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【グラミー賞】勝手に反省会。ビヨンセの偉業、ブラック・ヒストリー・マンスと次世代への期待
はじめに
どうも!yutolandです。
皆さん、今年のGrammyも大変お疲れ様でした。
見ているだけなのに何が「お疲れ」なのか、といった感じでもあるのですが、グラミー賞というのは1年間の壮大な予算やアーティストそしてレーベルの欲望や希望や色々な感情が1日に精算される場所なので、映像通して視聴するだけでも「異様」なんですよ。なので非常に見ているだけでもこちらのエナジー消費がすごいというか。
グラミーは毎年日本時間午前には終わるので、「午後なんかしに行こう」とか毎回思うんですけど、毎度のことながら失敗しています。笑
もちろんアーティスト目線から考えても「グラミー」は人生を左右する特別な場所ですよね。アリアナ・グランデはキャリア最大の「Thank U, Next」が賞を一切取れず、それ以降5年間以上グラミー賞出席及びパフォーマンスをボイコットしています。ザ・ウィークエンドが今世紀最大のアルバム「After Hours」でノミネートさえされず、以降の作品は全てグラミー賞提出すらしていません。そんな不公平感満載なアワード・ショーでありながらも、アーティストからは賞を渇望される、非常に不思議な力を持っているのがグラミー賞です。
また、グラミー賞は米国最大の音楽の権威として、歴史を保存するという意味で非常に効果的だと考えています。今自分が24歳として、過去のアーティストによるクラシックを探求する時に、「当時の人々がどんな音楽に熱中していたのか」を知れるきっかけになりますよね。
そんな今年のグラミーの振り返りをまずは複数のテーマに沿って行っていきましょう。
ビヨンセ「COWBOY CARTER」が悲願のAOTY受賞。
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正直どれだけ待ったのか、気が遠くなるビヨンセの「アルバム・オブ・ザ・イヤー」の受賞。今回満を辞しての受賞となりましたが、本当に不思議な気持ちでした。今までビヨンセが100点、いや120点のアルバムを持ってくるたび、あの大きな権力の場で「最高のアルバムではない」と否定され続けるのを何度も何度も目撃してきたので、なんとなく「期待をしすぎない」スタンスで今回も視聴させていただいてた自分がいました。その分、非常に結果に驚かせられました。
ビヨンセが2000年代から始まる「シングル曲至上主義」にNOを突きつけた、また彼女のキャリアや作風を大きくチェンジして作成したセルフタイトル「Beyoncé」は、今でこそ戻ってきた「アルバム全体を聞かせる」気概を業界全体に再度教えてくれたアルバムでもありました。そこから「Lemonade」でBLMと黒人女性の苦しみを語り、「Renaissance」では人生の悦びを教えてくれました。そんな彼女の数々の画期的なアルバムが「最優秀アルバム賞」を逃してきた歴史は、ホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーがそうだったように、黒人女性が評価されるまでには100点以上を出し続けなければいけないことを思い知らせてくれます。それをビヨンセはそれを知っているからこそ、そんな前提に負けない姿勢を貫きここまで熱量を注いでアルバム作りに専念してきたのではと私は思います。
レディー・ガガが最優秀ポップデュオ・グループ楽曲賞のスピーチに置いて、「特権(Privilege)」という表現で自身がメガポップスターとして受賞に輝いたことを感謝する瞬間がありました。我々がビヨンセを愛し続ける理由として、彼女は才能や運などの自身の「特権」を理解し、意思や責任を持ってその力を行使しているからかな、と思います。普通のメガポップスターの場合、自身のキャリアや人生と向き合い、自分がやりたい表現をアウトプットします。それもそれで素晴らしいことであり賞賛に値しますが、どのようにそれを消費し還元するかによって全体利益をもたらすのかを常に考えているのがビヨンセなのです。
ビヨンセは去年、今作によって「ブラック・カントリーの歴史を掘り下げる」とSNSで発表した際に、否定的な反応を浴びる結果になってしまいました。彼女は以前「Lemonade」に収録されたDaddy LessonsでCMA(カントリーミュージックアワード)に出演し、大バッシングを浴び、カントリーのジャンルで歓迎されませんでした。ビヨンセは元々伝説R&Bグループ・デスティニーチャイルドのメンバー出身で、ブラック・ミュージックのフィールドでは非常に尊敬を集めています。それでも敢えて果敢に、歓迎されないカントリー業界に挑戦することは、その苦しみを代償にしたとしても、アメリカ音楽と黒人の関わり方について、カントリーというジャンルを軸に改めて掘り下げ紹介することが「価値がある」と認識しているからなんですね。
