大切な、もやもや
会社でスタッフが上司を匿名で評価する制度が始まった。360度評価制度というのだろうか、今までは年に一度上司がスタッフを評価していたものが、逆方向の評価も始まった。
今勤めている会社いわゆる士業の事務所であるため、我々スタッフがその先生方を評価するということになる。普段は先生方から基本的に指示を受け、従事する私たちであるが、主にその依頼方法や、コミュニケーションについての定性評価を数値で下すことになった。
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先生とスタッフの関係はどうしても指示する・されるという一方向の関係が主であるが、スタッフも先生方に尋ねたり、時には指摘したり、何かをお願いしなければいけないこともある。そのため、「こう言ったら何か言われるかな」「気分悪くされるかな」というような不安が多すぎては必要なことが言えず潤滑に業務が流れにくい。
丁寧・詳細に指示をくれたり、フランクに質問に答えてくれる先生が多いが、それでも恐れ多い人、怖い人もいる。約1年前、言葉尻が少し厳しかったり、言い方が少し傷つくな、という先生とよく仕事をしていた時があった。最初は何を言われても流すようにしていたが、徐々に何かを言われるのか怖くなって、必要なことも言いづらくなったことがあった。(考えて考えてメールの文面を決め、メールを送ると同時にお手洗いに行き、時間を置いて落ち着いてから返信を見る、ということを頻繁に行っていた)
その先生は、仕事はとてもできるけどちょっと怖いよね、という声を社内でもよく聞いた。もちろん一緒に仕事をする中で優しいことも何度もあったし、あとから振り返ればあれは厳しい言い方だけど大変合理的だった、素晴らしい…ということも多い。わたしもわたしで、怖がりで、もっと自分から歩みよるべきだったと反省しても仕切れない。それでも、他の先生とのコミュニケーションと比較しても、もう少し言い方がマイルドになれば、もっとコミュニケーションをとりやすかったな、と思う。
その先生と一緒に仕事をしてから1年経って、今回評価をするとき、1年経ってもその想いは消えなかったので、一部の評価にその経験を反映した。わたしがその評価を下した理由も説明はできるし、人の感じ方に正解なんてない。何よりも、今後同じようなやりづらさ、怖さを経験をする人が一人でも減って欲しいという想いもあり、わたしはこの評価を下して良かったのだと信じてる、部分もある。
それでも、同時に独りよがりな評価ではなかっただろうか、適切な評価だっただろうか、私のエゴではなかっただろうか、と煮えきらない気持ちが跡を引くのもまた事実だ。
全スタッフが関わりのある全先生に評価できるスタイルであるため、おそらくその先生にもたくさんの評価がきており、自分の評価の影響力がそこまでない、ということはわかっておりながら、またその先生はあんまり評価を気にしなそうな性格だと思いながらも、なんだかもやもやが残る。
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けれど、きっとこれは健全な反応なのではないか、とも思う。
人が人を評価するのは、どんなに気を付けたつもりでも主観が入るし、そこには自分では気づききれない独りよがりな思い込みもきっとあって、自分の下す評価に満足してしまったらそれこそ独りよがりでエゴな決断になってしまう。
もちろん、感情的にならず、冷静に、時間をかけて、正直に答えることが大前提であるが、それでも評価が100%正しいと思える時なんてきっと来ない。きっとこのもやもやは大切な反応なのだと思う。
これから先、何度も評価を受けることはあると思うし、歳を重ねるうちに、もしかしたら誰かをマネジメントする立場になったり、評価する立場になるかもしれないが、今日の気持ちを忘れずにいたいな、と思う。評価が全てじゃないけれど、評価に反映されている思いもある。必要以上に評価に落ち込まず落ち込ませず、それでも想いは汲み取りたいし、想いは伝えられたらいいな、と思う。
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