくれた気がした。

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『ぶちーーーーーーーーっっっっ』

その矢先、3年生になる前でした。。。
練習中足首の「靭帯損傷」 人生終わったと思いました。本数もまあまあキレてて1ヶ月ギブス。競争率の激しいこの環境で1ヶ月練習できないのは致命的。
挫折をあじわいました。「大丈夫?」という言葉でさえ入りませんでした。

1番仲の良かった友人に支えられ、日々リハビリ。その頃には3年生にもなり
新たな後輩も入ってきました。
こんな状況の中キャプテンに任命され、言葉も出なくらい監督を恨みました。

自分のこととチームのこと。両立はこれまでで1番苦しくしんどかったです。
でもあと一年。これまで高校に入り、レギュラーには慣れたものの、チームの目標である、「春高バレー出場」「インターハイ出場」は達成しておらず、このまま引退できない。
もう一度挫折から這い上がる覚悟をしました。

「キャプテンが変わればチームが変わる」
その言葉を信じて、プレーや日々の行い、いろんなところに徹底的にこだわって
嫌われてもいい その覚悟で挑みました。

初めは、周りの目が気になったけど
目標を叶えるためにどんなことも乗り越えたし、何度も何度も泣いては立ち上がりました。

夏の6月はインターハイ予選。その報われる時が来ました。



皆さんはも言葉に表せないくらいの挫折やしんどさ
経験がありますか?その時はしんどくてたまらなかったけど
その努力があったから、夢もできたと思っています。

好きなことを本気でやるっていうのは、いいな。

次回、報われた夏とその先!頑張って書くので
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