実際ベスト・カントリー・アルバム受賞によって黒人女性として初めてという偉業を達成しましたし、黒人カントリーアーティストに対して道を開ける結果になりました。また、私自身も恥ずかしながらカントリー・ミュージックというジャンルが白人音楽という短絡的な理解をしていた中、もっと複雑で重厚な歴史があり、黒人のカルチャーが根底いに光るジャンルであることを知り、また米国音楽文化を改めて理解するきっかけになりました。
そのある意味「自己犠牲」的な精神でリスナーにその大きなパワーを還元してくれるアーティストはそういないですし、この2025年でも本当にビヨンセのみがやってのける、唯一無二である存在だと改めて私たちに教えてくれています。
今回の「Cowboy Carter」の最優秀アルバム賞受賞がどれだけ重要なことか、という観点でお話すると勿論「ローリン・ヒル以来、黒人女性にAOTYがもたらされた」「黒人女性初のカントリー・カテゴリ受賞」の面が目立ってくると思うのですが、前述した彼女の「特権を理解した上でのアプローチ」が正しいということをアルバム・オブ・ザ・イヤー獲得によって認められたことが一番重要だと私は思っています。どれだけ偉大なことをやってきてもアルバムの最高権威で認められないことは、数々の曲の中で語られたように彼女にとって大きな壁であり続けました。彼女の「馬トリロジー」は次作まで続きますが、一旦キャリア全体として、10年以上前のセルフタイトルから続く「ビヨンセ第二章」に対する大きな賞賛がこのタイミングで与えられたのは喜ばしいことです。
一部「過去の作品の方が受賞に相応しい」なんて意見も多く見られますが、彼女が身を切る覚悟で誰にもできない挑戦をしたのは今回のアルバムが最も評価に値するポイントなのかな、と思います。僕自身も彼女の過去の作品で一番お気に入りなのは「Renaissance」や「Lemonade」だと思っていますが、Cowboy Carterは過去の作品にはない、例えるならば暗闇に差し込む一筋の、というか太陽のような作品であることは間違いないと思います。一旦ビヨンセには一息ついてもらって、今まで以上に伸び伸びとプレッシャーに縛られずに好きな表現をしていただきたいな、そんな気持ちを抱いています。ビヨンセ、ありがとう!そして、本当に心からおめでとう。
輝かしい「ブラック・ヒストリー・マンス」のグラミーナイト
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ブラックミュージックにとって歴史的な一夜に。
ビヨンセだけにとどまらず、 ケンドリック・ラマーのDrakeディストラック「Not Like Us」が最優秀レコード賞と最優秀ソング賞をダブル受賞。また、あの伝説のミスローリンヒルに続く3人目、そしてカーディ・Bぶりの最優秀ラップアルバム賞を獲得した黒人女性としてDoechiiがその栄誉に輝きました。ブラックミュージックの巨匠・Babyfaceがグラミー・レッドカーペットでインタビュアから失礼な対応を取られる()珍事件もありましたが、全体としては今までのグラミーでのブラックミュージックの不遇はなんだったのかと思わせてくれるような、ブラック・ミュージック界にとって非常に明るい夜となりました。
フランク・シナトラやマイケル・ジャクソン、そしてアレサ・フランクリンを輩出した巨匠・クインシージョーンズの大往生に対し大々的なトリビュートが行われたのも印象的でした。 ジャネール・モネイやシンシア・エリヴォなど、黒人コミュニティが誇る才能をクインシーの楽曲や歴史に乗せて遠慮なく発揮する姿は、非常に感動的でした。
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Doechiiはミックステープ「アリゲーター・バイト・イズ・ネバー・ヒール」で成功とどん底を経験した近年の自身の姿を見つめ、そこから這い上がった経験を「セラピストとの対話を歌詞にする」ことで示すなど、真摯に作詞に向き合ったことが賞賛され最優秀ラップ・アルバム賞に輝いております。
リリシズムやストーリー・テリングの回帰を果たし非常によく作られた当アルバムが良いのはもちろんのこと、昨夜何よりも素晴らしかったのは「パフォーマンス」でした。Billboard誌の記事「グラミーでのパフォーマンスベスト10」では堂々の1位に輝いていました。ステージはその評価の通り素晴らしく、ベルトコンベアやDJテーブル、大勢のダンスアンサンブルなど、常に視線を惹きつけるような豪華なステージで客を圧倒し続けました。そして学生風のトム・ブラウンセットアップがめちゃくちゃ可愛い!ファッショナブルな才能も兼ね備えているDoechiiですが、今後とも私たちを魅了し続けてくれそうなポテンシャルを見せつけるような舞台のクリエイションでした。
