アメリカでの出会い~ドクター編3~
九州地方にお住まいの皆様、地震は大丈夫でしたか?
僕の自宅も家具が倒れたり食器が割れたりと、片付けや掃除に追われそうです。
今後、少しの期間、余震や崩れた建物などに気を付けて生活していきましょう。
さて本題に。数回にわたって書かせてもらったドクターとの話はこれで最後になります。
まず初めに。
2019年、ドクターはこの世を去りました。77歳でした。
これからもっと、もっと、ドクターから色々な事を学んでいけると思っていました。指導者としての事。日本での展開の事。
現役を引退し、少し経ってか、改めてビジョントレーニングについてしっかり理解を深めたい。と気持ちを伝えると、いつでも待っていると。日程を合わせて、いつアメリカへ行こうか計画しているさなかの報告でした。
ドクターが亡くなってから彼に近い人に話を聞いたとき僕はなんとも言えない気持ちになりました。
病気で亡くなったと聞いて僕の
「急病だったのか?」
との質問の答えは
「お前と出会って、練習しているときは既にいつ亡くなってもおかしくない状況だった。」と
僕はすぐに理解することはできず
「治せないほどの病気だったのか?なぜ治療に時間をかけなかったのか?」
ドクターが少しでも長く生きる方法はなかったのか?というと事聞きました。するとその答えは僕にとって衝撃的な答えでした。
病気が発覚した後のドクターの行動は自らの意思で延命治療は受けない。
ドクターが周りに語っていたのは
「もう延命しようが、しまいが、もう先は長くはない。それなら最後の時間を、私を必要としてくれている選手たちに使わせてくれ。延命治療に時間と体力が奪われれば、命は長持ちするかもしれないが、私はもう現場に戻れないかもしれない。それなら、今ならばまだ、現場に立つことができる。最後の最後まで選手を支える事が出来る。だから延命に使う時間を選手と過ごす。」
これを聞いた家族たちは誰も反対しなかったらしいです。
それはドクターがどれだけ仕事に向き合い、取り組んできていたか近くで見ていた家族だからこそできた決断だったのかなと。
ありがたい事に、僕もドクターの最後の時間を過ごさせてもらった1人でした。
そしてドクターが亡くなった後、彼の息子さんが僕に話してくれました。
「久しぶりに、見ていて楽しい選手を見つけたと。ビジョントレーニングを始めた50年前は私も選手も必死に取り組んでいた。最近見ていた一流の選手たちはもう既に、知識や技術を持っている選手ばかりだった。ただ今見ている日本人の少年は誰よりも必死に技術を身につけようとして、何度、失敗しても絶対辞めない。そんな彼を見ていると50年前、ビジョントレーニングを開発した当時を色々思い出させられるんだ。面白い子だよ。」
父は君の事を本当に楽しそうに、そして嬉しそうに話していたと。
「そして君が帰国する時、父にビジョントレーニングの技術を日本に持ち帰らせてくれ」と、お願いしていたよね?
また勉強しに来るから、日本でビジョントレーニングを。トレーニングギアを使わせてくれ。と、君が父にそう伝えていたよね?
「キイチになら全てを任せてもいい。」
父が生前からそう言っていたのを聞いていたからね。
その言葉を知った僕は決心しました。
「ドクターの作ったビジョントレーニングを日本で広めるのは自分のすべき事でドクターに返すことのできる唯一の恩返し」だと。
それが僕の会社のテーマ「先人の知識、経験を次の世代へ」という言葉が表す意味です。
そして入念に準備し、2022年1月に初めの1歩となる店舗を始めさせてもらいました。
店舗をオープンするにあたっても、たくさんの人にサポートしていただき、背中を押してもらいました。そして初めて間もないですがドクターのビジョントレーニングに関心を示し取り組んでくださる方がいる事が非常に嬉しく思います。
「始まったばかりのドクターのビジョントレーニング」
これから多くの人に知ってもらい実践してもらえるトレーニングになるために全力を注ぎます。
必ずドクターはどこかで見守ってくれていると思っています。だからこそ中途半端な事は絶対にしません。
次は自分がビジョントレーニングが必要な人に繋ぎます。
ドクター!頑張ります!あなたの技術とトレーニングは太平洋をこえましたよ!
そしてドクターの情熱も僕が太平洋を越えて日本に持ってきています。
見ていてください。頑張ります。
Y&T Athletics K.Y
大分県大分市でビジョントレーニングの施設をやっております。こちらの方もよろしくお願いいたします。
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