『採用基準』の考察
今回は伊賀泰代著の『採用基準』を紹介します。
本のタイトルを見ると、企業で人事として働く人たちのために書かれた本のように感じますが、読んでみると少し違います。
あらゆる人に向けて書かれた、「本当のリーダーシップとは何か?」を教えてくれる本という方が正しいと感じます。
今回はこの本に出合う前と後でリーダーシップに対する考え方が変わったこと、そして本当のリーダーシップを学ぶために必要なポイントを考えてみます。
各章の最後には、それぞれのまとめを書いています。とても長い文章ですので、そこだけ見てもらえるだけでも嬉しいです。
(注1:この記事は要約ではありません。面白いと思ったり、感銘の受けた部分を、自分の意見や考え方を通してこの本の考察をしています。加えて、実本にはリーダーシップにまつわる詳しい解説や興味深いコラムが書かれているので、興味のある方はぜひAmazonやメルカリ等でご購入ください。)
(注2:この記事は2020年の7月ごろに執筆しました。したがって引用等に若干の誤りがあるかもしれません。ご了承ください。)
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第1章:そもそもリーダーシップとは
この本は本当のリーダーシップについて述べられていると上述しましたが、そもそもリーダーシップとは何なのでしょうか?
筆者は初めに具体例として、地域のゴミ問題を挙げています。
家の外にまであふれる大量のゴミをため込む迷惑な隣人が現れたとき、その問題を解決するために何が必要か、想像してみてください。紙と鉛筆を用意して、解決方法を考えることは容易でしょう。しかし、たとえ完璧な解決策を紙の上に書きだしたとしても、問題は何一つ進展しません。問題を解決するには、それらの言語化された解決策のステップをひとつずつ行動に落としていく必要があります。その時に必要となるのがリーダーシップです。(一部抜粋)
ここで語られているリーダーシップを必要とする場面は、たくさんあると考えられます。友達とのささいなもめ事から、今猛威を振るう新型コロナウイルスへの対策においても、その解決策を考えるだけでなく実行に移すリーダーシップが必要です(筆者はいじめ問題についても、教師や教育委員会などのステークホルダーがリーダーシップをとらねば解決できないと言及しています)。
私自身も読みながらリーダーシップの必要性を少しずつ感じ始めましたが、初めはこういった反論も覚えました。
「リーダーシップをとるのは誰か一人で良いのではないか?」
「この本はリーダーシップを持っている人に向けて書かれているのか?」
しかし、それは間違いであることを教えてくれます。リーダーシップとは、すべての人が持つべきスキルだと著者は述べているのです。その理由を次の項目で説明したいと思います。
~第1章のまとめ~
リーダーシップとは、ある問題の解決策を考えるだけでなく
それを実行に移すことができるスキルのこと
リーダーシップは、すべての人が持つべきスキルである
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第2章:リーダーシップは全員に必要
「リーダーシップは、すべての人が持つべきスキルである」
このセンテンスを見たときに、私は当初強い違和感を感じました。そしてこの本には、その違和感の原因について書かれています。
日本人の多くは、「リーダーは、ひとつの組織に一人か二人いればよいもの」と考えています。その他の人はあまり強い主張はせず、リーダーの指示に従って粛々と動く方が、組織全体としていい結果につながると考えているのです。さらにリーダーが多すぎると「船頭多くして船山に上る」ということわざに象徴されるようなトラブルが発生すると懸念する人もいます。(一部抜粋)
私はその通りではないか、と思いました。リーダーが多すぎると、個々人の身勝手な主張で話がまとまらなくなり、結果として無駄な時間に終わってしまうことが想像できます。
ちなみに船頭とは、 櫓(ろ)などを操って小舟を操る人のことです。
しかし、これはリーダーという言葉の定義を誤っていると筆者は指摘します。「船頭多くして船山に上る」ということわざにおける船頭は、リーダーではなく自分の意見を押し通したいだけの、ただの強引な人です。真のリーダーとは船群を目的地まで運ぶという、成果を出すために意見して行動できる人を指しているのです(そしてこれを実践できるスキルをリーダーシップと呼びます)。