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また、彼女のスタンスも素晴らしいです。グラミーで話題になっていた瞬間として、「司会のトレバー・ノアが不法移民に関するジョークを飛ばした」瞬間です。トレバーは13000人に上るグラミー会員の多さを移民の多さと並べて「ウケを狙いに」行きましたが、会場は失笑。当然ですよね。大統領就任によってアメリカ国内の移民たちは生命が脅かされている今、何一つ笑える要素がない近年の授賞式ホストによる最低のジョークだったと思います。
そこでカメラにカットインしていたDoechiiですが、まるで彼のジョークを疑問視するように視線をぐるっと回す表情でこれを遠回しに批判しました。SNSでは「この件に関してもう一つ賞を挙げるべきだ」と賞賛されています。
そして彼女は自身の経験を語り、禁酒によって得られた人生の喜びを語りながら若い黒人女性たちに向かって「制限されたものはない。挑戦したら必ず何者かになれる」といった力強いメッセージを全国に伝えています。こうしたステートメントをはっきりと伝えるアーティストの存在は、時代にとって大きな利益になると思います。
それにしてもトレバー・ノアの司会ですが、そろそろ飽きた感じがします。今回自分の見せ場であるモノローグのほとんどをLAの山火事に対してのドネーションを募ることに集中し、番組を通して伝えてたのはプラスでしたが、シンプルにジョークや力量が足りない気がしています。。
次世代アーティストの力強さ
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いやぁ、米国音楽の未来は明るい。そう深く思わされた一夜となりました。一番印象に残ったのはチャペル・ローンが伝えた労働者、特にキャリア序盤のアーティストたちに対する正当な保護の必要性を説いたシーンでした。彼女は失礼な対応をする記者に中指を立てたり、非常にアグレッシブな印象があるので、気難しいのかなといった印象が正直あったのですが、チャペルのスピーチから彼女のとっても繊細な姿や魅力を認識することができました。作品で自分自身に目覚めるクィアネスとその悦びを表現しているように、彼女もしっかり自分がステージに上がることによって伝えたいことを認識していて、可愛らしい手帳を読み上げながら立派なステートメントを表明していました。今まで巨大権力であったレーベルに対し、このような勇気ある声明を出せたアーティストは存在したでしょうか?いや、今考え直しても立派すぎるでしょ。
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あと非常に良かったのはベンソン・ブーン。TikTok発のビッググローバルヒット「Beautiful Things」を、アリーナや座席を贅沢に使ってパフォーマンス。宙返りを連発したり、服を脱がせる演出を、ゴールデン・グローブ賞で司会を務め一躍話題になったニッキー・グレイザーに手伝ってもらうなど、非常にアイコニックな表現で会場を沸かせていました。
ジャネール・モネイのマイケルジャクソンを見ても思いましたが、近年の男性アーティストは歌う(あるいはラップする)以外のアプローチを取ることを軽視していたり、躊躇している傾向にあるのかなと思う瞬間は多々あります。ブルーノ・マーズのようにダンスもダサいと思わずやり切るし、楽器もマルチにやります!みたいなパフォーマータイプって本当に減ってきていると思いますし、それって近年のBro文化だったり少し女性っぽいことに対して線びく悪い雰囲気にもある程度原因はあると思うんですよ。
そんな中歌だけじゃなくあらゆる手法でのパフォーマンスにチャレンジするベンソン・ブーンのステージは見ていながら非常に気持ちが良かったし、男性アーティストの表現の限界を打ち破るような希望を感じさせるようなステージでした。ブラックミュージックでも過去のR&B黄金時代やSoul Train時代、MJのようなパフォーマンスが素晴らしいとされていた文化に回帰する流れになってほしいと思わされますね。
ポップガールの「Snub」とザ・ウィークエンドの決意
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サブリナがポップ(ソロ)カテゴリを取り、チャーリーXCXがダンス部門を制覇、チャペル・ローンが新人賞を取るなど、比較的満遍なく全員にグラミーが行き渡った比較的珍しいタイプのグラミーだったなと振り返ります。
一方2024年最大のヒットだった「Birds of the feather」を含むビリー・アイリッシュのアルバム「HIT ME HARD AND SOFT」がまさかのノミネート6部門全てを逃す結果に。「最も売れたアルバムが評価されないのはおかしい」とSNSで多くの人々が怒りを露わにしています。
