遠い昔の話
余人もすなるキャンペーンといふものを自分もしてみむとてするなり、と土佐日記の序文を真似た導入から入ります。
はじめましての方ははじめまして、そうでない方は数日ぶりですね、YT_Astolfoと申します。
普段はサークル「無意識組」ってところでTRPGをしたりゲームをしたりしております。
名前だけでも覚えて帰ってくださいね。
さて、今回参加することになったキャンペーンはヤマハ発動機さんの #わたしと海 ってキャンペーンですね。
僕としてはバイクとか乗らないのでアレですが、前にちらっと目に入ったヤマハ楽器とヤマハ発動機のポスターは好きですよ。ああいうデザインが作れるようになりたいですよね。
キャンペーンとは言いますが、結局話題のネタが欲しかっただけなので言うなれば形だけの参加ということになりますが。まぁ海の話をしていこうと思います。
もう季節も夏ですね。海が恋しいって程アウトドアな人間では無いですが、海の風情が分からないほど季節に疎いわけでもなく。
行きたくないことはないけど用意する手間に見合った喜びを得るための友人がいないんですね。悲しい現実。
今やそんな悲しみを背負っている筆者も勿論昔は海によく行ったものです。行ったって言うより連れていってもらったの方が正しいですが。
というわけで今回は海にまつわる思い出をつらつらと好きなように書き連ねるだけの回です。
駄文〜〜〜〜!!!!
筆者、泳げないんですよね。でも泳げなくたって海には行きたい。なんで海に行きたがっていたのか、今となってはどういう感情だったのかを思い出すのは困難ですが、海に行きたがっていたんですよ。
あれは確か小学生の頃ですね。どうしても海に行きたいとせがんで連れて行ってもらったある日の話。
弟や妹を引き連れて海に行ったらクラゲに刺されちゃいましてね。べそかいてビーチに併設されていたシャワーで必死に痛みから逃れようと体を洗い流していたような、そんな淡い記憶。
……嫌な思い出ですね。なんかもうちょっと無かったですっけ?ちょっと軌道修正しますね。別の思い出の話に変えましょう。
僕の父は僕が小学校の高学年に上がった頃、単身赴任で港町へ行くことになりまして。母は夜中清掃のパートに出掛けていたので、こっそり寝たフリをして出掛けた後ゲーム機やパソコンを持ち出して夜な夜な遊んでいたのですが。(この頃の経験がプログラミングやらに触れるキッカケになったと思うと人生何がプラスに働くか分かりませんね。)
その年の夏休み、折角だからとその港町へ連れて行ってもらって5泊6日で遊びに行きました。今思えばアレは社宅なんでしょうね。
父の作るハンバーグは卵が足りず、碌な繋ぎもなくてバラバラの肉そぼろみたいになっていましたね。
で、その6日間の間に父が会社の同僚たちとBBQに行くからと連れて行ってもらいまして。今このご時世じゃ考えられないですよね。それが海だったんですよ。
泳げない僕に対してその同僚さんの一人が余っていた浮き輪を貸してくれてウキウキでしたよ。ほんともう。
BBQの設営中に海で遊んでいたんですが、離岸流というものは本当に恐ろしいものですね。どんどん沖へと流されていくんですよ。結局浮き輪についていた紐を持って海底を一歩一歩踏みしめてなんとか岸まで戻った記憶があります。死ぬかと思いましたね。
BBQは楽しかったですね。大人たちはビールを片手に、子供はジュースを片手にBBQを楽しみました。BBQも後半になると半数くらいの人はまた海に戻って遊んでいましたね。ビールの入ったプラコップを持ったまま海ではしゃいでいた大人の人が居たのを覚えています。
揺れる波に飲み込まれたビール。それが溶け出した海水を口に含んでしまった自分。
当時はその海水が苦かったからビールは苦いのだと思っていましたが、今思ってみれば一瞬で拡散するからアルコール濃度も味も大して変わるわけが無いんですよね。それは塩化マグネシウムだ、少年tolfo。
その6日間は毎夜PS2で遊んでいた気がします。桃鉄だったりトルネコだったりをしていたような。
でもその日だけは流石に疲れてそのまま寝ちゃいましたね。早朝に起きて遊んでましたが。
とまぁそんな思い出。過去を振り返るだけでなんの生産性もない読みにくいnoteですが、誰かが読んでくれたならそれはそれで感謝したいなと思います。
まぁそんな、配信だとかで言う程大した思い出でもなく、通話で人に話すには長ったらしく、こんなノートの片隅に書くようなお話でしたが、誰かが気に入ってくれたなら幸いだなと思います。
読んでくれたみんなも海の思い出、何かあったらnoteに書いてタグを盛り上げてほしいなと思います。
今日も有料部分はなし。
また次のnoteか動画の方でお会いしましょう。それでは。じゃあね、ばいばい。