例えば、今年の東京オリンピック中止までの流れは、強引にでも開催したいという政治家たち(船頭)が成果を見失ったために起きたことだと考えられます。オリンピックの真の成果とは、スポーツを通じた平和な世界の実現に寄与にあります。その成果に目を向けず、それぞれの私欲や思惑によって開催するか否かを揉めた姿はまさに「船頭多くして船山に上る」でしょう。
それでは、全員がリーダーシップを持つ組織の場合はどうなるのでしょうか。この本では、数人のリーダーしかいない組織との比較を行い、優れた点を二つ導きだしています。
一つは他のメンバーが、リーダーの後ろを付いていくだけの「忠実なフォロワー」になることを防ぐことができるという点です。
「忠実なフォロワー」とは、自分でその行動を起こしてもいいか判断することができないメンバーを指します。新入社員ならまだしも、そうでない場合は彼らが組織の生産性を下げる結果を引き起こします。何度も「忠実なフォロワー」がリーダーの判断を仰ぎにくる状況は、明らかに生産性を下げてしまうからです。
もう一つは、組織をまとめる仕事はリーダーだけで良いと考える「奔放なフォロワー」を生んでしまうという点です。
もし、組織内で出た意見をまとめあげる仕事をメンバー全員で分担できると、リーダーの負担や孤立を避けることができます。私はリーダーとしての経験がないので、彼らの負担というものを正確に理解できているとは言えません。しかし、メンバー全員がリーダーの仕事を担える状況は、間違いなく組織にポジティブな影響を与えると想像できます。リーダーがもし不在であっても組織としてしっかり機能し、成果を出すことができるのですから。
この二つの優れた点を理解すれば、全員がリーダーシップを持つ組織の生産性が高いことにも納得がいくと思います。
~第2章のまとめ~
真のリーダーとは成果を出すために意見して行動できる人のことである
全員がリーダーシップを持つ組織の生産性は高くなる
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第3章:成果主義とリーダーシップ
しかし、私はまた以前の論点に立ち返って考えてしまいます。それは「常にリーダーシップをもって行動するべきなのだろうか」という疑問です。
もちろん企業に勤めている人は会社の利益向上のため、常にリーダーシップを発揮して働くべきことにあまり異論はないと思います。
しかし序盤で紹介した地域のゴミ問題の場合では、リーダーシップを発揮しようがしまいが自分への影響があまりないと感じてしまいます。
実際に、成果を重要視しない場合はリーダーシップは必要ありません。これは筆者も同様のことを述べています。
実はリーダーシップを考えるとき、常にセットで考える必要があるのが「成果主義」なのです。成果主義とは、「努力でもなく、プロセスでもなく、結果を問う」という考え方であり、成果主義を原則とする環境でなければ、リーダーシップは必要とされません。
たとえば、町内会のグループでお祭りの出し物を企画することになったとします。どんな出し物にするか町内のメンバーから意見を募ります。このとき、「できるだけ多額の収益を上げ、被災地に寄付する」という成果目標がある場合と、「お祭りだから楽しめばよい」という明確な成果目標がない場合は、運営方針がまったく異なります。(一部改変)
このようなお祭りのストーリーなら良いのですが、会社の組織においても、明確な成果目標が優先されない場合があります。そしてこの背景には、日本人の”和”の精神が関係していると筆者は主張しています。
本来、すべての社員は勤める企業の売上・利益を上げるという成果目標を持っているはずです。しかし、特に大企業ともなると、他部署が決めた方針にはむやみに口を挟まない、という暗黙のルールがあります。たとえその方針におかしいと感じても、責任は他部署が持つのだから関係がないと割り切ってしまうのです。
むしろ、その方針に対して口出しする(いわゆる空気を読まない)ことをいとわない人は、企業内から疎まれてしまうという現実があります。これが、日本人が”和”を”成果”よりも優先しているという論拠です。そこには企業も厳しく成果を求めていないという現実があります。求めていないからこそ、リーダーシップを問われる機会が少ないのです。
しかし、これがスポーツの場合ならどうでしょうか。例えば甲子園に向けて努力する高校生球児たちの場合、成果目標は明確で一つでも多く試合に勝つことです。そこにはお互いに励まし合い、成長していくという”和”はもちろんあると思います。ですが、”和”が”成果”を超えることはないでしょうし、全員にリーダーシップが共有されていることに疑う余地もありません。