その点グラミーや他の賞レースにおいてビリーアイリッシュは過去に非常に恵まれていた点に関しても振り返ってほしいかなと思います。グラミーはそもそも楽曲の売り上げに基づいた評価をする賞ではないです。去年最優秀ソング賞に輝いたビリー本人の「What Was I Made For?」は、商業的な基準で考えると同じくバービーのサウンドトラックであるデュア・リパの「Dance The Night」よりも弱いですし、2023年最もストリームされた曲は「SZA-Kill Bill」です。もちろんWWIMF?のソングライティングはバービーのコンセプトと俊逸でしたが、SZAのKill Billのライティングほど画期的だったとは言えないです。彼女はその「2人で曲作りに励む職人気質」イメージと、作品のオルタナ要素という二軸で、グラミーのメイン部門やポップ部門でこれ以上ない恩恵を受けてきた張本人なんですね。
そういった中、「ビヨンセが彼女のグラミーを奪った」なんてコメントもありますが、戦うべきなのはサブリナ・カーペンターだったのかな、と感じています。AOTY候補の中で、ポップフィールドからの主要なエントリーはビリーの当作、そしてチャペル、そしてサブリナになってくる中、AOTYを目指す上でポップ畑のアーティストに求められることは「ポップ層の支持を取り付ける」こと。ポップ分野でサブリナに敗戦を期している時点で、それ以上の賞の獲得は難しくなります。
2020年のグラミーで彼女がポップ部門と主要部門のほとんどを獲得したことで、アリアナ・グランデが「Thank U, Next」で一切の賞を逃したように、ポップフィールドから勝ち上がるにはずば抜けた画期性が求められるように思います。彼女がデビュー作「When We All Fall Asleep, Where Do We Go?」で世の中に知らしめたビリー・アイリッシュというアーティストのライティング能力だったり、独特なZ世代のレペゼンテーションだったり。HIT ME HARD AND SOFTも非常にライティングに優れていて、彼女の作品の中で最もイージーリスニングであり、魅力的なトラックも揃っていますが、時代を象徴する画期的な作品であったかというと、When We All Fall Asleep, Where Do We Go?との差異はさほど感じられないのかな、と思います。
前作・Happier Than Everでも受賞を逃しているので彼女の中でアルバム制作活動に対するグラミーでの評価が得られないのは非常に苦しいとは思いますが、彼女は世界をあっと驚かせられるような革新的なアルバムを作るポテンシャルを持っているアーティストであると思いますし、Z世代のアーティストで一番AOTYに相応しい、それに近しいアーティストであることは事実だと思います。
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そんな歴史的な「Snub」を経験した代表的なアーティストがThe Weekndであることは間違い無いでしょう。彼はは2021年のグラミー賞で歴史的なアルバム、そしてトリロジーの第一部『After Hours』や20年代最大の曲「Blinding Lights」が大ヒットしたにもかかわらず、主要部門を含む全カテゴリーでノミネートされませんでした。これは、グラミーの選考プロセス(特に秘密裏に決定されるノミネーション委員会)の不透明性が原因とされ、音楽業界全体で批判を呼びました。ウィーケンド自身も「グラミーは腐敗している」とSNSで非難し、それ以降ボイコットをすることに繋がりました。今考えてもノミネートすらされないのは大問題でしたよね。
そんな週末先生ですが、なんと今回のグラミーでグラミーの舞台にサプライズ復帰(!)やっぱり本当にグラミーというのはアーティストにとって特別なのだな、と再認識させてくれます。またそんな不遇を経験しても新作を手に改めてチャレンジをする覚悟を見せたのは大きな決断ですし、揺らがない決意が見て取れます。それほどグラミーも近年改革を遂げたということの証明でもあると思います。より今後、人種やカテゴリに左右されない透明性がグラミーの評価の軸となってほしいと願うばかりです。ポップスターにとってグラミーは重要であることから分かるように、公正性はそりゃあ時代に合わせて求められますよね。
それでも総じてウィーケンドの復帰やビヨンセの功績、若手勢のグラミーでの成功から、数年暗かったグラミーに一筋の光が見えてきているのでは無いでしょうか。アリアナ・グランデがまたしても賞を持ち帰ることなくグラミーが終わってしまいましたが、彼女の功績が演技領域で正当な評価を受けている流れを組み、音楽業界でも彼女を再評価する動きが生まれたらな、なんて思いながら、来年の2026グラミーまで「Wicked: The Soundtrack」がうまくいけばいいなと願う日々を送りたいと思います。
長い記事になりましたがここまでとします!
とにかく、2024年を楽しませてくれた全てのアーティストへ感謝を!