このように明確な成果目標が存在していないため、みんなが”和”を優先し、誰もリーダーシップを発揮しない場面がよくみられるのです。
~第3章のまとめ~
成果を重要視しない場合はリーダーシップは求められない
しかし会社の組織においても、明確な成果目標がないために
”和”を”成果”よりも優先してしまう場合がある
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第4章:リーダーシップは後から文句を言わないためにある
(注:このチャプターは個人的な意見が含まれます。内容をよく反芻してお読みください。)
さて、私の疑問は解決されていません。私たちの生活には明確な成果目標がないことが多い、という事実には納得しました。本来、成果目標が存在するべき場面では、リーダーシップを発揮する必要がありそうです。では自分にとってあまり関係のないと思える場面ではどうでしょうか。
その答えは、この記述から得ることができます。
日本人にとってのリーダーシップとは、特殊な出来事が起こったときに必要なものという認識が強く、「日常的に誰かが発揮するもの」とは考えられていません。しかし本来リーダーシップとは、特殊なイベントを前提にしない概念です。それは普通の人によって日常的に発揮される、ごく身近なスキルなのです。
たとえば、マンションの管理組合の会合にお菓子の持ち寄りがあったとします。会合が終わり、帰り際になってもテーブルの上にはお菓子や果物が残っています。この時、「このお菓子、持ち帰りたい人はいますか、お子さんがいらっしゃる方、どうぞ」と声をかける人がリーダーシップのある人です。
その場で「それは組合長が考えればいい」と声を上げない人の中には、勝手に持ち帰った人に対して「不公平だ」と言い出す人もいます。ですが、そんなことを後から言うぐらいであれば、自分がどうすべきか現場で提案するべきです。自分がリーダーシップを発揮していないのに、結果に対して文句を言うのは無責任すぎます。(一部改変)
つまり、後から結果に対して文句を述べることをしたくなければ、自らがリーダーシップを発揮するべきなのです。この基準をもって、自分がリーダーシップをとりうるべきか判断ができるようになる、そう私は思いました。
この本が本当に伝えたいことはおそらくこの部分ではありません。しかし私はあえてここを強調するほうが、結果的に私たちが納得できるのではないか、と考えます。
その理由として、明確な成果目標があるという前提があまりに不安定であるということ、そして掘り下げていくと、二つの具体的な問題点に行きつきます。
一つ目は、共有される成果目標は単一のものとして存在しないからです。前々回のチャプターで紹介した東京オリンピックのストーリーでは、真の成果を「スポーツを通じた平和な世界の実現への寄与」と定義しました。
しかし、実際にはオリンピックによる経済効果やスポーツの文化的発展といった様々な、かつ正当な成果が複雑に絡み合っています。スポーツのように単純な勝敗が成果として考えられるほど、簡単に成果を計ることはできません。
しかしそれ以上に懸念を感じる2つ目の問題は、日本全体がこの考え方に追い付いていないということです。今の日本には成果目標を厳しく追及しない企業が多くあります。したがってリーダーシップを発揮しようとしても、その行動が好意的に捉えられることを担保していません。前章でも説明したように、空気を読まない社員は目に余る存在として扱われる可能性すらあります。
ここで初めて説明するのは卑怯かもしれませんが、筆者は世界的なコンサルタント企業であるマッキンゼーの人事として働いた経験から、この本を執筆されています。つまり筆者が語るのは、世界有数のコンサルタント企業の採用戦略に求めている素養(リーダーシップ)を、普遍的に落とし込んだものです。
極端に言えば、リーダーシップの必要性はそのレベルの企業においてやっと重要視されると言えます。その他企業においても理論的には必要だと言えますが、実際には重要視されていないのかもしれません。このように考えると、リーダーシップを身に着ける必要自体がそがれてしまいます。
しかし、後々に文句しか言えない状況になったとき、自分が不満や後悔を感じているならどうでしょうか。後から後悔するぐらいなら、リーダーシップを発揮して、自分の意見を伝えるほうが良いと思いませんか?
この考えなら誰にでも、リーダーシップを発揮する必要性を感じると思います。
筆者も語るように、日本ではリーダーシップ自体がそもそもネガティブに捉えられています。しかし、今私たちが生きる世代は全体から個人の時代と言われるように、大きな変化が起こり始めています。私たちは、たとえ小さな自己主張としか言えないリーダーシップでも、発揮する機会を活かしていかなければならないのです。
~第4章のまとめ~
後から結果に対して文句を述べることをしたくなければ、
自らがリーダーシップを発揮するべき
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第5章:当本から考えるリーダーシップの学び方
ここからはリーダーシップの学び方について考えてみます。この本には「リーダーがなすべき4つのタスク」と「マッキンゼー流リーダーシップの学び方」という二つの大きなチャプターがあります。ただ、私は普段からリーダーシップを発揮できている人こそリーダーになるべきだと考えます(例えば普段からキャプテンシーを発揮できる人がキャプテンに選ばれる原理と同様です)。
したがって本考察では、後者の「マッキンゼー流リーダーシップの学び方」について着目してみたいと思います。
実際の章では、ポテンシャルを買われて入社したマッキンゼーの新人コンサルタントたちが、何を教えられ、何を体験することでリーダーシップを身につけていくかが詳細に書かれています。
結論から書くと、その学び方には以下4つの基本動作があると言います。
1.バリューを出す
2.ポジションをとる
(3.自分の仕事のリーダーは自分)
4.ホワイトボードの前に立つ
このうち、3.自分の仕事のリーダーは自分を除いた基本動作について、簡単に説明していきます。なぜなら、これらの基本動作はマッキンゼーでなくても実現可能だからです。
1.バリューを出す
これはコンサルタント業界に興味がある就活生や、実際に働いている社会人ならよく知っている言葉かもしれません。バリューを出すことはつまり成果を出すことです。例えばミーティングで全員に有益な情報を提供することはバリューを出したことになります。またユニークな情報を分析して画期的な洞察が得られれば、それはバリューのある分析であり、バリューのあるメッセージとなります。
したがって、ミーティングや会議において全く発言しない人にはバリュー(価値)がありません。その人がいてもいなくても、結論が変わらないからです。これは個人が担当する仕事においても同様です。2時間かけて資料を読めば、2時間後にはその資料から得た知見や顧客企業にとっての意味を獲得しなければなりません。できなければ、その2時間の価値はありません。
とても厳しいようですが、このような意識を持ち続けることによって自分がしている仕事はどんな価値を生むのだろうか、と自然に考えるようになります。これが結果的にリーダーがこだわるべき成果の重要性に対する力強い姿勢が形成されていくのです。
2.ポジションをとる
すなわち、自分の意見を明確にせよということです。そしてこれは自分自身の結論をもつことにも関係しています。
例えば100億円を投資するか否かという意思決定を検討したいとします。この際、投資額やリターンが得られるタイミング、将来のキャッシュフローなどを細かく計算し、全体の投資収益を細かく割り出すとなればとても時間がかかります。
しかし、投資すべきか否かを考えるだけであれば、概算でざっと計算すれば事足りますよね。
すなわち、求める結論が投資すべきか否かなのであれば、リターンが50億だろうが70億だろうが関係なく投資しないことに変わりありません。結論にフォーカスできていれば、意思決定のスピードを上げることが出来るのです。
また早くポジションをとることで、様々な問題点を認識し、改善や修正を行うこともできます。
吉村大阪府知事が緊急事態宣言における自粛緩和に関して、大阪府独自に「大阪モデル」という数値的な指標を示したことが良い例でしょう。自粛緩和に関する具体的な緩和基準がない中、いち早く指標を示したことで今後の問題点を認識することができました。また今月に入って「大阪モデル」の効果検証を行い、改善や修正が行われています。
4.ホワイトボードの前に立つ
今までの基本動作によって、リーダーシップをとるために必要な技術が養われていきます。常に「1.バリューを出す」ことができているか問うことで、プロセスや作業でなく、成果にこだわる意識が生まれます。また「2.ポジションをとる」ことで自分の意見を明らかにし、決断そしてその後の判断を早めることが出来ます。
これらの技術をチーム内において発揮し訓練することで、リーダーシップを身に着けることができます。その際にホワイトボードの前に立つこと、すなわち議論のリーダーシップをとることも必要不可欠です。
論点を整理して議論のポイントを明確にしたり、膠着した議論を前に進めるために視点を転換したりと、様々なスキルが求められます。もしホワイトボードがなかった場合は議事録を率先して取ることでもかまいません。
以上が、この本から学ぶリーダーシップを学ぶ基本動作です。皆さんの会社でも出来ることではありませんか?
私は大学院生ですが、ふだんの研究生活にも活かすことができると思っていますので是非取り組んでみてください。
~第5章のまとめ~
マッキンゼーでなくてもできるリーダーシップの学び方
1.バリューを出す(成果にこだわる)
2.ポジションをとる(自分の意見を明らかにする)
4.ホワイトボードの前に立つ(議論を進める)